焦燥:裏
白い髪が昔から嫌いだった。
お母さんと二人、スラム街で暮らしていた。食べるものがなく、お金もなく、一日に一回、二人で固いパンを分け合って食べるのが当たり前だった。そんな中でも、お母さんは私に優しく『もうお腹いっぱいだから』と言いながら残したパンを渡してくれる。無邪気で幼い私は、そんなお母さんの思いやりには気づかずにいた。
大人達は私の髪を見ると顔をしかめる。あっちへ行け、と追い払われる。私の髪の色のせいで元いた家を追い出された事は、子供心に何となく理解していた。スラムの子供達からは特に髪の色でいじめられたりする事はなかったが、それでも私の中では、白い髪が不幸の象徴のように思えた。
お母さんが私を残して逝ってしまった時、私はひとりぼっちになった。これもきっと白い髪のせいだと思った私は、お母さんから『女の子らしく』と言われて伸ばしていた髪を短く切った。しかし、それからも私に幸運が訪れる事はなかった。
「お前は孤児か?」
スラムで泥水をすするように生きていた私に話しかける男がいた。その時の私は、もはや生きているか死んでいるかもわからない状態で、仲間の子供達からも見放されていた。男の言葉は理解できたが、反応する事はできなかった。
「生きたいか?」
そんな事、当たり前だ。しかし私は答える事はできない。男の顔をじっと睨み返すのが精一杯だった。すると、男はふっと笑い、私にパンと水を与えた。私は何も考えずに目の前の食料にかぶりついた。懐かしい小麦の味が口いっぱいに広がる。カサカサだった口の中に唾液が分泌された。
「ついてこい。そうすれば、明日からも食えるぞ。」
私には他に選択肢などなかった。
それからは『組織』の一員として訓練を受けた。周りには同じ境遇の子供達がたくさんいた。毎日毎日死ぬような目に遭いながら、仲良くなった子達と一緒に訓練を必死に乗り越えた。教えられたのは、人を殺す術。ナイフを使った刺殺、暗器を使った暗殺、毒を使った毒殺。次第に何も考えられなくなる。時には、仲間達で殺し合った。最初の内は涙を流していたが、すぐに枯れた。
ある時、訓練の一環で暗殺任務を与えられた。その時の私はもう単なる人形のように、教官に言われた事に従って生きていた。暗殺対象の家に潜入して、寝室で寝ている男を殺すだけ。簡単だ。簡単なはずだった。
暗殺対象の男には家族がいた。男には子供がいた。女の子。しかも、ただの女の子ではない。その子の髪の色はきれいな白色だった。私と同じ髪の色を持つ彼女は、両親に挟まれて笑っていた。しかし、同じ髪の色を持つはずなのに、長くて艶々の白い髪を持つ彼女と、埃と泥にまみれてくすんだ短い白い髪を持つ私とでは、何もかもが違うようだった。私が失ってしまった未来のようだった。
私は、暗殺をこなせなかった。
男を殺してしまうと、私の未来まで殺してしまうような気がして。
当然、任務失敗のペナルティとして激しい体罰を受けた。全身をムチで打たれ、汚い言葉を浴びせかけられ、失敗する事への恐れを徹底的に身体に精神に刻み込まれた。結果として、私は失敗を恐れ、人をも恐れるようになった。しかし、組織に見捨てられては生きてはいけないと思い込んでいた私は、必死に食い下がった。
落ちこぼれながら与えられた任務を必死にこなした。でも、どうしても人と向き合うと緊張して、身体が動かなくなる。任務を失敗する度に体罰を受けて、ますます失敗を恐れるようになった。まともに人としゃべれなくなり、もはや斥候や諜報ぐらいしか道はなかった。その分、気配を消す事は上手くなった。
その頃の私は、完全に幼児退行が進んでいた。人を殺せない暗殺者としての私と、幼児趣味の私。現実逃避の夢に溺れて、幼い頃に読んだ絵本の世界を妄想するようになった。お姫様と勇者様。私が初めて任務に失敗した時に出会った白髪の少女。彼女はまるで絵本のお姫様のようだった。自分の髪を伸ばす気にはなれない。私に勇者様なんて現れない。でもきっといつか。私の中の少女はそうつぶやいた。
王都に拠点を移してから、初めての諜報任務で、彼に出会った。
透き通った緑色の髪を持つアニマの少女と並んで歩く彼の姿に、少女と手をつないで優しく彼女をエスコートする姿に、私は自分の憧れを重ねた。
