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一触:裏

私はリビングで一人、ユーゴさんとエルサさんを待っていた。


エルサさんがいなくなったからだ。いつもふらっと出かけてしまうエルサさんが、今日は日が落ちても帰ってこない。散歩だと思っていたのだけど、何も言わずに出て行ったので本当は違うのかもしれない。



あの日。ユーゴさんが森の中で冷たくなった日。彼女は森の中で倒れていた。


ユーゴさんが彼女に口移しでポーションを飲ませた時、頭ではその必要性をわかっていても、心がざわめいた。彼女が女の子だとわかった時、そのざわめきは更に大きくなった。


ユーゴさんが彼女が危ないといって私を置いていった時、彼の事を信じているはずなのに不安で胸が締め付けられた。このまま私を置いて、彼女とどこかへ消えてしまうのではないか。彼の身を案じたのは確かだが、こちらの不安も大きかった。


救護室を飛び出した彼女を追いかけるよう、ユーゴさんの背中を押した時、私の中には複雑な思いがあった。彼女の内なる声への心配。同情。不安。しかしそれを覆い隠すように大きくなったユーゴさんへの信頼が私を突き動かした。


彼女と手をつないで帰ってきた彼を見た時、やっぱりユーゴさんはユーゴさんだった、と嬉しくなった。彼は優しい。優しい彼は傷ついた人を護ろうとする。彼の右手は暖かく、私を優しく包み込んでくれる。


左手は、彼女に。


一夫多妻制が当たり前である『スタジオーネ』では、彼の手は私ひとりには大きすぎる。彼はこれからも、たくさんの人を護ろうとするだろう。それを邪魔するような事はしてはいけないと思っている。


でも。


彼の隣は。彼の右手は。


せめて私が。




ピンポーン。


彼が取り付けた『いんたーほん』という不思議な魔道具が音を鳴らした。ユーゴさんから話を聞いていた。これは来客の合図だ。急いで彼に念話で伝えなければ。


(ユーゴさん! 屋敷に誰か来ました! あの音が鳴りました!)


彼とは魂のつながりがある。私の中の一部は、彼で出来ているのだ。それが私には何よりも嬉しかった。しかし、いつもは暖かい彼の気配を感じるそのつながりは、今は何だかひんやりと冷たい。


(……ディーナか。うん。インターホンの【遠話】で用件を聞いてみて。何を言われても、けして外に出ちゃダメだよ。)


彼の声が聞こえた。間違いなく彼の声のはずだ。でも、その声は冷たく、そして無機質なトーンで響いてきた。好きな彼の声なのに、今は何だかその声が怖い。


(ユ、ユーゴさん?……なんだか、声が……いえ、わかりました。)


きっと彼も焦っているのだ。エルサさんは彼が護ると決めた人。いつも隣にいたはずの人が突然いなくなると、大きく動揺する。その事は、両親を目の前で失った私だから理解できた。


彼との念話を終えて、『いんたーほん』に映った遠視の映像を見る。そこには、執事服を着た優しそうなお爺さんが立っていた。眼鏡を掛けている。


「は、はい。どちら様でしょうか?」


私は落ち着いて、『いんたーほん』のボタンを押しながら話しかけた。原理は分からないけど、こうすると遠話で相手に届くらしい。こんな魔道具が作れるユーゴさんは本当にすごい。


すると、画面の向こうのお爺さんは少し眉を上げて驚いたようだ。


「そちらに話しかけて頂ければ、伝わります。」


遠話の魔道具は存在するが、それを玄関に使おうという発想は普通ない。こんな魔道具は他にはないため、相手もわからないだろう。お爺さんは納得したようにうなずいて、話しかけた。


「おお、そうでしたか。失礼ですが、こちらはユーゴ=ニキ様のお屋敷で間違いないでしょうか?」


「はい、そうですが……。」


相手に見覚えはない。ユーゴさんの知り合いだろうか? ユーゴさんの話では、こちらの世界に来てほとんど間も置かずに私と出会ったらしい。その後、一時的に離れていた期間を除けばほとんど一緒にいた。


