来訪者:表・前編
ピンポーン。
屋敷を居を移して翌日、早速とりつけておいた魔道具のチャイムが鳴った。この屋敷に初めての来客が来たのだ。
「お、誰か来たみたいだ。」
リビングのソファでまったりしていた僕は、上にあるディーナの顔に話しかけた。頭の下には柔らかい感触。いま僕は、ディーナの膝枕をうけていた。僕からお願いしたのだ。赤い顔をして、うめきながらもうなずいたディーナは尻尾が揺れていた。
「ほんとに音が鳴るんですね……こんなの聞いた事もないですよ。」
ディーナはチャイムの音に不思議そうな顔をしている。ふわりとディーナの匂いが鼻をくすぐる。名残惜しかったが、僕はゆるゆると頭を上げて立ち上がった。
「…………」
エルサは同じくソファで本を読んでいた。本屋に並んでいた新作をじっと見ていたので買ってあげたのだ。人気の恋愛小説らしい。王国ではすでに魔道具を使った活版印刷技術が普及しており、製紙技術も発展していたため、本はそれほど高くない。これらも、現国王の革命の一つだという。
リビングの壁にとりつけたインターホンの画面を見る。遠視の効果により玄関前の様子がわかるようになっている。
そこには、見覚えのある顔があった。
「な、なんでこの人が……」
画面の向こうの女性は興味深そうにキョロキョロと見回している。時折、隣にいるもう一人と言葉を交わしている。
「誰なんですか?」
ディーナもソファを立って近づいてくる。
「って、ええ!? この人は!?」
画面を覗き込んだディーナも驚いたようだ。ディーナの声にエルサも本から顔を上げてこちらを見ている。
とにかく、応対しなければならない。遠話の効果もあるインターホンごしで会話する事もできるが、この人が相手だと失礼になってしまう。
「ディーナ、一応、応接間の準備をお願い!」
「は、はい。わかりました、ユーゴさん。」
ディーナにお願いしてから、僕は急ぎ足でリビングを出て玄関へ向かう。当然ながら使用人など雇っていないので、自分で応対しなくてはいけない。屋敷の大きさにはまだ慣れていないが、今はこの大きさがもどかしい。
どうすべきか。
まさか。
加速した思考が様々な可能性を検討するが、しかし結論が出そろう前に玄関の扉へとたどり着いた。仕方ない、知らないふりで押し通そう。
ガチャリと玄関の扉を開くと地面に膝をついて、そこにいた女性に声を掛ける。
「これは……ご機嫌麗しゅうございます——カテリーナ王女殿下。」
◆
金髪のドリルロール。ピンク色の華美なドレス。うっすらとした頬紅。
僕の対面には、ビアンコ王国の第一王女、カテリーナ=ビアンコが座っている。
どうしてこんな事に……。
「あなたが! あの時の!」
僕が玄関を開けてひざまずくと、王女は僕を指さしてキッと睨み付けた。
「……は? ……失礼ですが殿下、初めてお目に掛かるものかと……」
とぼける僕に、王女はブンブンと首を横に振る。
「ウソですわ! きっとあなたに違いありませんわ!」
どうやら王女は僕が『魔王』と名乗った男であると思っているらしい。口ぶりでは確証はなさそうなので、とぼけ続ける事にした。
「はあ、しかし私は……」
「ちょっと良いだろうか?」
そこで、王女の隣にいた人が声を掛けてきた。白銀のフルプレートメイル。しかし、今は兜をかぶっていない。長い銀髪が日を浴びて煌めいている。
彼女の事ももちろん知っている。あの時に剣を交えた騎士団長だ。しかし、知らない振りをしておこう。
「失礼ですが、あなたは……?」
「失礼した。私はビアンコ王国騎士団の騎士団長を拝命している。グローリア=カヴァリエリと申す。」
