悪魔の手:裏
私は、識音と共に神界に戻った。
当然のようにそこには、髭を生やして厳しい顔をしたユーピテル様と、その肩の上にはフクロウのソフィアの姿があった。
私が何と言えばよいか逡巡していると、隣にいた識音が私の背中を軽く押してくれた。私は意を決して顔を上げて、ユーピテル様とソフィアを真っ直ぐ見る。
「ご、ごめんなさい……。」
それを聞いたユーピテル様はピクリと眉毛を動かす。
ソフィアは首を傾けている。
「私……その……。」
言葉を詰まらせた私に、ユーピテル様は瞑目してふぅとため息をついた。
「無事で、良かった。」
「っ……」
ユーピテル様の言葉に胸が一杯になり、泣きたくないのに目から涙が溢れ出てくる。身体が震えて、気持ちが上手く言葉にならない。
「ぅ……わたし……うぇ……ごめ……ごめんなさい……ユーピテル様にも……ソフィアにも……ひどい事、言って……悪い事たくさん……うう、ううう」
嗚咽を漏らして泣き出してしまった。
すると、そんな私の肩にふと慣れ親しんだ感触が。
顔を上げると、そこにはソフィアがいた。私の肩の上でホッホウと鳴く。
「ミネルバ様、ご無事でなによりです。……さあ、お仕事が溜まってるんですから、さっさと片付けますよ。」
ソフィアの優しさが胸に響く。
いつだってソフィアは私の隣にいてくれたのに。私が間違えてしまった時、いつだってソフィアは私に小言を言って、たしなめて、でも最後は許してくれた。このフクロウは、私の助手であり、私の友達。
「ミネルバ……君は今回、色々な失敗をした。地球の異変を私に報告しなかったのもそう。まんまと穢れに取り込まれて暴走したのもそうだ。だけど、君は色々と学んだはずだ。そうだね?」
「はい……。」
「君の起こしてしまった事は、もうどうしようもない。神の身でありながら、人との恋に溺れ、人と交わってしまった。今までに無かった事だ。正直、私もどうすればよいか困っているよ。」
「うう……。」
「君はこれから、諸神による裁きを受ける事になるだろう。場合によっては、君は消滅する事になるかもしれない。」
「それは……。」
彼と約束した事だ。裁きを受けるのは当たり前だけど、消滅するのは彼との約束を違える事になる。それだけは避けたかった。
「うん、わかっている。仁木勇悟君との約束の事だね。今回は彼に多大な迷惑を掛けてしまった。いくら管理の対象だからと言っても、彼らには人格がある。彼に対する補償は別途、神々の間で話し合われるだろう。彼との約束なら、尊重される可能性もある。」
「勇悟、君……。よかった……。」
「さあ、疲れただろう。今は休みなさい。ソフィアも、仕事があるとはいえ、無理をさせてはいけないよ。」
「ホッホウ……仕方ありませんね。」
ソフィアは肩の上でバサバサと羽ばたいた。ユーピテル様は私を穏やかな目で見つめている。
「はい……ごめんなさい、ありがとうございます……。」
私は肩を落としながら、答えた。
ユーピテル様は、私の隣にいる識音に目を向ける。次は、彼女の番だ。
◆
「ユーピテル、様。あの、お願いがあるんです。」
識音はおずおずと口を開いた。本来、人が神に直接お願いをするなどあり得ない事だ。そもそもそんな機会がないし、神がその願いを聞いてくれる訳もないのだ。だが、今回ばかりは少し事情が違った。
「ふむ……。まあ、その内容はわかっているが、言ってみなさい。」
ユーピテル様が答える。その目は識音の真意を測るように真剣だ。
「はい。あの、私は……勇悟の事が、仁木勇悟の事が好きです。出来れば、彼とずっと一緒にいたいと思っています。」
識音は自分の思いを確認するように、ぽつりぽつりと言葉を漏らす。
「それが、例え地球にいる君の家族や友人を捨てる事になってもかい?」
「……はい。もともと、私は彼に命を救われた身なんです。父や母やみんなとお別れするのは寂しいけど、やっぱり彼がいない世界は耐えられない。出来るなら、お別れぐらいは言いたいけど、私は勇悟の側にいたい。」