「実はですね、お宅のお嬢様をお預かりしていまして。」


お爺さんの話に驚く私。お嬢様? それってつまり……


「えっ!? お、お嬢様!? ど、どんな女の子ですか?」


「そうですね、大きな特徴としては白い髪をお持ちですね。」


エルサさんだ。


彼女の白い髪が思い出された。彼女はその髪のせいで酷い目にあってきたらしいが、私は彼女の髪の色が好きだ。


「私が働かせて頂いている屋敷のすぐ近くで倒れていたとの事で。足を怪我されていて動けなくなっておりましたので、屋敷で治療しております。」


「け、怪我!?」


それを聞いて頭が真っ白になる。


「ええ。幸い大した怪我ではございません。しかし、自分では歩けないようでしたので、こうしてお届けに参った次第でして。今は馬車の中で休んでおられます。」


「ええ! そうでしたか、ありがとうございます!」


ああ、よかった。でも、あのエルサさんが怪我をするなんて。


すぐに、彼にも伝えなくては。


(ユーゴさん! エルサさんが見つかったって!)


念話で話しかけると、少しして反応があった。


(分かった。すぐ戻る。)


心なしか、先ほどよりも冷たくなった彼の声は私の不安を煽った。魂のつながりからは何も感じなくなっている。熱がなく、冷たさもない。無風だ。


しかし、今は目の前のお爺さんに対応しなければいけない。


私はすぐにでも外に出てエルサさんを迎えてあげたかったが、先ほど彼に言われた事が頭によぎっていた。『けっして外に出るな』。恐らく、彼は私の事を心配してくれているのだろう。しかし、こういう場合はどうすればいいんだろうか。


よほど彼に念話で聞こうかと思ったが、先ほどの彼の声を思い出すと、どうしても躊躇ってしまう。そんな下らない事を聞くなと怒られるかもしれない。いや、彼がそんな事で怒らないのはわかっている。でも、今の彼は冷静ではない。


「馬車から運びますので、お手を借りてもよろしいでしょうか? なにぶん、老骨の身でして。私ひとりで参ったものですから……」


わざわざお爺さん一人で来てくれたようだが、こちらも一人だ。


「それは……すみません……私もここを離れるわけにはいかなくて……」


「……そうですか……。わかりました、では私ひとりで運んでみます。」


お爺さんが『いんたーほん』の前から離れていった。画面の外に出てしまったので、外の様子はわからない。


申し訳ない事をしてしまった。せっかく彼女を見つけて助けてくれた上に、親切に送り届けてくれたのに、その恩に砂を掛けるような真似をしてしまった。私の胸が後悔で一杯になる。


画面の外からは、確かにお爺さんが馬車から何かを運び出しているような音が聞こえてくる。やっぱり、ちゃんとお迎えしよう。直接お礼を言って、もし時間があるなら上がってもらおう。ユーゴさんもすぐに戻るだろうから、一緒にお礼を言おう。私はお爺さんとエルサさんを迎え入れるために玄関へと向かった。


屋敷はユーゴさんによる結界で覆われている。どういうものなのか、説明を受けたがよくわからなかった。とにかく、ユーゴさんの知り合いしか通さない仕組みらしい。しかし、いちいち来客をユーゴさんが確認するのも不便なので、玄関を内側から開けた時は誰でも通れるようになる。


玄関の扉がノックされたので、私は扉を開いた。


「こんばんは。お嬢さん。」


そこには執事服を着たお爺さんが立っていた。しかし、その横には白髪の少女の姿はなかった。代わりに、黒い服を着た男達二人が立っていた。ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。