グローリアが黙礼したので、こちらも丁寧に返礼する。小さい頃から父親と剣道の師範には礼節についても厳しくしつけられた。ボディーガードは要人の警護をする機会が多いため、最低限の礼儀が必須教養だ。
「これはご丁寧に。初めてお目に掛かります。私はユーゴ=ニキと申します。以後、お見知りおきを。」
ひざまずいたまま初対面モードで対応する。失礼がないように心がけなければならない。あらぬ疑いを掛けられても面倒だ。
「うむ。ニキ殿か……聞き慣れない家名だが……」
「ああ、いえ、私は異国の出身なものですから……」
お茶を濁し、王女のじーっとした視線を受け流して、「失礼します」と言いながら立ち上がると、玄関の扉を開き二人を招き入れる。
「とにかく、こんな場所ではなんですからお入り下さい。王女殿下におかれましては、このような狭小な屋敷にお招きするのは心苦しいのですが……」
「……構いませんわ。」
王女も中に入る気になったらしい。屋敷の前には豪華な馬車が停まっている。何事か、と人目が集まりはじめていたので、馬車には敷地内に入ってもらった。これなら高い塀があるので、耳目は避けられる。大きいのは屋敷だけではなく、広い庭もついているのだ。
王女とグローリア、そしてお付きの近衛兵数名を屋敷に招き入れる。グローリアは態度には表さないが、しっかりと王女を警護している。全員が入った事を確認してから扉を閉じて、応接間へと先導する。
王女は屋敷の中をキョロキョロと見回している。ぶすっとした顔をしているが、その目は好奇心で輝いている。屋敷の中は見慣れない魔道具で一杯だ。少し離れたところで、自律式の掃除機ゴーレムが床を掃除している。外は春の陽気で少し暑いくらいだが、空調の魔道具によって屋敷内は適温に維持されている。
応接間の前にはディーナが立って待っていた。エルサはリビングに残っているようだ。応接間には10人掛けの大きなテーブルがある。
ディーナに目で合図して応接間に入り、上座の椅子へ王女を促し、椅子を引いて着席してもらう。カテリーナ達は王女の後ろに立ち、控えるようだ。
僕も王女の対面に着席すると、ディーナがティーセットをワゴンで運んできて、目の前でお茶を淹れて王女の前に差し出す。続いて、僕の前にも同じようにお茶を出した。伯爵家の奴隷として働いていたディーナはメイドとして身辺の世話もさせられていたため、ある程度の家事や接待ができるのだ。
「失礼」
そう言って、王女の後ろに立っていたカテリーナが王女に出したお茶を一口含む。嚥下してから王女にうなずいて、また元の位置に戻った。まあ、この状況では毒味も必要だろう。
僕が口を付けると、王女もティーカップを持ち上げて一口こくりと呑んだ。ふわりと紅茶の匂いが部屋に漂う。王女はパッと笑顔になった。そこまで高級な茶ではないが、茶葉屋から薦められたものだ。
「それで、ご用件を伺ってもよろしいですか?」
僕がおもむろに切り出すと、王女が思い出したようにまた僕を睨み付ける。
「あなたが、あの時の男なんでしょう!?」
「あの時とは……?」
あくまでしらを切る僕に赤くなる王女。
「あの時はあの時ですわ! 勇者様が……勇者さまがぁ……」
そう言って、今度は青くなった顔をぐしゃりとしかめて、俯いてしまう。
「はあ……あの……勇者様といいますと、先日王都を凱旋なされた、あの魔王を倒されたという……その方が一体?」
勇者が死んだ事実は伏せられている。国民の混乱を招くからだろう。
「その勇者様ですわ! あの方は私をお守りになって……うう」
なんだか、王女の中では違うストーリーができているようだ。勇者は暗殺計画が露見したから逃げようとしていたところを、キマイラに食い殺されたんじゃなかったっけ?
