一触:表
エルサが、消えた。
彼女は時折ふらりと散歩にいく。聞くと街中をぶらぶらしているらしい。今日も彼女は昼ご飯を食べた後、いつもの無表情で散歩にでかけた。気づけば、いつの間にかいなくなっている。猫のアニマであるディーナよりも、よほど猫っぽい。
だが、いつもは夕方頃には帰ってくる彼女が、今日はもう日が落ちているというのに戻ってこない。夕飯は僕の番だったので、エルサの分も含めて三人分、スープと肉を焼いていた。今、それらは食卓の上で冷めかけている。
もちろん、先日の襲撃の事もあって警戒はしていた。出掛けるときは、使い魔のアルテアをお供としてつけるように言っておいた。しかし、慌てん坊の彼女はアルテアを連れていかず、何も言わずに一人で出掛けたようだ。
油断があった。ディーナとエルサ、二人が一緒にいるときはいい。でも、どちらかといえば、僕はディーナと一緒にいる事が多かった。どうしても、ディーナに集中してしまう。そんな時、エルサは僕の側でじっとしている事が多かったと思う。
エルサとは【結魂】していない。
魂のつながりのない彼女の位置は気配で探るしかない。しかし、今はその気配も感じられなかった。【気配察知】には弱点がいくつかある。まず1kmという射程距離がある事。ユーピテル様の外套についていた【完全隠蔽】のように気配を隠蔽するスキルがある事。これは、スキルではなく魔法でも隠蔽できる。
「なにを……やってるんだ、僕は。」
自分が嫌になる。
彼女を護ると決めたのに。
彼女の隣にいると決めたのに。
なぜエルサから目を離してしまったのか。
なぜエルサをもっと見ていてやらなかったのか。
なぜエルサと【結魂】しておかなかったのか。
いつの間にか手を握りしめていたらしい。手から血が滴り落ちた。
「ユーゴさん……どうしましょう。」
ディーナが不安そうに僕の服の裾をぎゅっと掴んでいる。僕たちはリビングのソファでエルサを待っていた。ディーナとエルサ、二人は姉妹のようだった。ディーナは面倒見の良いお姉さん。エルサはそんな姉からふらりと逃げる妹。
とにかく、彼女を見つけなければならない。彼女を探し出して、その手を握りしめてやらないといけない。もし誰かが彼女をさらったのなら——
「マ、マスター……ごめん、オレがちゃんと見てれば……」
使い魔のアルテアはリビングに設置した止まり木の上で、しょんぼりと肩を落とすように頭を下げた。彼は先ほどまで僕の影の中で寝ていたのだ。
「いいんだ、アルテア。君は悪くない。僕の影の中にいたアルテアには無理な話だ……それより、早く彼女を見つけなくちゃ。アルテア、君は上空から王都を見回ってくれるかい?」
「わ、わかったぜ、マスター。すぐに見つけてみせるよ!」
「うん、頼んだよ。」
アルテアがバサッと翼を開き、窓から王都の夜空へと飛び出していった。もちろん五感を共有して、常に情報が入るようにしておく。アルテアの視界にはメインストリートの街灯と、ポツリポツリと浮かぶ家屋の明かりが映っている。
「僕も、自分で探してみるよ。ディーナはここにいてほしい。この中は結界で安全なはずだから。」
「……わかりました。」
ディーナは、僕の指示に素直に従ってくれる。僕を信じてくれるのだ。ディーナをひとりにさせてしまうのは心配だし心苦しい。でも、連れて行くのは難しい。僕の足についてきてもらうのは彼女には酷なことだ。
ディーナをきつく抱擁する。僕の形を彼女に残すように。
「ごめん。エルサは必ず見つけてくるよ。」
「大丈夫ですよ。きっとすぐに見つかります。」
ディーナの微笑みが今は寂しいもののように感じる。
僕は夜の王都にひとり、飛び出した。
◆
まずは、警備隊の詰め所に向かった。彼女が保護されているかもしれない。
そんな淡い期待は、警備兵エンリコさんの否定によってあっけなく崩れた。
「いや……ここには来ておらんな。特に事件があったとも聞いていない。」
「そうですか……。もし見つかったら、お手数ですが僕の屋敷に連絡を頂けますか? ディーナに伝えて頂ければ、僕にも届きますので。」
ディーナと僕は魂のつながりによって念話ができる。なぜエルサともつながりを築かなかったのか。
「あいわかった。我々も見回りの人数を増やして探してみよう。」
「……助かります。恩に着ます。」
僕はエンリコさんに深々と頭を下げると、すぐに踵を返して詰め所を飛び出した。警備隊が協力してくれるなら心強いが、僕の足で見て回る方が早いだろう。
王都の夜は少しだけ肌寒い。月も星も無い空は墨で黒く塗りつぶされたように一片の光も見えない。地球の空を知っていると違和感が大きいかと思ったが、都会にいると夜空を見上げる機会など少ないため、大した感慨はなかった。
エルサは夜が苦手なようだった。夜になると僕の側から離れなくなる。『掃除屋』では斥候を務めていたはずなのに、夜が怖いのだろうか。しかし、それを聞いてみた事はなかった。夜はディーナが隣にいる事が多かったからだ。
他に、彼女が行きそうなところはどこだろう?