私は急いで扉を閉めようとする。しかし、途中で扉が止まってしまう。見ると、片方の男の手によって扉が掴まれていた。慌てながら手に力を入れても動かない。


「おやおや、そんなに慌ててどうしましたか。」


お爺さんの眼鏡の奥にある優しそうな目がこちらを見ている。その顔はニコニコと笑っている。しかし、その目には光が無い。真っ黒だ。恐怖を感じた。


「は、離して! 帰ってください!」


扉を掴んでいる男の手を引き剥がそうとするが、ビクともしない。それどころか、扉は徐々に開かれていく。


「い、いやっ! やめて!」


必死に抵抗するが、ついに扉は完全に開かれてしまう。開いた勢いで私はたたらを踏んだ。もう一人の男が私に近づいてくる。


「こないでっ!」


屋敷の中に逃げ込もうとした私の服を後ろから掴まれてしまった。更に腕も掴まれてしまう。力が強くて抵抗できない。男はニタニタと笑っていて、気持ち悪かった。奴隷時代の事を思い出した。



(助けてっ! ユーゴさん!)


ユーゴさんに念話で呼びかける。しかし、返事はない。



もうダメかと目を瞑った時。



ヒュッと風が吹いた。



私の腕を掴んでいた男の力がふっと軽くなる。



ボトリ、と何かが落ちる音。


ポタタタタと液体が滴る音。



男達の騒ぐ声。


しかしそれもすぐに消える。



ズシャリ、と何かが倒れた音。


ブシュッ、と何かが弾けた音。



「ひぃっ……あ、悪魔……」


お爺さんの声。



ギュッ。


目を瞑っていた私を誰かが抱きしめた。



嗅ぎなれた彼の臭い。


しかし今は生臭い鉄の臭いが漂っている。



暖かい彼の体温。


しかし今はどこか寒々しくて冷たく感じる。



嬉しいはずなのに。


安心したはずなのに。



彼の顔を見るのが怖い。


目を開けるのが、怖い。



そこにいるのが、彼ではない気がして。



「ユーゴさん……ですよね?」


「うん。遅くなってごめんね。ディーナ。」


いつもの彼の声だ。



安心して目を開ける。


そこには彼の顔。


でもそこには、何の感情もみえない。


真っ白だ。いや、真っ黒かもしれない。



わからない。



「ユーゴ、さん……?」



ユーゴさんは私を抱きしめながら、私に笑いかけた。


しかし、その笑顔が、どこか空虚なものに感じる。


彼の目が、いつもは黒い瞳が、少し赤くなっているように見えた。



「ディーナ。君は()が護るから。」



嬉しいはずのその言葉が。


その時はなぜか。



「い、いや……」



つい口に出てしまった。


身じろぎして、彼から身を離してしまう。



「ディー、ナ……」



彼の目が大きく開かれる。



「ユーゴさん、なんだか変です……いつもの、ユーゴさんじゃない」


「……いつもの、僕?」


彼は何の感情も持っていないように、私の言葉を繰り返した。



「いつものユーゴさんに、戻って下さい……」


私は彼の身体をぎゅっと抱きしめた。


つなぎ止めるように。



「ディーナ……僕は……俺は……」


ユーゴさんは震えていた。怯える子供のようだ。



次第にその震えが収まっていく。


彼の鼓動が伝わってくる。魂のつながりが少しずつ暖かくなる。



彼の震えが完全になくなった時、私の身体は再び優しく抱きしめられた。


「ごめん……ごめんね。ディーナ。ちょっと、怒りすぎたみたいだ……」


恐る恐る顔を上げると、そこにはいつもの困った顔をしたユーゴさんがいた。


思わず目から涙がこぼれる。安堵した。


「ユーゴさん……よかった。」


「怖がらせちゃってごめんね。」


謝るユーゴさん。先ほどの彼はもうどこにも見えない。


私達はもう一度、お互いを固く抱擁し、つながりを確かめ合った。



彼の中にいる、もう一人の彼。


あの時、彼の中に魂のつながりを通じて飛び込んだ時。


そこには、いつもの優しい彼がいた。苦しみ、傷ついていた彼がいた。


だけど、私はもう一人の彼を知らない。



今の彼はどちら(・・・)なんだろう。



私はふと、そんな事を考えた。


読んで頂きありがとうございます!

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