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帰還:裏

パン、パン、と規則的な音が響いている。


「ああっ!……きゃっ!……ひゃん!……アッ!……」


女の艶やかな声がそれに合わせて響く。



もちろん、私がお尻を叩かれている音と、私の声だ。


尻叩き100回というユーピテル様の『個人的な刑』を受けている。もちろん、処刑人はユーピテル様だ。といっても、ユーピテル様が直接叩いているのではなく、宙に浮いたハリセンのようなものが、私のお尻を先ほどから叩いている。


ユーピテル様は、私の方を見ずに仕事をしている。相変わらず速すぎて手元が見えない。書類の山が次々に処理されていく。


「ユーピ、テル様ぁ……あん!……もう許し……うう!……てくださぁい……」


しかし私の声が聞こえないかのように、ユーピテル様の手が止まる事はない。


ソフィアが側の止まり木に止まって、私の様子を見ている……と思ったら、目を閉じて寝ているようだ。この薄情者! 冷血フクロウ!


「ダメだ。君にはまだ反省が足りていない。ソフィアに言われて仁木勇悟君のアカシックレコードを読み返してみれば……。まったく。君があそこまでバカだとは思わなかった。どうやら、躾が足りていなかったようだ。」


「うう……ごめん……ひゃっ!……なさぁい……にゃっ!……」


まだ折り返しの50回にすら達していないというのに、私の意識はもはや朦朧としている。恐らく、私が勇悟君を『スタジオーネ』に転生させた時に上げたスキルの事だろう。倉庫の【聖骸の杯】の事までバレているようだ。



白目を剥き、お尻が真っ赤になった私が解放されたのは、その1時間後だった。




「それにしても、彼はどうするべきだろうね。」


ユーピテル様がぽつりと呟く。


「審判の時は、私もつい彼の事を擁護してしまったな。神長だというのに、私情を挟んでしまうとは、いかんな。しかし、あの七色の光、彼が邪悪な存在だとは思えないのは確かだ。」


「あ、当たり前です! 勇悟君は私を助けてくれたんですよ!」


お尻を押さえながら私は抗議の声を上げた。


「うん。そうだね。まあ、彼の処遇はまた話し合いの場が持たれるだろう。その前に、彼への補償をどうするか、という問題もある。全く、彼も複雑な立場に置かれているな。」


「うう……私のせいで……」


「ふむ……。」


と、そこでユーピテル様は【遠見の鏡】となった窓を見る。窓には黒い髪の少年が二人の女の子を伴って警備隊の詰め所に向かっている様子が映っている。


「彼自身もまた、複雑な人格を持っているようだ。まさか自首しにいくとはね。あそこまで潔癖だと生きづらいだろうに。」


「ユーピテル様……どうにかしてあげられませんか?」


私が縋り付くと、ユーピテル様は困り顔になる。


審判によって、私は『スタジオーネ』への干渉を禁止されている。上司であるユーピテル様の許可がなければ、彼のために何もできない。


「うん……。だがね、やはり神による介入というのは——」


「お願い! お願いします!!」


ガクガクと身体を揺らすと、彼の困り顔が前後に動く。ユーピテル様は低い声の割に意外と身体は小柄な方だ。


「ああ、わかった、わかったから止めなさい。……ふぅ。本当に君は彼の事となると見境がなくなるようだね。」


私は赤面しながら俯く。だって好きなんだもん。


「ふむ、そうだな。ではこうしよう。」


そういうと、彼はパチンと指を鳴らした。




私とソフィアは以前のように泉の横のティーテーブルの椅子に腰掛けて、ぼんやりと泉の中を眺めている。泉の中の勇悟は、警備隊長であるジョットという男に向かって自分が魔王であると力説している。


「勇悟君、どうしてあんなに必死なのかしら……?」


「ホッホウ。ミネルバ様。人間にとって罪の意識というのは存外に重いものなのです。勇悟殿は高潔な人格の持ち主のようですから、その罪の意識も人よりも重く感じるのではないでしょうか。」


肩の上で毛繕いをしていたソフィアが羽根を整えながら説明する。


「うーん、ユーピテル様も言ってたけど、あれじゃあ生きづらいわよ。いちいち悩んで、立ち止まって。なかなか前に進めないじゃない。」


「ホホ、しかし実際には勇悟殿はしっかりと前進しておられます。それは一重に仲間の方々のお陰という事でしょうね。」


「そうね……。」


私は勇悟君の後ろにいるディーナちゃんとエルサちゃんを見る。二人とも勇悟の様子を無言で見ている。私には、あそこにいる資格はない。


「あ、勇悟君が左手の【擬態】を解こうとしているわ!」


声を上げてその様子を注視する。しかし、実際には【擬態】は解けず、勇悟君の左手は人間の手のままだ。


「よかった……。やっぱり、ユーピテル様の仰った通りになったわね。」


そう、彼の【擬態】が解けないのはユーピテル様によって擬態の解除が封印されているためだ。ユーピテル様は勇悟君の動きを予想して先回りして対策を打っておいたのだ。


ユーピテル様曰く。


『彼がもし自分が魔王である事を警備隊長に主張するなら、そこに必ず証拠を求められるだろう。彼に出せる証拠はほぼ無いと言ってもいい。なぜなら魔王だった彼が殺害した冒険者達の装備は全て【錬金】の材料にされていたし、冒険者カードは魔王城に放置されたままだ。』


