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水の音:表

白髪の少女からそっと顔を離した。僕と彼女の間に、銀色の橋が架かる。


素直になってみれば、やっぱり彼女を失いたくないという気持ちが強くなって、抑えきれなかった。それってつまり、僕は彼女を好きになっていたという事だ。だったら、迷う事なんてない。僕は我慢する事をやめたのだから。欲張りだって言われてもいい。ディーナと識音には後で謝ろう。


魂のつながりを通じて、彼女の想いが流れ込んでくる。


そうか。彼女も僕の事を。こんなにも強く。こんなにも切なく。熱くて熱くて火傷しそうなほど、身を焦がす気持ち。僕に助けを求めている。僕の事を、求めている。嬉しい。嬉しいな。必要とされる事、求められる事が、嬉しい。



「あー、その。お取り込み中の所、悪いんだが……」


遠慮がちに声を掛けてきたのはジョットさんだ。ふと見ると、グローリアは完全に明後日の方向を見ている。二人の事はエルサを見た時から、すっかり忘れていた。


「吸血鬼とやらは、もう倒したって事でいいんだよな?」


吸血鬼。先ほどの男の事なら、完膚なきまでに粉微塵にした。不死身だと聞いていたが、そんな事は関係ない。不死身だというなら、死にたくなるまで死なせればいいのだ。そうすれば、奴自身が自ずから必死に死ぬための方法を考える。こんなに冷徹な発想が僕の中から出てくる事に驚く。でも、紛うことなき僕の一部だ。


「はい。奴は死にました。もう復活しないでしょう。」


それについては確信があった。僕の手の中で命が消えていく感覚があったから。


「そうか……。それで、その、さっきのは何だ?」


「さっきのとは?」


「あー、その、な。お前の()が……」


ジョットさんが緊張の面持ちで尋ねる。それを聞いて、グローリアも真面目な表情で振り向いた。心なし、顔が赤い気がする。


僕は左手を二人に見せるように差し出して、にぎにぎと開閉する。どう答えるべきだろうか。正直に言うべきか、それとも誤魔化すべきか。しかし、ここまで一緒に来てくれた相手に誤魔化すのは気が咎めた。


「この手ですか……。僕にもよくはわからないのですが、これは僕が『魔王』となっていた時の残滓といいますか、僕の中にいる彼の力といいますか……」


「俺は真面目に聞いてるんだがな……しかし、その様子だと、どうやら冗談ではないみたいだな。」


ジョットさんも僕の左手を見て、ついに考えを改めたようだ。思案顔になっている。グローリアは、何やら納得したような表情になって頷いている。


「なるほど。魔王と呼ばれていただけの事はある、か。しかし、それはニキ殿が言っていた『穢れ』の力ではないのか?」


グローリアの質問に意外そうな顔をするジョットさん。グローリアは僕の事情をある程度知っている。他ならぬ僕自身が謁見の間で王に話したからだ。彼女もその場に騎士団長としていた。


「わかりません……。でも、僕にはこの力は、穢れたものだとは思えません。現に、この力を振るって『穢れ』を祓った事もありました。今回も、吸血鬼になっていたエルサを助ける事ができました。僕はこの力を『人を護る』ためのものだと思っています。」


それを聞いたグローリアは柔和な笑みを浮かべた。ジョットさんは先ほどから困惑顔だ。


「お、おい。お前が『魔王』だっていうのは、本当だったっていうのか? それじゃあ、あの自首は本気だったって事か? ……お、俺は本気の自首を追い返してしまったのか……」


頭を抱え込んでしまったジョットさん。


「なんだと? ニキ殿は警備隊に自首していたのか?」


「え? は、はあ。そうですね。王都に帰ってきて、その日の内に自首したのですが……。冗談だと思われて、ジョットさんには呆れられましたね。あはは……。」


それを聞いて更に頭を抱えてうなり出すジョットさん。グローリアはジョットさんを見て呆れ顔になる。


「警備隊長殿……。私も人の事は言えないが……。」


「それ以上は言わないでくれ……。」


ジョットさんのうなり声が空しく響いた。




僕達は屋敷を後にして、森を抜け、王都へと戻る途中だ。


森の中では血生臭い惨状をどうすべきか話し合ったが、下手に手を出すよりも森の中の魔物達に後片付け(・・・・)を任せた方がいいだろう、という事になった。血の臭いに誘き寄せられた魔物達が集まり始めていたので、わざわざ迂回した。


