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水の音:間・前編

神界でユーピテルとミネルバ達とお別れして、私は慣れ親しんだ自分の部屋へと戻ってきた。あの時ユーピテルによって穴の中に誘われてから、実のところ1日も経っていない。それにも関わらず長い時間を『スタジオーネ』で過ごしたよう錯覚していた。


今日は日曜日。異世界へと旅だったのは昼頃だったが、すでに日は落ちて窓の向こうは真っ暗になっている。スタジオーネと地球は時間の流れがほとんど同じらしい。当たり前のように部屋の中には何も変化がない。窓にカーテンをかけて、部屋を出る。


「あら識音。あなたいつの間に帰ってきてたの?」


台所で夕飯の支度をしていた母が、私を見つけて話しかけた。カレーのスパイシーな香りが鼻をくすぐる。向こうにはカレーなんてないんだろうな、と思うと少しだけ地球を離れる事が惜しくなってしまう。いや、それよりも目の前には母がいるのだ。家族よりも先に食欲が来るなんて私らしいな、と内心ほほえむ。


「う、うん。ついさっき、ね。」


「あなたの事だから心配してないけど、女の子なんだからあんまり遅くまで外にいたらダメよ。」


「うん。わかってるよ。」


「……それとも、誰か良い人でも出来たのかな?」


ドキリと胸が跳ねた。脳裏に彼の顔がよぎる。彼と向き合った時の記憶が鮮明に蘇る。鼓動が早くなり、頬が熱を持った。


「そ、そんな事ないよ!」


ぶんぶんと手を振って否定する。すると、母は驚いた顔をして鍋の火を止めた。


「あなた……。そう……。そうなの。良かったわ。」


ふわりと優しい笑みを浮かべる母に私は何も言えない。恥ずかしさから、ううう、とうなりながら頭を抱える私を、母はそっと抱きしめた。母の懐かしい暖かみが私を包み込む。私と同じシャンプーの香り。


「心配してたのよ……。ここのところ、ずっと上の空だったから。」


「え……?」


「識音が()の事で傷ついてるのはわかってたの。でもね、やっぱり、いつまでも後ろを向いていてはいけないわ。あなたがやっと前に進む気になってくれたんなら、お母さん嬉しい。」


母は勘違いしている。私が勇悟君にかばわれ、彼を救えなかった事に傷ついていたのは事実だ。でも、それを乗り越えたのではなく、また彼と出会えた事で立ち直れたのだ。


しかし、私はまだその事を母に告げる気にはなれなかった。


「……う、うん……。ごめんね、心配かけちゃって……。」


「いいの……いいのよ。さあ、ご飯にしましょ! もうじきパパも帰ってくるわ。」


私から身を離した母の優しい目は、少し潤んでいた。




それから一週間。


私はまだ、両親に言い出せずにいる。


言わなくちゃいけないとわかっているのに。


お別れしなくちゃいけないのに。



あの時、ユーピテルの前ではしっかりと宣言したのに。


やっぱり両親の目の前に立つと、名残惜しさが勝ってしまう。


せっかく彼とまた会えたのに。


せっかく彼と生きていけるのに。



「識音、相手の子、そのうち紹介しなさいね。」


母は相変わらず勘違いしている。


「お? 相手ってなんの事だ?」


「それがね、あなた。識音ったら。」


母が父に耳打ちすると、父はオロオロと慌てだした。


「えっ、い、いや、ダメだ、ダメだぞ! 父さん許さんぞ!」


「馬鹿ね。あなたったら。」


くすくすと笑う母。そして、ふと思いついたように私に尋ねるのだ。



「それで、相手の子はなんていう名前なの?」



それは。


それはね。


仁木勇悟君。


私の大切な人。



「……ひ、秘密だよ。」



もちろん、言えるわけがない。


私の答えを聞いて母はますます笑みを深める。父はもはや悶絶しているようだ。


「……そう。じゃあ、言えるようになったら、教えてね。」


「……うん。」


私は、どうすればいいんだろう。




学校に行っても、周りの友だちは前と変わらず私と接してくれる。転校して間もない私にも分け隔てなく仲良くしてくれる。昔、小学校で一緒だった子も数人含まれていた。


友人達には私と勇悟が幼なじみである事を伝えてあった。彼女達は、勇悟がいじめられていたのを助けられなくてごめん、と謝った。


皆だってわかっていたのだ。


彼が何も悪くない事。


彼が助けを求めようとせずに耐えていた事。


彼がいじめられる理由がとっくになくなっていた事。


でも、それを言い出すことを許さない空気があった。


『同調圧力』と名前のついているそれは、日本人の悪癖の一つだ。



勇悟達をいじめていた主犯格の男子達は、何も変わらずに日常を過ごしている。勇悟など初めから存在しなかったかのように、馬鹿な事を言って笑い合っている。


勇悟が事故に遭って亡くなったと先生が告げた時、彼らは怯えた顔になった。自分たちが勇悟を殺してしまったのではないか。彼は自ら飛び込んだのでは。その後、先生が私を見て、私を助けるために飛び込んだ、と言ったので安堵していた。


