ありがとう:裏・前編
勇悟の身体が『愛の力』に包まれていく。
私はその光景に笑いが止まらなかった。
彼は、ついに孵化しようとしているのだ。
人間という卵を割り、神へと昇華しようとしているのだ。
ああ、なんて美しい光景。
ああ、なんて愛おしい。
彼の肉体はどんどんと姿形を変えていく。より美しく、よりかっこよく。私の目は彼の変貌に釘付けだ。胸の高鳴りが止まらない。彼が私と同じ存在になっていく。彼と1つになれる。
邪魔者が彼を殺しかけた時はどうなる事かと思ったが、蓋を開けてみれば彼の次のステップへの『きっかけ』となってくれた。彼は絶望に染まれば染まるほど、強くなっていく。『愛の力』だけではない、彼自身の奥底にあった負の力が物凄く強くて大きい。表に出てきた彼は、私の理想だった。
邪魔者は彼の手を握って泣いている。鬱陶しいけど機嫌が良かったので見逃してあげた。どうせ彼が目覚めたら、彼の手で始末されるのだから。神となった彼の力試しの相手としてちょうどいいだろう。
そうこうしている内に彼の肉体の脈動が収まり、覚醒が近づいているようだ。目覚めた彼は、きっと私と一緒になってくれるはずだ。
「うふ、うふふふふ。早く目を覚ましてね、勇悟。」
もう待ちきれないわ。
◆
しかし、彼はいっこうに目を覚まさない。
「勇悟……まだかな? 早く愛し合いたいよ。」
待ちきれずに寝ている彼の唇に口づけする。よりたくましくなった全身を堪能する。胸の高鳴りは最高潮を迎えて、彼の口の中を蹂躙する。
すると。
今まで彼の手を握って動かなかった邪魔者が、動き出した。
彼の身体に跨がる私を見て、赤くなって口をパクパクしている。
ふふ、もっと見せつけてあげないと。
そして私が一層激しく彼を貪ろうと思った時。
突然、彼の全身を覆うように『ドーム』が現れた。
「きゃっ!」
私は彼の身体から吹き飛ばされる。
どうやらドームは中に何も通さないようだ。光すら通さないため真っ黒で、中の様子を見通す事はできない。
「何よこれ!!」
試しに『愛の力』で割ろうと試みたが、一切干渉できない。ドームの中は完全にこの世界の外に置かれてしまったらしい。
「勇悟を、私の勇悟を返してよぉ!!」
力任せにドームを叩いてみるが、割れる気がしない。
「はぁっ……はぁっ……」
他にも思いつく限りの手段を講じたが、何をやっても通じなかった。
ドームは宙に浮き、今は完全な球となっている。
「もしかして……卵、なの?」
彼の身体を包む黒い球。それは私に卵を連想させた。
もしそうだとしたら、彼はあの中で更なる変化を進めているのかもしれない。あの姿が彼の最終形ではなかった。その予感は私の胸を高鳴らせた。
「ふふ……ふふふ……そっかぁ。」
急に黒い卵が愛おしく思えた。私はスリスリと球に頬ずりをする。
「ああ……勇悟……一体どうなってしまうの……? どこまでいけるの……? すごい、すごいわ……。 私の主人公……。」
彼への愛おしさが高まり、身体中に熱を帯びていく。
「勇悟……早く見せて……早く、私にあなたを見せてぇ。あなたの全てを私に見せてぇ。ああ、勇悟……」
そう良いながら、卵に何度も口づけする。ああ、我慢できない。
何分そうしていたかわからない。何時間愛を囁き続けたかわからない。
まるでお腹の中の子供に話しかける母親のように、卵を愛し続けた。
そして、ついにその時が訪れる。
——ピキリ
卵にヒビが走る。
「あぁっ!! ついに、ついに!!」
ピキピキとヒビは大きくなっていく。
「勇悟ぉ! 勇悟ぉ!!」
卵全体にヒビが広がり、卵が破片となっていく。
「あああ!! 好き! 大好き!! 勇悟ぉぉぉ!!」
黒い卵が完全にひび割れ、破片を散らして消えていく。
黒いかけらが、キラキラと光の粒子になっていく。