エルサとは手をつないでいる。彼女はニコニコと笑いを絶やさない。あの無表情だったエルサと同一人物とは思えなかった。ただ、その反動なのか。


「ねぇーユーゴぉ。もっとくっついて歩こうよぉ。」


やたらと僕にべたべたしてくる。先ほどから十分くっついているのだが、彼女としては満足じゃないみたいだ。これ以上くっつくと、歩きづらくて仕方ない。成長した見た目に反して口調は舌足らずで幼く、僕に甘えてくるのだ。


「エ、エルサ。あんまりくっつくと歩きづらいよ。」


「えぇー。じゃあ、私ユーゴにおぶってもらう!」


エルサが背中から飛びついてきた。背中に当たる柔らかい感触。こちらの方も成長していて、ドギマギしてしまう。このままでは色々な意味で危ない。


「ちょ、ちょっと、エルサ。危ない、危ないよ!」


「にゃはははー。ユーゴの背中おっきぃなぁ。あったかい。」


僕の後頭部にゴロゴロと頭を擦りつけてくる。彼女の香りがふわりと漂ってくる。ディーナとも識音とも違う、彼女の好きな果物のようなフルーティな香りだ。首筋にチュッと音を立てて唇が当てられる。理性がもうイエローゾーンだ。僕の中の彼がゴーサインを出している。こんなところで何を考えてるんだ。


「エ、エルサ殿。さすがにちょっと、その、ふ、ふしだらだぞ。」


グローリアが真っ赤な顔をしている。どうやら彼女は相当に初心(うぶ)みたいで、エルサが僕に迫る度に顔を赤くしている。ジョットさんは既に諦め顔で、つっこむ事を放棄している。


「えー? だってユーゴの事、好きなんだもぉん。あ、わかったぁ! あなたもユーゴの事が好きなんだ!」


「なっ!? ち、ちがっ」


「ふふふ、いいよぉいいよぉ。ユーゴは器がおっきぃから。みーんな、一緒に愛してくれるんだよぉ。私と一緒に甘えちゃおうよぉ。」


「あ、あい……ち、違うと言って、言っているだろう!」


グローリアはエルサの攻勢にたじたじだ。茹で蛸のようになりながら必死に否定している姿は、普段の堂々とした態度の彼女とは全く結びつかない。


かくいう僕も先ほどからエルサには一方的にやられっぱなしなので、人の事は言えないが。エルサの中の少女がこんなにも甘えん坊だとは思わなかった。


結局、僕はエルサを背負いながら王都の門をくぐることになった。エルサは終始、僕にくっついて甘えっぱなしで、僕の首筋は涎でベタベタだ。門番をしていたエンリコさんの訝しげな視線が痛かった。




グローリア達と別れた僕とエルサは、やっと屋敷に辿り着いた。どうやら警備兵達もすでに撤収しているようだ。夜はかなり更けていて、もう少しすれば空が明るみ始めるだろう。


「ただいまー。」


僕とエルサが声を合わせて帰還を告げる。しかし、返事はない。


もしかして、ディーナも……。


と思って一瞬焦った僕だったが、魂のつながりによれば彼女が屋敷にいるのは間違いない。ディーナの名前を呼びながらリビングに入ると、彼女はソファの上で寝息を立てていた。


彼女の可愛い寝顔を堪能してから、起こさないようにそっと持ち上げて主寝室へ向かう。エルサも声を出さずに後をついてくる。ベッドにディーナを下ろすと、その横に寝転んだ。エルサは僕を挟んで反対側にもぞもぞと入り込んでくる。


三人で川の字になりながら、このまま寝てしまおうかと思ったら、エルサが僕に身を寄せてきた。もじもじとしながら、潤んだ瞳で僕を見上げる。僕はディーナをちらりと見てから、エルサを見て首を横に振った。微笑みながら、彼女をそっと抱き寄せると耳元で「あしたね」と囁いた。


彼女はパッと笑顔になって、うなずいた。そのまま、僕にくっつきながら目を閉じると、しばらくして小さく寝息を立て始めた。


僕は彼女たちが深く眠りについた事を確認すると身を起こす。今日は一杯動いて汗をかいたし、すでに乾いてはいるが返り血を一杯浴びたので気持ち悪い。やはり寝る前に風呂に入っておこう。