「…………」
ユーピテル様は彼女の目をじっと見ている。識音もまた目を逸らさずに受け止める。私は事の成り行きを見ながら、彼女の思いの強さに舌を巻いていた。
彼のために、今までの生活を捨てる。彼のために、これまで生きてきた世界を捨てる。それは、日本の平均的な中流家庭に生まれた識音にとって、あまりにも重大な決断だろう。
しばらくユーピテル様は黙っていたが、ふいにフッと笑いを零した。
「……恋は盲目というべきか。どうして、君もミネルバも彼に夢中になってしまうんだろうね。人も神も関係なく恋に狂っている。……僕にも、妻がいたんだが、君たちを見ているとつい思い出してしまうな。」
ユーピテル様の奥様であるユーノー様は、私が神となるまえに起きた神々の戦争で消えてしまったらしい。彼の口から直接その事が語られたことはないが、ユーピテル様はユーノー様を大層愛して大切にされていた、という話を聞いた。
「ふう……。本来は地球の魂が循環から抜けるなど許されない事だ。だけど、今回その禁を破ったのは私だしね。それに、君には今回の事で助けられた。その恩もある。」
「じゃ、じゃあ!」
識音がパッと顔を明るくする。
「ああ。いいだろう。東識音、君を『スタジオーネ』に転生させる。」
ユーピテル様は優しい微笑みを浮かべてうなずいた。
「や、や、やった! やったぁ!」
識音が喜びのあまり両手を上げて飛び跳ねている。私は彼女の様子が微笑ましくてニコニコしていた。
「ただし」
ユーピテル様が指を立てて、咳を一つつく。
「一度『スタジオーネ』に転生したら戻ってはこれないよ。そう何度も世界の間を行き来するのは認められない。地球で最後の別れを告げるぐらいは認めるけど、そこから戻ったら、もう君は『スタジオーネ』で生きるんだ。」
それを聞いた識音は、神妙な面持ちでうなずいた。
「地球で別れを告げた後に、もう一度だけ君の意思を確認しよう。いいね?」
「はい……。私はもう覚悟はできています。」
「そうか。じゃあ行ってきなさい。」
そう言ってユーピテル様は指をパチンと鳴らした。すると、識音が煙のようにフッと消えて、その場には私とソフィアとユーピテル様が残された。
「まったく……私も丸くなったな。」
ユーピテル様の呟きが、耳に残った。
◆
その後、私は神々による審判を受けた。
私の罪状は、次のような四点だった。
『地球の監視業務において報告を怠った事』
『穢れに憑依され神界および人界に混乱を招いた事』
『神の業務を放棄して人界に降り立った事』
『神の身でありながら人と関係を持った事』
しかし、穢れに憑依されていた事については不可抗力に近い、と判断された。そもそも、地球にあのような穢れが発生した事が想定の範囲外であり、だからこそ新神の管理業務として重宝されていたのだ。
とはいえ、穢れに簡単に憑依されてしまった事については一定の落ち度があるとされた。新神だから力が弱いとは言え、魂の浄化は業務の一つであり、ミイラ取りがミイラになる状況は許されない。
そもそも穢れを発見したら、出しゃばらずに迅速に上司であるユーピテル様に報告していれば防げた事態でもあった。やはりホウレンソウは大事なのだ。
穢れに取り憑かれて起こした数々の問題については、心神喪失状態と認められ情状酌量の余地があるとされた。とはいえ、見過ごせない事実が一つだけあった。それは、仁木勇悟という人間と関係を持った事。
神と人の間の恋物語が実際に起きた事がわかると、審判の会場内は騒然となった。好奇の目や、嫌悪の目など反応は様々だった。
そして、それは一つの疑問に収束する。即ち。
「——それで、君は彼の子を懐胎したのかね?」
その答えは。
「……わかりません。」
そう、わからなかった。私はその時、風理の肉体を受肉していた。その時の交わりの結果が、今の私の神としての身に引き継がれるのか、それはわからない。神に生殖機能はないが、受肉によって変容した私の身体がどういう反応を起こすのか、それもわからない。