『そこで、彼はきっと自分の悪魔の左手を証拠として見せようとするだろう。確かに、あの手を見れば一発で邪悪なものである事は分かるからね。だからそれを潰しておくのさ。【擬態】さえ解けなければ、普通の手と変わらない。』


『ただ彼の為だけならそこまではしないんだが、彼の左手はかなり恐ろしい見た目と性能をしているからね。むやみに見せると人界に混乱を招きかねない。』


ユーピテル様の恐ろしさの片鱗を味わった気がする。人間の思考程度はトレースして、どう考えるかを予想してしまう。そして先回りしてしまう。



「何事もなく詰め所を出ましたね。良かったですね、ミネルバ様。」


「落ち込んでる勇悟君ってかわいいわね。」


「ミネルバ様……さては、懲りてないですね?」


思わず呟いた私に、ジト目のソフィアからツッコミが入る。頼むからユーピテル様に告げ口するのはやめてほしい。思い出したらまたお尻が痛くなってきた。反省はしているが、勇悟君をかわいいと思うのはどうしようもないと思う。


勇悟君はとぼとぼと肩を落としながら宿屋へ帰っていった。




その後、私は神々の会議へと招集された。議題は勇悟君の処遇、そして彼への補償である。


神が人に補償する必要なんてあるのか、という声が聞こえるが、今までも神は人々に補償をしてきた。うっかりと災害や天変地異を起こしてしまう神が何柱か存在したのだ。そういう時、目には見えない形で人々へと幸運を返す。例えば豊作になったり、大漁になったり。


しかし今回のケースでは補償対象が勇悟君だけだ。他の被害者といえば殺された冒険者達だが、彼らの魂は既に循環に入っていたため、次生を受ける際に才能を授ける事が決まっている。


会場には既に神々が集まりつつある。


席に座って雑談している神々の話題の中心は勇悟君だ。それと、私に対してもチラチラと視線を感じる。しかし、審判の時にあったような侮蔑の色は無くなっており、好奇の色が多いようだ。ユーピテル様の影響だろう。


ユーピテル様が入場して席についた。相変わらずの威圧感で、彼が入ってきた途端に会場の気温が数度下がった気がする。他の神々も着席し、ピリッとした雰囲気の中、ユーピテル様が口を開く。


「それでは、第524回の神間会議を始める。今回の議題は二点。仁木勇悟の処遇について、そして仁木勇悟に対する補償の内容だ。議長は私、ユーピテルが務める。では、まず仁木勇悟の生い立ちについてだが——」


そうして、横についていた書記官の天使によって、彼の地球での生活について、アカシックレコードの内容が簡潔に説明されていく。


父への憧憬、幼なじみとの邂逅、護る事への拘泥、風理との別離、通り魔による負傷、自己犠牲の精神、そして事故による最期。


彼の内面が晒されていく。こうした、人のパーソナルデータというものは、神にとっては家畜の健康状態のように管理の指標に過ぎない。秘匿されるべきもの、という意識はない。しかし、私は彼が神々の玩具へと落とされたように感じてしまい、途中から目を閉じて耳を塞いでしまった。


神々は彼の来歴を聞いてうなり声を上げたり、面白そうな顔をしたり、何も興味のなさそうな様子だったりと、様々な反応を見せた。


後に穢れとなった月野風理の失踪について質問が出たが、原因はわからずとなっていた。風理のアカシックレコードは部屋の中で謎の声を聞いた時点で終わっていた。それを聞いた神々は難しい顔になる。地球の特殊な事情と、穢れが生まれた事、合わせて考えると明らかにおかしな状況になっているからだ。


地球の対応については別に協議する事となり、続いて彼の『スタジオーネ』への転生と、そこでの生活についても説明がなされる。


転生の過程で私の名前が出た時、私に神々の視線が集まる。私はビクビクしながら俯いている。無断で転生させた事について顔を真っ赤にして憤る神もいた。ペコペコと謝ると、ユーピテル様が咳をひとつついて話を続けていく。



説明が終わった時、神々は思案顔になった。


「このように、仁木勇悟の内面は複雑なものとなっている。極端な自己犠牲、依存心。鬱屈させた感情が常人よりも非常に大きく、穢れに取り込まれ不浄となった時の力に反映された。さらに、度重なる女神による神力の注入により、彼の肉体は半人半神に近い状態になっていたと考えられる。」


「半人半神……馬鹿な、人の身で神性を宿すなど……」


「しかし事実だ。そして、私が派遣した彼の幼なじみである東識音。彼女の殺害未遂が契機となり、彼の善なる人格は破綻を迎えた。結果として、悪性が穢れを増大させ、疑似神格を魔神格へと昇華させる。いや、昇華させかけた。」