「あなたが! あの恐ろしい魔物を倒すために勇者様をつきとばして!」
ええええ。
わけがわからないよ。
ぽかーんとして思考が飛びそうになったが、並列思考がかろうじて答える。
「え、えーと、どなたかとお間違えではありませんか?」
「そんな事ありませんわ! その背格好! 黒い目! 絶対にあなたですわ! 『便意の魔法使い』!!」
思わず持っていたティーカップを落としそうになった。なぜその不名誉な二つ名がここで出てくるんだ。王女の後ろに立っていた近衛兵が顔を背けてプルプルと震えている。ちくしょう、恨むぞミネルバ。
そこで、騎士団長ことグローリアがゴホンと咳をして、説明してくれる。
「あー……実は我々はある人物を探している。わかっているのは、170cmぐらいの若い男、黒い瞳、魔鋼の剣、優れた武技。その条件で冒険者ギルドに問い合わせたところ、近い容姿の貴殿の名前が挙がってな。聞けば貴殿は最近この屋敷を手に入れたという。探している人物は大金も手にしているため、我々はこうして貴殿に話を聞きに来たという訳だ。」
うーん、確かにバレバレだよなあ。『便意の魔法使い』の出所はギルドからだったか。あとで文句を言っておかなければ。
それにしても、王女の思い込みストーリーでは、僕は勇者を犠牲にした悪辣な魔王に仕立て上げられているようだ。バレてもいいや、と思っていたけど考え直す。バレたら面倒な事になりそうだ。
「そうでしたか……。しかし恐れながら、私はそのような人物ではありません。優れた武技と仰いましたが、私は未だ冒険者ランクFの末席。この屋敷を買った金は、異国から持ってきた品物を売り払って手にしたものです。」
口から出まかせだが、冒険者ランクが低いのは本当だ。単に依頼を大してこなしてないからだけど。僕の言い訳を聞いて、グローリアはううむ、と唸りながら思案顔になった。
「しかし……声は似ているが……あの時の武の気配は感じられない、か……」
ぶつぶつと呟いている。ちなみに、今はあえて姿勢を崩し、立ち居振る舞いも意識して素人のように振る舞っている。
そこで、つぶやきを止めたグローリア。
つかつかと、テーブルを回り込んでくる。
「な、何か?」
グローリアはピタリと立ち止まる。僕の顔をじっと見ている。
ヒュッ
突然グローリアは腰から剣を抜き、僕の首元へと振り下ろした。
1秒にも満たない鋭い剣筋。
僕は一切動かない。
グローリアの剣は、僕の首の薄皮に肉薄して、ピタリと止まった。
「え? ……う、うわぁ!」
今頃気が付いたかのように、驚いてみせる僕。
王女達もグローリアのいきなりの行動に驚いている。
「な、何をなさるのです!」
震えながら抗議の声をあげると、グローリアは剣を鞘に収めた。
「ふむ……すまない。許せ。」
グローリアはつかつかと歩いて元の位置へと戻っていった。
危なかった……。
【見切り】が提示した攻撃軌道は首元で停止する事を示していたのだが、【自動防御】が反応しそうになったのでギリギリでオフにした。
「な、何だったのですか……一体……」
「貴殿がどうしてもあの男に思えて仕方なかったのだがな、どうやら私の勘違いだったようだ。この通りだ。すまない。」
そういって、頭を下げるグローリア。
「わ、わかりましたから! 頭をお上げ下さい! 私のような平民に!」
そう言うとやっと頭を上げた。
「殿下。ニキ殿はあの男ではありますまい。あの男であれば、私の剣は容易に見切って躱してみせます。」
「で、ですが! この方は!」
「殿下。お戯れが過ぎます。陛下には黙って来ているのですよ。これ以上は陛下のお耳に入れる事になります。」
「うっ……わ、わかりましたわ……」
シュンと項垂れるカテリーナ王女。
「ご事情はよくわかりませんが、納得して頂けたようで幸いです。ご期待に添えず申し訳ございませんが。」
ペコリとお辞儀する僕。
「いえ……私の方も……人違いみたいですわ。ご迷惑をおかけしましたわ。」
王女もそう言って目礼した。さすがに一国の王女が軽々しく頭を下げるわけにはいかないらしい。
よかった。切り抜けられたようだ。
その後、王女が辞去すると言い出したので一緒に席を立とうと思ったが、僕の【気配察知】が複数の気配を捉えていた。
およそ10人ほどの気配が、僕の屋敷の周りを取り囲んでいる。屋敷の敷地内に停まっている豪華な馬車には、御者の気配が感じられない。
動きからして、屋敷の中への潜入を試みているようだ。しかし、僕が張っておいた『空間結界』に阻まれている。
どうしよう。
読んで頂きありがとうございます!