思えば、僕はエルサの事をあんまり知らない。
一緒に同じ時間を過ごしてきたはずなのに。
僕の胸がチクチクと痛む。久しく忘れていた『罪悪感』が顔を出す。
僕の中の彼が、胸の中で暴れ回っていた。
許さない。
俺の護りたい人を、誰かが奪った。
勇者像のある噴水の前に出た。メインストリートの先にあるこの広場には、夜でもまだ多少の人が残っており、夜食を出す屋台も出ている。王都の人々の朝は早いとはいえ、どこにでも夜の仕事はあるものだ。露出の多い女性が客引きをしている。
ここにも彼女の姿はない。
勇者像の前で彼女と向き合った時を思い出す。白髪の少女は、自分を迎えにくる『勇者』を待っていた。普通の女の子なら一度は夢にみる物語だが、彼女にとってはそれが唯一の希望のようだった。
あの時、僕が差し出した手は、今はまた空っぽになってしまっている。
彼女は、俺の左手だったのに。
誰かが俺の左手を奪った。
エルサは何が好きだったっけ。甘い物。かわいい物。
果物が好きだったエルサ。小さな口で一生懸命に頬張っていたのを思い出す。何か食べたいものはあるか、と聞くと必ず果物の名前を挙げた。そんな時、僕とディーナは目を合わせて笑うのだ。
買ってあげたピンク色の服を来たエルサ。お姫様のドレスのようなフリル付きの可愛い服で、嬉しそうにくるくると回っていた。もちろんその顔は無表情なのだが、僕の目には満面の笑顔のように見えた。
左手が少しずつ熱を帯びてきている。目覚めるように。
【擬態】は解けていないはずなのに、皮膚が少しずつ赤くなりはじめている。
僕は急いで王都中を探し回る。アルテアの視界でも見当たらない。通りを歩くまばらな人々の驚いた顔が瞬く間に通り過ぎていく。見回りをしていた警備兵が僕を呼び止めようとしたが、僕の顔を見て手を引っ込めた。
いつのまにか僕は、王都の端にあるスラム街へと辿り着いていた。あの時の赤い髪の少年の顔が頭をよぎった。スラム出身らしいエルサは彼の事を気にしていた。彼女が他人の事を気にするなんて珍しい事だった。
無表情で、無口で、無愛想で。
でもそれは彼女が被る仮面のせい。本当の彼女は感情豊かで良く笑う子。
ちょっと慌てん坊で、恐がりだけど、勇気を出して僕の手を握ってくれた。
許さない。
もし、誰かが彼女を奪ったのなら。
もし、誰かが左手を傷つけるなら。
殺してやる。
◆
(ユーゴさん! 屋敷に誰か来ました! あの音が鳴りました!)
頭の中が赤くなっていた僕の元に、ディーナからの念話が届いた。
(……ディーナか。うん。インターホンの【遠話】で用件を聞いてみて。何を言われても、けして外に出ちゃダメだよ。)
(ユ、ユーゴさん?……なんだか、声が……いえ、わかりました。)
屋敷とは中心部を挟んで完全に反対側にいた僕は、その場で方向転換して急いで屋敷へと戻る事にする。誰が来たんだろう。警備隊が見つけてくれたのだろうか。
そんな僕の前を遮る影があった。
僕の後を追いかけているのには気づいていたが、それどころではなかったため無視していた。避けようかとも思ったが、このまま屋敷についてこられても面倒だ。
立ち止まり、静かに口を開く。
「……何の用ですか、グローリア様。」
目の前に立っているのは、白銀の鎧を着た騎士団長、グローリア=カヴァリエリだった。街を照らす淡い灯りに、銀色の髪をたなびかせている。普段なら見とれてしまうような美貌だが、そんな余裕はない。
彼女は腰の剣に手を掛けて、立ち止まった僕を見据えている。その表情は緊張感で張り詰めていて、冷や汗をかいている。
「……ニキ殿。そんな物騒な殺気をまき散らして、どこへ向かっている。」
いつの間にか、殺気を放っていたらしい。
「……屋敷に戻ります。僕の左手がさらわれたので探しているのです。」
「左手だと……?」
彼女はチラリと僕の左手を見た。左手はすでに真っ赤になっている。【擬態】は解けていないため形こそ人間の手のままだが、異常な色だ。
「何を言っている……左手ならそこに——」
「どいて下さい」
思わず冷たい声が出た。
「くっ……お、落ち着け……! 貴殿が何に憤っているのかはわからんが——」
「どけ」
左手を軽く払ったら、ブワッと風が吹いた。グローリアは向かい風に耐えるように顔を腕で覆っている。銀の髪が後ろに流れた。
「し、仕方ない……こうなっては……」
彼女は腰の剣を抜いた。
こいつも俺の邪魔をするのか。
俺から奪おうとするのか。
左手がゴキゴキと音を立てている。
「そ、その手は一体……!」
(ユーゴさん! エルサさんが見つかったって!)
ピクリ。ディーナの念話に反応した。
矢も楯もたまらず、目の前の女を無視して飛び出した。女は止めようとしたようだが、簡単に避けられた。背中を追いかけてきたが、あっという間に突き放した。
「待て! 待つのだ!」
背後から声が聞こえてくるが、僕はそれを無視して屋敷へと走り去った。
【結魂】の転移を使っても良かったが、あれはそれなりに時間が掛かる。転移中は無防備になるため隙も大きい。一秒すらもどかしくて、僕は足を動かしていた。
王都の闇は深く、僕の姿を包み隠した。
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