そして、こういったのだ。


『馬鹿なやつ』と。


私はそれを聞いて立ち上がり、彼らに思い切りペンケースを投げつけた。『勇悟に謝ってよ!!』と叫びながら。その時の私は、勇悟がもういないと思っていたから、心が不安定になっていた。飛びかかりそうになったところを、友人達や先生に押さえつけられた。


今の彼らは、その時の事を覚えているのかいないのか、私には近づいてこようとしない。転校初日はベトベトするようにまとわりついてきたのに。時折、ニタニタと嫌らしい目を私に向ける。


ユーピテルにもらった力は、まだこの身に宿ったままだ。学校の中はもちろん、周囲1km以内の様子が手に取るようにわかる。体育の時、力を抜くのが大変だ。やろうと思えば、【分身】を使って完全犯罪まで可能だろう。


しかし、私は彼らへ勇悟の代わりに復讐しようとは考えなかった。


そんなことをしても、彼はきっと喜ばないから。



ちらりと、私の隣の席を見る。


そこは、彼の席。


今もまだ、空席のままだ。


机の上には花瓶に花が生けられている。


釣り鐘のような形をした紫色の小さい花が、いくつも咲いていた。


名前は、知らない。




帰り道、勇悟の家の前を通りかかる。


彼の事を教えてあげるべきなんじゃないか。


これも、地球に戻ってからの私を悩ませる事のひとつだ。


葬儀で見かけた彼の両親の顔がフラッシュバックする。彼と同じ優しそうな目を赤く腫らした母親。何かをじっと耐えて背中を丸めている父親。


でも、教えたとして。


それでどうなると言うのだろうか。


恐らく、ユーピテルは両親が『スタジオーネ』に行きたいと言っても了承しないだろう。勇悟の顔を見たいと言っても首を縦には振らないだろう。


そもそも私が伝えたとして、それを信じてくれるだろうか。勇悟が生きているなんて言っても、その事がかえって二人を傷つけてしまうのではないか。妄想だと切り捨てられるほど、二人の傷は癒えていないだろう。なぜそんな残酷な嘘をつくんだと、詰られる事になるのではないか。


結局、私は勇悟の家の前を素通りしてしまう。



毎日がこの繰り返しだった。


言うべきか、言わざるべきか。


その事に頭を悩ませていたら、あっという間に一週間が経ってしまった。




ひとり、浴槽でお湯につかりながら考える。


私は彼といたい。


それは確かだ。


でも、本当に両親から離れてもいいのだろうか。


ここまで育ててくれた。


愛情をいっぱい受けた。


離れたくない。



ちゃぷ、と水の音を聞く。


私の悪いところは、いつだって考えが足りないところだ。


これだと思い込んだら、突き進んでしまう。


いじめられている勇悟を助けようとして、彼に拒絶された。


彼を助けようとして、殺しかけた。


だから私は、後悔しないように、ずっと考え続けている。



しかし、答えなんかでない。



お風呂から出て、自室のベッドに寝転ぶ。


頭は同じ場所を繰り返し繰り返し。


お陰で最近の私は寝不足だった。



彼の事を思い出す。


小学生の頃よりも大人びた彼の顔。


私を優しく包み込んでくれた。


私と離れたくないと言ってくれた。


私と……。



そこで、思い出した。


私と彼との間には、魂のつながりがあるという事を。


世界を超えても、いまだに感じる事ができる。


彼の温かみ。彼の想い。彼の気持ち。



(勇悟。)


私はそっと、心の中に語りかけた。もう夜遅い。寝ているだろうか。


(……識音。)


少しして、彼の声が私の中に響いた。途端、私は胸が一杯になる。


(わたし……わたし……どうしよう。)


(識音、どうしたの?)


彼の声を聞いたら、もう止まらない。彼への想いが、愛しさが、私を押し流す。


(パパもママも……お別れしなくちゃいけないのに……わたし……)


(識音……)


彼を困らせている。わかっていた。でも吐き出したかったのだ。


(わたし……わたし、パパもママも好き。大好きなの。でも、でもね。勇悟の事、もっと好きだから。一緒にいたいから……。)


(そっか……。識音、帰ってから今まで悩んでたんだね。ごめん。悩ませるような事をしてしまって……。)


(ちがう! ちがうの! 勇悟のせいじゃないよ! これは、私が決めなくちゃいけない事だから。……だから、だから……もうちょっと、待って。私が自分で決めるまで。あんまり長くはかけないから……。)


(……うん。わかったよ、識音。僕は識音がどちらを選んでも応援する。もちろん、僕はまた識音と一緒にいられれば嬉しいけどね。)


彼にそう言われると、一気に天秤が傾きそうになる。だけど『彼に言われたから』じゃダメなんだと思う。私の事は、私が決めなくてはいけないんだ。


でも、勇悟の声を聞いたら、少しだけ安心できた。


(ありがとう、勇悟。)


そして、彼に聞いておかなければいけない事を思い出した。


(そうだ……ねえ、勇悟……勇悟のパパとママに、勇悟の事を伝えた方がいい?)