魔神の名前が出てきた時に、会場がざわざわと騒然となる。


「私の施した加護によって彼の肉体と魂は時間回帰し、以前の状態に戻った。ここで問題となるのが彼の左手に宿った『悪魔の手』。なぜこの手がそのまま残されたのか、一つの推論がある。」


会場のざわめきが止まり、ユーピテル様の言葉に傾注する。


「時間回帰は肉体と魂の状態を戻すが、魂に宿る精神までは戻さない。記憶や経験などはそのまま引き継がれる。結果として、彼の内面にあった悪なる人格も残された。これは魔神格を獲得した人格、いや神格だ。つまり、彼は人間としての善なる人格と、魔神としての悪なる人格をその身に宿しているのではないか、と考えられる。」


「な、なんてことだ……」


「つまり、奴は魔神……いや、半人半魔神、という事か。」


「危険だ……一刻も早く始末すべきだ。」


「拙速な結論こそが危険だ。話を続ける。その後、仁木勇悟は克己して内なる悪の人格を御してみせた。結果として悪の人格は善の人格へと統合された。今の主人格は善へと大きく傾いており、今の彼の性質は基本的に善だ。いささか行き過ぎていて、潔癖になっているようだが。」


「しかし、何かをきっかけとして奴がまた悪へと大きく傾く事があるのでは?」


「そうなれば、奴はまた魔神へと早変わりか……」


「彼の意思の強さは間違いないが、そういう事もあるかもしれない。しかし、ここで問題になるのが、彼の悪の人格に宿ったのは本当に魔神格なのか、という点だ。彼の左手は一見すると、明らかに不浄の存在だが、しかし『極彩光』のような聖なる光を放ち、魂を浄化してみせた。」


「くっ、『極彩光』などありえない。」


「『極彩光』かどうかはともかく、魂を浄化するのは確かに聖なる御技よ。彼の手は見た目に関わらず神聖なもののはずだわ。私は彼の事を信じる。」


女神の一柱が声をあげた。愛と美の女神、ウェヌス様だ。


「な、何を言ってるんだウェヌス。奴がそんな存在なわけが……」


彼女へと反論しているのは男神マールス様。


「なにより、ミネルバが彼を愛しているのよ。美しい愛だわ。」


そういってウェヌス様は拝むように手を組んで目を閉じた。マールス様はそんな彼女の様子にぐぬぬとなっている。


その後も神々の間では、侃々諤々喧々囂々。勇悟は危険だ。いや違う。いつまで経っても結論は出そうに無い。神間会議において、こういう事は至って珍しい事だ。普段はなんだかんだ言って結論が出るのだが、今回は下手をすれば神界の危機である。真剣さが違う。


しばらく話し合ったが、ユーピテル様が頃合いを見て声を掛ける。


「静粛に」


すると、ピタリと声がやんだ。シンと静まった会場にユーピテル様の声が響く。


「どうやら結論には至らないようだ。決を採りたいと思う。論点としては彼を始末するべきか、否か。始末すべきだと考えるものは起立を。いいね?」


会場を見回すユーピテル様。うなずく神達。


「では——」



「待ってください!!」


そこでついに、私は耐えられずに立ち上がった。


「……どうしたんだい、ミネルバ?」


神々の視線が私に集まる。あまりのプレッシャーに足が震え出す。しかし、ここであきらめたら彼が危ないかもしれない。勇気を、勇気を出さなくちゃ。


「あ、あの……勇悟君は……勇悟君は……」


息が荒くなり、鼓動が早くなる。言葉にならない言葉が口から出る。


「勇悟君は、私を助けてくれました。穢れに負けて、魔神に堕ちそうになった私を救ってくれました。……確かに、彼は一時は悪魔になっていたかもしれません。だけど、最終的にはきちんと弱い自分と向き合って、打ち克ったんです。……私は彼を尊敬しています。彼の強い意志を、強い心を。」


そう言って周囲を見回す。


「この中に『自分が弱い』なんて思える神がどれだけいると言うんです。自分の弱さと向き合える神が。それが出来るのは、彼が人間だから。それが出来るのは、彼が『弱さ』というものを知っているからです。」


目を瞑って。


「……きっと彼なら、魔神にだって負けない。」


そして頭を下げる。


「お願いします。彼の事を、彼の事を見守ってあげてください。私の事はどうなっても構いません。……お願い、します。」


頭を下げたまま、じっと動かない。動けない。


目から滴り落ちたしずくがポタリと床に落ちた。


神々は静まりかえっている。



「ミネルバ、頭を上げなさい。」


ユーピテル様の低い声が上から降り注いできた。


ゆっくりと頭を上げると、無表情のユーピテル様の顔が私を見ている。


「いいかい。君の気持ちはわからなくもない。だが、神が必要以上に人間に肩入れするのは良くない。わかるね?」


「……はい。」


ユーピテル様はふと優しい目になってうなずいた。そして、口を開く。


「……では、改めて決を採る。仁木勇悟の始末を考える者は起立を。」



私は成り行きをぼんやりと見ていた。


「……うん。決まりだね。仁木勇悟は——」




「——処分保留とする。」


私は席に着いたままの神々に、改めて頭を下げた。


読んで頂きありがとうございます!

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