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ありがとう:裏・前編

勇悟の身体が『愛の力』に包まれていく。


私はその光景に笑いが止まらなかった。



彼は、ついに孵化しようとしているのだ。


人間という卵を割り、神へと昇華しようとしているのだ。



ああ、なんて美しい光景。


ああ、なんて愛おしい。



彼の肉体はどんどんと姿形を変えていく。より美しく、よりかっこよく。私の目は彼の変貌に釘付けだ。胸の高鳴りが止まらない。彼が私と同じ存在になっていく。彼と1つになれる。


邪魔者が彼を殺しかけた時はどうなる事かと思ったが、蓋を開けてみれば彼の次のステップへの『きっかけ』となってくれた。彼は絶望に染まれば染まるほど、強くなっていく。『愛の力』だけではない、彼自身の奥底にあった負の力が物凄く強くて大きい。表に出てきた()は、私の理想だった。


邪魔者は彼の手を握って泣いている。鬱陶しいけど機嫌が良かったので見逃してあげた。どうせ彼が目覚めたら、彼の手で始末されるのだから。神となった彼の力試しの相手としてちょうどいいだろう。


そうこうしている内に彼の肉体の脈動が収まり、覚醒が近づいているようだ。目覚めた彼は、きっと私と一緒になってくれるはずだ。


「うふ、うふふふふ。早く目を覚ましてね、勇悟。」


もう待ちきれないわ。




しかし、彼はいっこうに目を覚まさない。


「勇悟……まだかな? 早く愛し合いたいよ。」


待ちきれずに寝ている彼の唇に口づけする。よりたくましくなった全身を堪能する。胸の高鳴りは最高潮を迎えて、彼の口の中を蹂躙する。



すると。


今まで彼の手を握って動かなかった邪魔者が、動き出した。


彼の身体に跨がる私を見て、赤くなって口をパクパクしている。


ふふ、もっと見せつけてあげないと。



そして私が一層激しく彼を貪ろうと思った時。


突然、彼の全身を覆うように『ドーム』が現れた。


「きゃっ!」


私は彼の身体から吹き飛ばされる。



どうやらドームは中に何も通さないようだ。光すら通さないため真っ黒で、中の様子を見通す事はできない。


「何よこれ!!」


試しに『愛の力』で割ろうと試みたが、一切干渉できない。ドームの中は完全にこの世界の外に置かれてしまったらしい。


「勇悟を、私の勇悟を返してよぉ!!」


力任せにドームを叩いてみるが、割れる気がしない。


「はぁっ……はぁっ……」


他にも思いつく限りの手段を講じたが、何をやっても通じなかった。



ドームは宙に浮き、今は完全な球となっている。


「もしかして……卵、なの?」


彼の身体を包む黒い球。それは私に卵を連想させた。


もしそうだとしたら、彼はあの中で更なる変化を進めているのかもしれない。あの姿が彼の最終形ではなかった。その予感は私の胸を高鳴らせた。


「ふふ……ふふふ……そっかぁ。」


急に黒い卵が愛おしく思えた。私はスリスリと球に頬ずりをする。


「ああ……勇悟……一体どうなってしまうの……? どこまでいけるの……? すごい、すごいわ……。 私の主人公……。」


彼への愛おしさが高まり、身体中に熱を帯びていく。


「勇悟……早く見せて……早く、私にあなたを見せてぇ。あなたの全てを私に見せてぇ。ああ、勇悟……」


そう良いながら、卵に何度も口づけする。ああ、我慢できない。



何分そうしていたかわからない。何時間愛を囁き続けたかわからない。


まるでお腹の中の子供に話しかける母親のように、卵を愛し続けた。



そして、ついにその時が訪れる。



——ピキリ



卵にヒビが走る。


「あぁっ!! ついに、ついに!!」


ピキピキとヒビは大きくなっていく。


「勇悟ぉ! 勇悟ぉ!!」


卵全体にヒビが広がり、卵が破片となっていく。


「あああ!! 好き! 大好き!! 勇悟ぉぉぉ!!」



黒い卵が完全にひび割れ、破片を散らして消えていく。


黒いかけらが、キラキラと光の粒子になっていく。


中にいる存在が、その姿を顕わにしていく。