中にいる存在が、その姿を顕わにしていく。
「……え」
その容貌は、私の予想を裏切るものだった。
黒い髪、黒い眼。
黒くも赤くもない、肌の色。
身長は約170cm。太くもなく細くもなく、筋肉質でもない身体。
眉間にも、こめかみにも、角は無い。
牙は生えておらず、手足には鋭い爪もない。
背中には何も生えていない。
そこには、人間の姿の仁木勇悟が、生まれたままの姿で立っていた。
「……なん……で……」
勇悟は閉じていた目をゆっくりと開き、優しそうな相貌で私を見る。
「うそ……うそ……そ、そうよ。きっとこれが、この姿があなたの最終形なのね。強そうには見えないし、私の理想とは違うけど、でも、私はあなたを——」
「風理」
彼が私の名前を呼んだ。私の半身の名前を。
「ごめんね。」
彼が目を伏せて私に言う。私は彼の言葉を理解できない。
「な、なんで謝るの勇悟? 謝ることなんてない、だってあなたは——」
「もう僕は、君の隣にはいられない。」
「っ!? ……な……なに……を……」
「もう僕は、君の言う通りにはならない。」
「…………」
「もう僕は、君の、君だけのモノじゃないんだ。」
「い……や……嫌よ……」
「僕には大切な人がいる。護りたい人がいるんだ。」
「うそ……うそ……それは、私……私だけ……」
しかし、彼は首を横に振る。
「ごめんね、風理。」
そして彼は、彼に近づいていた邪魔者に目を向ける。彼と邪魔者は微笑みあう。
「……だめ……だめよ! あなたは! 勇悟は私だけのもの! 私だけの主人公なのよ!!」
そういって、私は彼に駆けよって飛びつく。彼は私を受け止めてくれる。
「また私を見捨てるの? また私を裏切るの!? 勇悟!!」
彼を縛る言葉を口にする。しかし、彼は動じること無く私を見据えた。
「風理。もう僕は逃げない。君と向き合うって決めたんだ。」
彼の黒くて優しい瞳がしっかりと私を捉えている。
「僕は君を見捨てた。君から離れた。君をひとりにした。それは全て、僕がやったこと。僕の弱さが、君を傷つけてしまった。」
彼の瞳の中には、涙を流している私が映っている。
「君にはいくら謝っても足りないと思う。僕は君の事なら何でもやるつもりだった。君の願いを何でも叶えてあげたかった。」
私の願い。それは彼と一緒になることなのに。
「でも、それじゃあダメなんだ。君は僕を求めて、僕も君に依存して、このままだと、どんどん二人だけになってしまう。」
二人きりでいいじゃない。他に何もいらない。
「二人だけは、寂しいよ。」
そういって彼は私から視線をきって目を伏せた。
二人だけは、寂しい。
そこで初めて、私を見つめる視線に気づいた。
私と彼の間を引き裂こうとする、邪魔者。
すでに外套のフードは下ろしていて、黒髪を外気に晒している。
明るくて活発そうな彼女は、私の事を心配そうに見ている。
東識音。
私の親友だった子。
私の代わりに怒り、私のために闘ってくれた子。
私がひとりになるまで、一緒にいてくれた子。
「風理ちゃん……ごめんなさい」
彼女もまた私に謝った。
「あなたを最後まで護ってあげられなくて。側にいてあげられなくて。」
彼女の言葉を、私の心が否定する。
違う。そうじゃない。彼女を遠ざけたのは私。
「私の中にも、弱い心が、あったの。」
彼女は告白する。
「風理ちゃん。あなたと……勇悟が、楽しそうに話しているのが、うらやましかった。勇悟が、あなたに笑いかけるのが、うらやましかった。」
彼女は俯きながら独白を続ける。
「勇悟が風理ちゃんから離れるのを見て、それを密かに喜んでいる私がいた。醜い私がいたの。勇悟の代わりにあなたを護る事で、小さな優越感に浸っていたんだと、思う。」
彼女の目から。
「あなたが私を拒絶したんじゃない。私が、あなたを裏切っていた……。」