一人で浴槽につかる。


魔道具のお陰でいつでもすぐにお湯が沸かせるし、掃除の必要もないのだから、日本にいた頃よりも快適かもしれない。さすがに露天風呂ではないが、何人も一緒に入れる大きな浴槽だ。この屋敷の元の持ち主はお風呂が好きだったみたいだ。


湯の温かさに身も心も癒やされながら、今日の事を思い返す。



これで、僕の大切な人がまた一人。


いや、エルサはもともと大切な人だった。僕が気が付いていなかっただけだ。


彼女を助けた時、なんとなくこうなるのではないか、という予感はあった。


日本での常識が、ディーナ以外の特別な存在を作る事に抵抗を感じさせた。


でも、悪魔の僕の中で闇に溶けた時、僕の中の様々なものが一緒に壊れた(・・・)


それは自制だったり、常識だったり、道徳だったり、弱さだったり。


前の僕とは違う。(したた)かで冷酷で我慢できない僕。


ディーナが言った『いつもの僕』は、もういなくなってしまったのだろうか。


僕は、僕が、わからない。



十分に暖まったので、浴槽から出ようとした時、ガラガラと浴場の扉が開いた。


考え事をしていたので気づかなかったのだ。


「ええっ!?」


「え?」



そこには、一糸まとわぬ姿のディーナが立っていた。



「きゃっ! ユ、ユーゴさん!?」


慌てて後ろを向いて身を隠すディーナ。


「ご、ごめんなさい! ユーゴさんが入ってるなんて気づかずに……」


「あ、い、いいんだ。ディーナ。……君もこっち来て入りなよ。」


彼女の扇情的な姿に僕の中の欲望がむくむくと顔を出していた。お湯につかったまま手招きすると、ディーナはタオルで身を隠しながらおずおずと僕の側までやってくる。お湯に入ったわけでもないのに、彼女の白い肌はうっすらと上気している。



とぷん。


右足をつけて、次は左足。



彼女は何も言わずに、お湯に入ってくる。


しっぽが、ぱちゃりと音を立てる。



僕も黙ってその姿に見とれていた。


ディーナは僕の顔をちらりと見ると、ますます赤くなって顔を背ける。



彼女が浴槽の中に入ると、僕は彼女の肩にそっと触れる。


ビクリとしながら、彼女も少しずつ僕の方へと近づいてくる。



僕達は暖かい中で二人並んで座り、肩を寄せ合った。



彼女の白くて柔らかな肌が直接触れる。


水の音しかしない。僕達は黙ったままだ。



耳障りな鼓動。


もどかしさ。


心地よい距離。


気持ちよさ。


溶けるような感情。


恥ずかしさ。



全てが水の中で混ざり合う。



そっと、頭を撫でる。


水に濡れた彼女の髪は艶々と透き通り、シルクを触っているようだ。


猫耳が気持ちよさげにピクピクと跳ねる。



彼女が恥ずかしそうに、僕をのぞき見る。


僕は彼女の様子を見て微笑んだ。



ああ、可愛いな。



思わず、肩を抱いて身を寄せてしまう。


彼女は少したじろぎながらも、身を任せてくれた。



「ディーナ、ごめんね。」


思わず口をついて出た言葉は、彼女への謝罪だった。


「え? なにがですか?」


ディーナは恥ずかしそうにしているが、しっぽが気持ちよさそうに泳いでいる。


「僕のこと。エルサのこと。」


「ユーゴさんとエルサさんのこと、ですか?」


「うん。」


彼女の大きな目が僕を見つめている。しかし、僕はその目を受け止められない。


「僕のことで、ディーナにはたくさん心配をかけちゃったから。」


「それは……」


「僕はね。多分とっくに、ディーナが言っていたような『いつもの僕』じゃなくなっているんだ。」


「え……?」


「ディーナと識音が僕を助けてくれた時から、僕の中の何かが違ってしまってる。今日、ディーナが襲われているのを見た時、気持ちが抑えられなくなった。以前の僕は人を傷つける事を恐れていたのに、その時は積極的に、必要以上に、人を傷つけたいと思ったんだ。そして実際、僕は人を手に掛けてしまった。」