この返答に神々はまた騒然となった。そもそも前例がない。受胎を確認する術もわからなければ、もし身籠もっていたとして、どのような子が生まれるのか、誰にもわからない。神のみぞ知るのではなく、神も知らないのだ。
様々な声があった。
『神と人の子など不浄の存在に決まっている。』
『いや、神の身から生まれるものが不浄であるはずはない。』
『あたしは面白いと思うけど。どんな子になるか見てみたいわ。』
侃々諤々の議論の末、結論として、とりあえず経過を見るという事になった。まだ妊娠していると決まったわけではない。私は定期的な報告を義務づけられた。
もし、彼の子を授かったのなら。私はもちろん喜んで産み育てるつもりだ。
歪んだ愛だったとはいえ、彼との『つながり』なのだ。
どんな結果になるかはわからない。
どんな子供になるかもわからない。
それでも、絶対に愛する自信があった。
◆
さらに話が進み、私が勇悟によって穢れから解放された場面に至った。
「バカな! 人間が穢れを浄化しただと!?」
そう。そうなのだ。彼が行ったのは穢れの浄化。それは即ち、『魂』の浄化という事。人の身でありながら、『魂』を扱うなどあり得ない事だった。
それは、神の御技である。
神々の審判はアカシックレコードに記された純然たる事実を元に行われる。アカシックレコードを改ざんする事はどんな神にも出来ない。なぜなら、アカシックレコードは神界の更に上におわす古代神によって授けられたものだからだ。
だから、彼が行った事に疑問の余地はない。
アカシックレコードの記録を映像化するアーティファクトが、彼の左手から七色の光が放たれる様子を映している。
「これは……まさか……」
「いや、そんなバカな。」
七色の光は私を取り巻く黒い雲を真っ白に浄化していく。私の体内に彼の左手が差し込まれ、私の全身から七色の光が放たれ、みるみると異貌化が戻っていく。
それは、まさに奇跡のような光景だった。
七色の光が画面一杯に溢れている。
「極彩光……?」
神の一柱がぽつりと零した。その一言は静かな会場に響き渡る。
極彩光。それは原始の光。
古代神による奇跡が行使される時に顕れると言われる光。
私達、神界の神々にも扱う事のできない力。
「人の身で……いや、もしかして彼は?」
「いやいや、それこそあり得ない。古代神がこんなところにいるなど。」
「それに見ろ、あの左手を。あれはまるで悪魔の手のようだ。」
彼の左手は、肘の先から赤黒く変色し、ゴツゴツと大きな手に、黒くて鋭い爪が生えている。青い光で描かれた模様が表面で輝いている。
見る者に恐怖を与える、死を体現するかのような手だ。しかし、手から放たれる七色の光は対比して安心感を与える。その光景は生と死を題材とした一枚の絵画のようだった。
「わからない……わからないが、彼は危険だ。」
「人の身でありながら人の魂を扱うなど、罪深い。」
「あの左手を見るだけでわかる。奴は邪悪な存在に違いない。」
「穢れによって魔神になりかけていた事もある。」
「脅威は排除すべきだ。」
神々から勇悟を危険視し、排除を求める声が大きくなってくる。彼らの表情は一様に暗い。それは、未知への恐怖。本来、管理対象であるはずの人が、彼らに反旗を翻すのではないか、という恐れ。人の身でありながら、神へ到達しうる力の前に、彼らは危機感を抱いているのだ。
「待ちなさい。」
そこで、低くてよく響く声が彼らを遮った。それを契機として会場は水を打ったように静かになる。
その声の持ち主はユーピテル様だ。
ユーピテル様は、神々を束ねる立場、神長を務めている。今回のような審判や会議では議長として進行を行っている。今回、彼はあまり積極的に発言していない。当事者の一柱であるため、客観性を重視している彼は自重しているのだ。
「いささか結論が性急すぎるようだ。」
彼は会場を見回す。
「確かに彼が正体不明の力を持ち、神に近い存在である事は疑いようがないだろう。しかし、その正体が邪悪なものであると決まった訳ではない。むしろ、極彩光のような神聖で侵さざる気配を感じるのも確かだ。」