ぽろぽろと涙が零れている。
「ごめん……ごめんなさい……風理ちゃん……」
そんな彼女を見て。
泣いている女の子を見て。
私は彼女を優しく抱きしめた。
「か……ざり……ちゃん」
「識音ちゃん……ごめん……」
「う……うぅ……」
彼女は嗚咽をもらし、私と一緒になって泣いた。
私もぐしゃぐしゃの泣き顔になっていた。
どうして気が付かなかったんだろう。
私は、寂しかったんだ。
みんなが私から離れていって、愛する人も離れていって。
ついには一番近くにいてくれた彼女まで、自分から遠ざけてしまった。
一人で本を読むとき、幸せだった。
でも、隣に誰かがいれば、もっと幸せだった。
私は寂しくて、寂しくて、仕方が無かったんだ。
寂しかったから、彼を求めた。
一緒になりたかった。
彼が私から離れた事を恨んだ。
私は優しい彼の気持ちを利用して、彼を手に入れた。
他の女の子達から遠ざけ、彼をひとりにした。
私は、彼に私と同じ苦しみを味合わせた。
私の中にも弱い心があった。
誰だって、弱い心を持っているんだ。
人は一人じゃ生きられない。
自分の弱い心に立ち向かうには、他の誰かの助けがいるんだ。
私は識音の手を拒んだ。
彼女は私を助けようとしてくれていたのに。
私は勇悟を頼った。勇悟に助けを求めた。
でも、それは間違った方法で。
彼は私を支えるどころか、私と一緒になって腐ってしまった。
彼と愛し合うとき、幸せだった。
満たされた気がしていた。
でもそれは、傷を舐め合っていただけだった。
私は彼の大切な人たちを傷つけた。
彼女達から彼を無理矢理に奪い取った。
私は、バカだ。大馬鹿だ。
◆
しばらく識音と抱き合って泣いていた。
彼女も私も、わんわんと大声をあげて泣いた。
涙が収まってきた頃、私の身体に変化が起こる。
すでに私の一部となっていた『愛の力』。
黒い煙のように、シューシューと私の身体中から噴き出していく。
私の中にあった、様々な負の感情が薄まっていく。
彼と愛し合う彼女達への嫉妬。
彼と一つになりたいという色欲。
彼を私だけのものにしたいという強欲。
彼以外のものはどうでもいいという怠惰。
彼と一緒にすべてを味わいたいという貪食。
彼が私を裏切り見捨てたことへの憤怒。
私が女神様であるという傲慢。
同時に、私の中にいた月野風理という存在も薄くなっていく。
あと少しだけ、彼と彼女に言っておかなければならない事がある。
私は、黒い煙に戸惑っている二人に声を掛ける。
「仁木君、識音ちゃん。」
二人は私を驚いた表情で見ている。私が薄くなっていく事で、私の姿も風理をやめようとしている。
「もう消えちゃうから、最後に少しだけ言わせて。」
それを聞いた識音は涙目でイヤイヤするように首を振る。
「やだ……やだよぅ……せっかく会えたのに、もうお別れなんて……」
「ふふ、識音ちゃんは相変わらずだね。」
識音の昔と何一つ変わらない様子に嬉しくなる。
私は深呼吸してから、二人に伝える。
「ありがとう。私を救ってくれて。私の隣にいてくれて。」
少しずつ意識が遠のいていく。
「私は、ひとりじゃなかった。」
二人の声が聞こえなくなる。
「二人と一緒に遊んだ事、忘れないよ。」
だんだんと手足の感覚がなくなっていく。
「私は幸せだったよ。だから、二人も幸せになってね。」
ああ、よかった。
「ばいばい。」
最後にちゃんとお別れが言えた。
あの時とは違って、二人の顔を見ながら。
ふふ、顔をぐしゃぐしゃにしてる識音ちゃん、子供みたいでかわいいな。
仁木君、ちゃんと慰めてあげてね?
ふわっとした光が私を包む。
どこからか鐘の音が聞こえる。
低い声が私を迎えてくれる。
パパ、ママ。ごめんね。
ありがとう。
また、どこかで。
読んで頂きありがとうございます!
後編に続きます。