「ユーゴ、さん……」


ディーナの心配そうな顔を見て、思わず彼女を抱いていた腕に力が入る。


押し殺していた感情が、ゆっくりと水面から顔を出した。


「僕は、怖いんだ。……いつかもし、この感情が、この激情が、ディーナを、エルサを、識音を傷つけてしまうんじゃないかって。」


暖かいお湯の中のはずなのに、手足が冷たく感じる。ぶるぶると震えてしまう。自分で言ったことなのに、その可能性に大きな恐怖を感じる。


「いやだ……いやだよ……僕は……ディーナを、傷つけたくないのに……」


弱音を吐いた僕を、ディーナが優しく抱きしめた。


「大丈夫です。ユーゴさん。」


「ディーナ……」


「ユーゴさんの事は、私が見ていますから。ユーゴさんが道を外れそうになったら、私が、いえ、私だけじゃありません。エルサさんも識音さんも。みんなでユーゴさんを支えますから。」


「うう……」


「ユーゴさんは大丈夫です。変わらない、前のままの優しいユーゴさんです。」


彼女の言葉に、僕はついに決壊してしまう。彼女の胸の中で、僕は号泣した。どうしてかわからないけど、涙が止まらなかった。ぽつりぽつりと水の音がする。


自己肯定は難しい。ディーナの優しい肯定が胸に響く。強くなったと思っていたけど、僕はいまだに弱いままだった。


グローリアに言われた言葉を思い出す。『悩み傷ついて、それでも前に進むのが人間だ』。僕は傷だらけになりながら、ボロボロになりながら、ディーナ達のお陰で何とか立っていられる。前に進む事ができる。


強い僕と弱い僕、二人で手を取り合っても、僕は僕のままだ。


もし僕が変わってしまっていても、ディーナが見ていてくれる。


その事に、心から安心できた。彼女が見てくれるなら、大丈夫だ。



いつの間にか、涙は止まっていた。


ディーナはずっと僕の背中を撫でていてくれた。


改めて、彼女を抱きしめる腕に力が入る。



「ありがとう……ありがとう、ディーナ。」


僕がお礼を言うと、ディーナはにこりと微笑んだ。



それからしばらく二人で身を寄せ合っていたが、そろそろ湯あたりしそうだったので、いい加減出なくてはいけない。


そう思ったところで、腕の中にいたディーナが僕に尋ねた。


「そういえば、ユーゴさん。ベッドにいた女の人って、エルサさんにそっくりでしたけど、もしかして……」


「う……う、うん。あれはエルサだよ。」


「ええっ!? どうしていきなり、あんなに大きくなっちゃってるんですか!?」


「彼女は一回吸血鬼になりかけてね……その拍子で成長しちゃったみたいだ。」


「きゅ、吸血鬼!?」


「うん。もう倒したから大丈夫。エルサもちゃんと人間に戻ってるから。もともと、彼女は年齢の割に小さかったから、今の姿が年齢相応じゃないかな。」


「えええ、でも、髪まで伸びてましたし……そ、その、胸まで……」


ディーナは自分の胸をちらりと見た。今まではエルサの方が子供体型だったのに、今ではエルサの方が大きくなっていた。といっても、ディーナだって別に小さいというわけじゃないんだけどな。


「あはは。でもね、エルサが起きたらもっと驚くよ、きっと。何をしても表情が変わらなかったエルサが、笑えるようになったんだ。」


「えっ! 本当ですか! エルサさんが笑顔に!? し、信じられません……」


「そうだ。それでディーナに謝らなければいけない事があった。」


「……何となく、わかります。エルサさんとも【結魂】されたんですよね?」


「えっ、なんでわかったの?」


「ふふふ、ユーゴさんの事なら何でもわかるんですよ?」


ちろりと舌を出して笑った彼女は、この上なく魅力的だった。




二人で風呂を上がって、主寝室へと戻る。


ほかほかになった僕達は手をつなぎながらベッドに入る。


エルサはぐっすりと眠っているようだ。寝顔が幼い子供のようで可愛い。


僕とディーナは、何も言わずに二人でエルサを見て微笑み合う。



魂のつながりを感じながら目を閉じる。


なんて幸せな事だろう。



すぐに眠気がやってくる。


僕はゆっくりと、暗い微睡みの中へと落ちていく。



その時。


(勇悟。)


魂のつながりを通じて、声が届いた。



この声は誰だっけ。


ああそうだ。


この声は。



(……識音。)


そう、彼女の声だ。


地球に行ったはずの彼女。



(わたし……わたし……どうしよう。)


識音の念話が、僕の閉じかけた目を開いた。


読んで頂きありがとうございます!

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