組織に裏切り者として処刑されかけたのを彼に救われた時、いっしょに行こうと手をさしのべられた時、私は夢の中の住人となっていた。憧れの物語。私の勇者様が目の前に現れたのだ。しかし、彼の隣には既に『お姫様』がいる。私は彼と彼女の物語を読むだけの『読者』にすぎない。最初はそれでもよかった。しかし、段々と我慢できなくなっていた。
彼が私を受け入れてくれた時、幸せな気持ちで満たされた気がした。でも、彼との関係は変わらない。彼の隣には常に彼女がいた。彼が笑いかけて、愛を語るのは彼女。嫉妬もした。その事に自己嫌悪もした。わがままだと自分に言い聞かせた。
新たな物語を求めるように、彼に買ってもらった恋愛小説を読んだ。それは、ビアンコ王国を舞台にした物語。まるで彼と彼女のような甘いやりとり。どこまでいっても、私は『読者』にしかなれないのだろうか。そんなのは嫌だ。
私は、私の物語を追いかける事にした。
◆
恋愛小説の舞台となっていたのは、王都の外にある森の中。
そこで主人公の少女は、お婆さんと二人で暮らしている。ある日、二人の元に旅人が迷い込むのだ。そして主人公はその旅人と次第に愛し合うようになり、大きな木の下でプロポーズをする。そこまでが第一部。その旅人は実はとある国の王子様で、それから二人は波瀾万丈の物語へと巻き込まれていく。
旅人が少女へプロポーズする舞台となった大きな木。そのモデルとなった木は実在していた。普通なら小説のファン達の聖地となるところだが、森の少し深いところにあるので実際に訪れる人はほとんどいない。
私はそこへ一人で行ってみる事にした。
ユーゴには使い魔のアルテアを連れて行けと言われていたが、流石にこんな所についてこさせるのは気恥ずかしい。ユーゴ達にも何も言わずに屋敷を出た。
高揚した気分の中、門を出て森の中へと向かう。まだ昼を過ぎたばかりなので明るく、草原を駆け抜ける風が私の頬を撫でた。一人で外に出るのは久しぶりだ。最後に出たのはユーゴを追いかけていた時。初めてユーゴと対面した時の事を思い出して顔が熱くなった。
森の中は薄暗く、草の濃い臭いが鼻をつく。魔物の気配をうっすらと感じる。暗殺者の時の習慣から気配を隠しながら、森の奥へと移動していく。着ているのもユーゴに買ってもらったピンク色の服ではなく、暗殺者時代の黒い服だ。懐かしい手足の感触に暗殺者時代を思い出して、暗い気分になった。
大きな木の下には誰にもいなかった。
ひとりぼっちの私は、そっと大きな木に手を触れる。ひんやりとした感触。見上げると他の木よりも一回り大きい樹冠が風でざわざわと揺れていた。木漏れ日が顔に当たって眩しい。
やっぱり、誰もいないよね。
そんな事、わかっていた。物語は物語でしかない。勇者様も王子様も、物語の中にしかいないのだ。ユーゴは勇者様じゃない。私はお姫様じゃない。
つーっと頬に冷たい感触。雨だろうか? しかし、空は青い。
「エルサ」
不意に背後から男の声が私の名前を呼んだ。気配が感じられなかった。すぐに振り返るとそこには、不思議な雰囲気の男が立っていた。赤い髪とつやつやな肌。至って真面目な表情なのだが、丸々とした体型と細長い髭がコミカルな印象を与えた。
「…………」
初対面の相手とは、あまり上手く喋れない。特に相手が男だと顕著だった。私は返事もできずに、じっと男を見ていた。もちろん警戒はしていたが、男の容姿があまりにも期待していた『王子様』と掛け離れていて少し愉快な気持ちになったのだ。
「……ふむ、返事はしない、か。」
男は少し考え込んだ素振りを見せる。
「……だれ?」
私は男に誰何した。私の名前を知っているこの人の事を私は知らない。
「私が誰、か。そうだな。ルーコラとでも名乗っておこうか。」
「ルー、コラ……」
やはり聞き覚えの無い名前だ。私が警戒を強めると、男は困り顔になりながら、細長い髭をこねくりまわした。
「ふむ、仕方ない。あまり強引な手は使いたくなかったのだが。」
そう言った男の目がギラリと赤く光る。
その目を見た途端、私は身体が動かせなくなった。指一本曲げる事もできなくなり、喋る事もできない。呼吸はできるものの、身動きが一切できない。
男はそんな私の様子を真顔で見ている。