「……え」



その容貌は、私の予想を裏切るものだった。



黒い髪、黒い眼。


黒くも赤くもない、肌の色。


身長は約170cm。太くもなく細くもなく、筋肉質でもない身体。


眉間にも、こめかみにも、角は無い。


牙は生えておらず、手足には鋭い爪もない。


背中には何も生えていない。



そこには、人間の姿の仁木勇悟が、生まれたままの姿で立っていた。



「……なん……で……」


勇悟は閉じていた目をゆっくりと開き、優しそうな相貌で私を見る。


「うそ……うそ……そ、そうよ。きっとこれが、この姿があなたの最終形なのね。強そうには見えないし、私の理想とは違うけど、でも、私はあなたを——」


「風理」


彼が私の名前を呼んだ。私の半身の名前を。



「ごめんね。」


彼が目を伏せて私に言う。私は彼の言葉を理解できない。



「な、なんで謝るの勇悟? 謝ることなんてない、だってあなたは——」


「もう僕は、君の隣にはいられない。」


「っ!? ……な……なに……を……」


「もう僕は、君の言う通りにはならない。」


「…………」


「もう僕は、君の、君だけのモノじゃないんだ。」


「い……や……嫌よ……」


「僕には大切な人がいる。護りたい人がいるんだ。」


「うそ……うそ……それは、私……私だけ……」


しかし、彼は首を横に振る。


「ごめんね、風理。」


そして彼は、彼に近づいていた邪魔者に目を向ける。彼と邪魔者は微笑みあう。



「……だめ……だめよ! あなたは! 勇悟は私だけのもの! 私だけの主人公なのよ!!」


そういって、私は彼に駆けよって飛びつく。彼は私を受け止めてくれる。


「また私を見捨てるの? また私を裏切るの!? 勇悟!!」


彼を縛る言葉を口にする。しかし、彼は動じること無く私を見据えた。


「風理。もう僕は逃げない。君と向き合うって決めたんだ。」


彼の黒くて優しい瞳がしっかりと私を捉えている。


「僕は君を見捨てた。君から離れた。君をひとりにした。それは全て、僕がやったこと。僕の弱さが、君を傷つけてしまった。」


彼の瞳の中には、涙を流している私が映っている。


「君にはいくら謝っても足りないと思う。僕は君の事なら何でもやるつもりだった。君の願いを何でも叶えてあげたかった。」


私の願い。それは彼と一緒になることなのに。


「でも、それじゃあダメなんだ。君は僕を求めて、僕も君に依存して、このままだと、どんどん二人だけになってしまう。」


二人きりでいいじゃない。他に何もいらない。


「二人だけは、寂しいよ。」


そういって彼は私から視線をきって目を伏せた。



二人だけは、寂しい。



そこで初めて、私を見つめる視線に気づいた。


私と彼の間を引き裂こうとする、邪魔者。


すでに外套のフードは下ろしていて、黒髪を外気に晒している。


明るくて活発そうな彼女は、私の事を心配そうに見ている。



東識音。


私の親友だった子。


私の代わりに怒り、私のために闘ってくれた子。


私がひとりになるまで、一緒にいてくれた子。



「風理ちゃん……ごめんなさい」


彼女もまた私に謝った。


「あなたを最後まで護ってあげられなくて。側にいてあげられなくて。」


彼女の言葉を、私の心が否定する。


違う。そうじゃない。彼女を遠ざけたのは私。


「私の中にも、弱い心が、あったの。」


彼女は告白する。


「風理ちゃん。あなたと……勇悟が、楽しそうに話しているのが、うらやましかった。勇悟が、あなたに笑いかけるのが、うらやましかった。」


彼女は俯きながら独白を続ける。


「勇悟が風理ちゃんから離れるのを見て、それを密かに喜んでいる私がいた。醜い私がいたの。勇悟の代わりにあなたを護る事で、小さな優越感に浸っていたんだと、思う。」


彼女の目から。


「あなたが私を拒絶したんじゃない。私が、あなたを裏切っていた……。」


ぽろぽろと涙が零れている。


「ごめん……ごめんなさい……風理ちゃん……」



そんな彼女を見て。