そこで彼は一度言葉を切り、映像を見る。
「彼が行ったのは魂の浄化。迷える魂の解放だ。それは決して邪悪な存在が行う事では無いはずだ。」
なぜならそれは、神々の業務であり、神聖な行為だから。
「今回、彼は穢れに侵され魔神となりかけた。だが、最終的に彼は克己して穢れを打ち破った。私としては、こちらの方がよほど人の身として奇跡的な行いだと考える。穢れに取り込まれた人間は不浄の存在となり、人格を取り戻すなど考えられない事だったはずだ。」
会場から、彼の言葉にうなずく神も現れる。ユーピテル様の加護によるものとはいえ、あそこまで侵食が進んだら善なる意思など吹いて飛ぶようなものだ。私自身、穢れに取り込まれたら抵抗のしようがなかった。
「彼の意思の強さは間違いない。それは、我々でも及ばないほどだ。彼がミネルバを救ったのも事実。よって私は、彼への処断は様子を見るべきだと考える。」
鶴の一声だった。普段のユーピテル様では考えられない事だ。一体、何が彼をそこまで言わせているのか私にはわからなかったが、勇悟にとっても、私にとっても朗報だった。
「そもそも、ここは女神ミネルバの裁きの場。議論を進める。」
ユーピテル様は最後にとってつけたように付け加えた。議長の立場としては当たり前の事だが、私には照れ隠しのように感じられた。
◆
そして、審判は量刑作業へと進む。罪に応じた刑が決定されるのだ。
神々の審判は、基本的に多数決。過半数の結論が是とされる。今回の審判のようなケースでは、まず罪状に基づいて刑の提案が議長によってなされる。その可否を多数決で決定し、否決されれば再度議論を行って刑案を修正する。
「それでは、女神ミネルバの罪状に基づき、刑の提案を行う。」
ユーピテル様が厳かに宣言する。周りの神々は静粛に続きを待つ。
私は会場の中央に立って裁定を待つ。
「女神ミネルバは、引き続き地球の監視業務を継続。世界『スタジオーネ』における管理権の一部『顕現権』『魔法行使権』『才能付与権』を剥奪。
そして——尻叩き100回だ。」
会場からどよめきが起こる。もちろん、尻叩きなんて刑は聞いた事がない。
「尻叩き……?」
という会場からの当然の疑問に対してユーピテル様が捕捉する。
「ああ、私から提案について説明しよう。まず、地球の監視業務継続について、彼女が今回の反省を踏まえて、身を入れて行う事が期待できる。他に適当な新神もいない、という事情もあるが。」
違う、そこじゃない、という神々の声が聞こえるようだ。
「今回の騒動となった世界『スタジオーネ』の管理権の一部剥奪についてだが、彼女の引き起こした問題は大きいとはいえ、局所的である。心神喪失状態であるという情状も鑑みて、完全剥奪とするのは重すぎるように思う。よって一部剥奪を提案する。」
管理権を奪う事は即ち神としての力を奪う事であり、神の中では重い刑だ。
確かに今回の騒動で影響を受けたのは、プリマベラ大陸の一部であり、数人の冒険者が勇悟の手によって始末されたのみだ。神にとって、人の命はそれほど重いわけではない。魂が循環するからだ。ただし、一個の人格を軽視するのは倫理上あまり良くないとされているだけだ。
「人界への顕現や魔法の行使によって、人界に影響を与えるのは禁止し、必要ならば上司の判断を必須とする。また、助手からの報告によると女神ミネルバは仁木勇悟に過剰に才能を付与していた節があるらしい。こちらも禁止とする。」
勇悟の名前が出た事で、再び聴衆がざわつき始めたが、ユーピテル様が咳を一つすると静まった。
「そして、最後の尻叩きについてだが——」
神々が一斉に身を乗り出す。興味津々といった感じだ。
「私からの個人的な刑だ。以上。」
ズコーッと音が聞こえそうな勢いで神々が突っ伏した。
なお、提案は過半数で可決された。
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