助けを呼びたくても何もできない。ここは森の中。他の人の気配もない。脳裏に浮かんだのはユーゴの顔。でも、彼には黙ってここに来た。きっと罰が当たったんだ。心の中の少女は号泣していた。
「そう怖がるものではない。ほら、行くぞ。」
そう言われると、なぜか恐怖心が少し薄れた。そして身体がひとりでに動き出す。私の意思とは関係なく、右足、左足、と順番に繰り出して歩き出した。抵抗しようと思ったが無駄だった。
そして私は、男の後ろについて森の奥へと消えた。
◆
「ああっ! 勇悟君! 早く! 早く行ってあげて!!」
私は焦っていた。
結局、あれからユーピテル様に言われた事に答えられず、私はすごすごと帰路についた。泉の中では勇悟君がたくさんの魔物に囲まれていた。
勇悟君は敵の数などものともせずに次々と魔物を屠っていく。『スタジオーネ』に来た頃に比べて逞しく成長した彼の姿に、私は感慨深くなる。ただ、彼が雄叫びを上げながら容赦なく魔物を斬り殺していく姿は鬼気迫っていて、彼の普段の優しいイメージとは掛け離れていた。
エルサを助けるのに必死なのはわかるのだが、目の前の敵をただただ滅ぼす精密機械のような動きは人間離れしている。私は少しだけ恐怖を覚えた。このまま、彼が機械のように全てを壊してしまうのではないか。
しかし私の心配は杞憂に終わる。彼は目の前の魔物を片付けるとエルサが捕らえられている屋敷に足を急いだ。彼の後ろには騎士団長と警備隊長という王国の中でも上位の力を持つ者達がついている。だが安心はできない。相手が相手だからだ。
そう、相手はただ者ではない。
人ですらない。
魔物の一種で、古くから存在する忌まわしい存在。今までは息を潜めていたのか、全くと言って良いほど見かけなかったのに、計ったように勇悟君の前に現れた。ソフィアではないが、私の祝福の効果を疑ってしまう。
【遠見の鏡】を切り替えて、先ほど勇悟君と相まみえた魔物の男へと視点を移す。男は既に屋敷の中へと入っていた。そのまま足早に階段を上っていく。2階にはエルサが横たわる部屋がある。
「あーあー! まずい! まずいわ!!」
部屋の中ではすでにエルサが目を覚ましていて、ぼんやりと天井を見ている。手足が縛られていて身動きがとれないため、逃げることもできない。
男は2階の廊下を一歩一歩と進んでいく。
ギシリギシリと床が軋んで音を立てる。
ついにエルサのいる部屋の前へと辿り着いた。
「そ、そんな……だ、だめ!」
そして、男はゆっくりと手をあげた。
◆
コンコン。
ノックの音が暗い部屋の中に響いた。
手も足も動かせない。
ぼーっとした頭で、私はそれを聞いていた。
ああ、彼が来てくれた。
私を助けに来てくれた。
私の勇者様が。
「エルサ」
声が遠く聞こえた。
誰かが私の名前を呼んでいる。
きっと彼だ。
彼なら私を助けてくれる。
私はここにいる。
早く助けて。
そして、私は。
答えてしまう。
「……はい」
瞬間、ドクンと胸が跳ねた。
何か、取り返しのつかない事をしてしまったような。
しかし、その喪失感とは別に、何か別の感情が。
扉がギギギ……と開いていく。
◆
ブルーコラーコ。
ヴリコラカスとも呼ばれるそれは、太古から存在する吸血鬼だ。
しかし、地球において一般にイメージされるドラキュラ伯爵のヴァンパイアのような吸血鬼とは大幅に異なる特徴を持っている。人の血を好むのは同じなのだが、弱点のようなものがほとんど無いのだ。
それは、日光を恐れない。
それは、銀の弾丸を恐れない。
それは、青白い肌ではなく血色の良い肌を持つ。
それは、華奢な身体ではなくドラムのような丸い体型を持つ。
そして何より、大きな違いが1つ。
それは、『仲間を増やす方法』。
ヴァンパイアが己の『眷族』を増やすには、相手の血を吸う。
血を吸われた相手は新たな吸血鬼として、『主人』の意のままに振る舞う。
だがブルーコラーコは。
暗闇の中、そっとドアをノックするのだ。
そして、相手の名前を呼ぶ。
もし、その呼び掛けに返事をしてしまうと。
相手は心を奪われ、新たなブルーコラーコとして生きる事になる。
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