泣いている女の子を見て。


私は彼女を優しく抱きしめた。



「か……ざり……ちゃん」


「識音ちゃん……ごめん……」


「う……うぅ……」


彼女は嗚咽をもらし、私と一緒になって泣いた。


私もぐしゃぐしゃの泣き顔になっていた。



どうして気が付かなかったんだろう。



私は、寂しかったんだ。



みんなが私から離れていって、愛する人も離れていって。


ついには一番近くにいてくれた彼女まで、自分から遠ざけてしまった。


一人で本を読むとき、幸せだった。


でも、隣に誰かがいれば、もっと幸せだった。


私は寂しくて、寂しくて、仕方が無かったんだ。



寂しかったから、彼を求めた。


一緒になりたかった。


彼が私から離れた事を恨んだ。



私は優しい彼の気持ちを利用して、彼を手に入れた。


他の女の子達から遠ざけ、彼をひとりにした。


私は、彼に私と同じ苦しみを味合わせた。



私の中にも弱い心があった。


誰だって、弱い心を持っているんだ。


人は一人じゃ生きられない。


自分の弱い心に立ち向かうには、他の誰かの助けがいるんだ。



私は識音の手を拒んだ。


彼女は私を助けようとしてくれていたのに。



私は勇悟を頼った。勇悟に助けを求めた。


でも、それは間違った方法で。


彼は私を支えるどころか、私と一緒になって腐ってしまった。



彼と愛し合うとき、幸せだった。


満たされた気がしていた。


でもそれは、傷を舐め合っていただけだった。



私は彼の大切な人たちを傷つけた。


彼女達から彼を無理矢理に奪い取った。



私は、バカだ。大馬鹿だ。




しばらく識音と抱き合って泣いていた。


彼女も私も、わんわんと大声をあげて泣いた。



涙が収まってきた頃、私の身体に変化が起こる。



すでに私の一部となっていた『愛の力』。


黒い煙のように、シューシューと私の身体中から噴き出していく。



私の中にあった、様々な負の感情が薄まっていく。


彼と愛し合う彼女達への嫉妬。


彼と一つになりたいという色欲。


彼を私だけのものにしたいという強欲。


彼以外のものはどうでもいいという怠惰。


彼と一緒にすべてを味わいたいという貪食。


彼が私を裏切り見捨てたことへの憤怒。


私が女神様であるという傲慢。



同時に、私の中にいた月野風理という存在も薄くなっていく。


あと少しだけ、彼と彼女に言っておかなければならない事がある。



私は、黒い煙に戸惑っている二人に声を掛ける。


「仁木君、識音ちゃん。」


二人は私を驚いた表情で見ている。私が薄くなっていく事で、私の姿も風理をやめようとしている。


「もう消えちゃうから、最後に少しだけ言わせて。」


それを聞いた識音は涙目でイヤイヤするように首を振る。


「やだ……やだよぅ……せっかく会えたのに、もうお別れなんて……」


「ふふ、識音ちゃんは相変わらずだね。」


識音の昔と何一つ変わらない様子に嬉しくなる。



私は深呼吸してから、二人に伝える。


「ありがとう。私を救ってくれて。私の隣にいてくれて。」


少しずつ意識が遠のいていく。


「私は、ひとりじゃなかった。」


二人の声が聞こえなくなる。


「二人と一緒に遊んだ事、忘れないよ。」


だんだんと手足の感覚がなくなっていく。


「私は幸せだったよ。だから、二人も幸せになってね。」


ああ、よかった。


「ばいばい。」


最後にちゃんとお別れが言えた。


あの時とは違って、二人の顔を見ながら。



ふふ、顔をぐしゃぐしゃにしてる識音ちゃん、子供みたいでかわいいな。


仁木君、ちゃんと慰めてあげてね?



ふわっとした光が私を包む。


どこからか鐘の音が聞こえる。


低い声が私を迎えてくれる。



パパ、ママ。ごめんね。


ありがとう。



また、どこかで。


読んで頂きありがとうございます!


後編に続きます。

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