(……うーん、それはやめておこうかな。)


(え、どうして?)


(僕はね、父さんにも母さんにも言いたい事は一杯ある。僕がまだ生きてる事も伝えたい。でもさ、それを伝えてしまうと、僕はきっと後悔するから。)


(後悔……?)


(うん。もう僕は地球に戻れない。戻るつもりもない。だから、父さんと母さんとはもう二度と会えない。二人は僕が生きているって知って喜ぶかもしれない。だけどさ、それは多分、一時的なものだよ。きっと二人ともすぐに、僕ともう二度と会えない事を深く悲しむと思う。それは、僕が死んだのと、変わらないから。)


(あ……)


(お別れぐらいは言うべきなのかもしれないけどね。でも、あんまり気が進まないかな。色々と考えてしまいそうだから。)


(……うん。わかった。勇悟の事は言わないでおくね。)


(そうだね。でも、もし識音が言うべきだと思ったら言ってもいいから。ってこんな事を言うと、また識音を悩ませてしまうね。ごめんごめん。あはは。)


彼の笑い声は、確かに私の心を前に押し出してくれた。




翌朝、私は母と父に大切な話があるから、今日の夜に時間が欲しいと告げた。


父は何のことかと身構えていたが、母は何も言わずに頷いてくれた。


「ま、まさか……ゆ、許さんぞ! ま、まだ中学生じゃないか!」


「あなたは早く顔を洗ってきなさいな。」


母の冷たい言葉を浴びた父は、顔を洗うよりもよほど目が覚めたようだ。



こうでも言っておかないと、きっと私はいつまで経ってもずるずると悩んでしまう。悩むのは今日までと決めた。勇悟の声を聞いて、いつまでも待たせるわけにはいかないと思ったのだ。



私は、地球に残る事を決めていた。



勇悟と一緒にいたい。本当に。切実に。でも、私の事をこんなにも愛してくれる両親を捨てるようにして地球を出るのは、きっと後悔すると思ったのだ。両親をたくさん悲しませる事に、どうしても耐えられそうにないのだ。それは、勇悟を失った勇悟の両親の姿を見ていたせいもあった。


でも、せめて話しておくべきだと思った。私と勇悟の事。勇悟が別の世界で生きている事。そして、私の思いを伝えておくべきだと思った。それは、勇悟を愛しているという事。勇悟とすでに魂のつながりを持つまでに愛し合っているという事。


頭のおかしい娘だと思われるかもしれない。勇悟を亡くしたショックで何かを悪くしてしまったのかと言われるかもしれない。でも、それでも、両親には正直に話しておきたかった。なぜなら。


私はこの想いを胸に、ひとりで生き続ける覚悟を持ったから。




学校に行き教室に入ると、何か違和感があった。



違和感の正体はわからない。クラスメイト達はいつも通り朝の挨拶を交わし、昨日のテレビの話やネットの動画の話で盛り上がっている。いつもと何も変わらない、朝の風景のはずだ。


私は首を捻りながら自分の席に着いた。友人達が話しかけてきたので答えながら、教科書やノートを出していく。宿題は済ませたはずだ。忘れ物もない。それなのに、何かが足りない。


教室を見回していく。


友人達の顔ぶれはいつも通りだ。昨日見たテレビの芸能人がどうとか、ファッション雑誌のコーデがどうとか、近くに出来たドーナツ屋がどうとか。いつもと変わらない話題。


朝から下らない話で盛り上がっている男子達。元気がいい。オタク談義に花を咲かせている男子達もいる。静かに本を読んでいる子もいる。誰にも話しかけず、話しかけられず、机に突っ伏している子もいる。


いつもと変わらない教室。それなのに。



そこで、ふと、私の目が一点で止まる。



私の隣の席。


彼の席。



そこに、花瓶が置かれていない。



「あ」


思わず声を出してしまった。彼が交通事故で亡くなってから、毎日欠かさず花瓶が置かれていた。花がちょくちょく変わっていた。誰が置いているのか知らなかったが、きっとクラスの誰かが勇悟の事を偲んでくれているのだと思っていた。


しかし、今日に限って、その花瓶が置かれていなかった。


「ね、ねえ、ここの花瓶って、誰が置いてたのかな?」


私は周りでしゃべっていた友人達に聞いてみた。しかし、友人達は黙って不思議そうな顔をして私を見る。


「え、だって……毎日置いてあったじゃない。ここに花瓶が——」



ガラガラガラガラ。


教室の扉が開いた。



「う、そ……」



そこには。


黒い髪。


優しそうな目。



毎日想い続けた顔。



「ゆ、うご……」



仁木勇悟が、そこに立っていた。


読んで頂きありがとうございます!


後編に続きます。

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