ありがとう:表・後編
ディーナは黙って僕達の様子を見守ってくれた。
彼女に一言お礼を言ったが、寂しそうにしていたので、もう一度固く抱擁して、彼女とも口づけを交わした。
桜色の小さな唇は可愛い。僕が離れると、まだ寂しそうにしていた。やっぱり、ディーナは結構甘えん坊だ。
「二人とも、本当にありがとう。」
識音とディーナは、顔を合わせて笑っている。
「これから僕は、僕がやってしまった事、色々な現実に立ち向かわなくちゃいけないと思う。多分、辛い道のりになるはずだ。……だけど、君たちがいれば、乗り越えられると思う。」
二人は微笑んでいる。
「いっぱい迷惑をかけるかもしれない、僕の事だからまた失敗するかもしれない。でも、僕の隣にいてほしい。僕と一緒に歩いてほしい。」
二人は一緒にうなずいた。
「これからも、よろしくね。」
そう言って、お辞儀した。
二人とはもっと話したい事があるけど、僕にはやらなくちゃいけない事がある。
名残惜しそうにする二人と別れる。
二人は暗闇の中に消えていった。
◆
そして、僕は最後に彼と向き合う。
黒い髪。赤い瞳。
彼は逃げ出した僕の代わりに彼女と愛し合った。
赤くて黒い肌。三本の角。
彼は常に彼女を受け入れて彼女を肯定した。
膨張した筋肉。ドラゴンの翼。
彼はいつだって彼女の味方だった。
2mを超える身長。全身に描かれた流線模様。
彼は僕の弱い心が生み出した『怪物』だ。
「やあ、僕。」
すると、彼はおもむろに口を開いた。
「俺はもう僕じゃない。俺は強くなった。」
「うん、そうだね。君は強いよ。」
「風理が俺の全てなんだ。ディーナも、識音も。もう要らない。」
「……風理には、悪いと思っているんだ。」
「お前は風理から逃げたじゃないか。今さら彼女とやり直そうなんて、虫が良すぎる。俺は彼女を護りたい。お前の出る幕はない。」
「うん……わかってる。」
「お前は卑怯者だ。俺は彼女から逃げたりなんかしない。彼女を全て受け入れる。例え、彼女が悪魔だったとしても。例え、彼女が女神だったとしても。」
「…………」
「俺はこれから風理と1つになる。彼女からもらった『愛の力』で、俺は神と等しくなったんだ。俺の、俺たちの邪魔をするなら容赦はしない。」
「……そう。」
「俺はお前を、俺の中から消滅させる。俺の中に、弱い自分なんて必要ない。」
そういって、彼は神として得た力を僕に向ける。
黒い槍の形を象った、見ただけで精神が壊れてしまうような、恐ろしい力だ。
しかし、そんな槍を向けられても、僕は一歩も動かない。
「どうした? この力が怖いか?」
その力に触れれば、『僕』は一瞬で消えてしまうだろう。そして、僕は『俺』となり、風理と1つになるのだろう。
だがしかし、僕には譲れないものがあった。
「……正直に言えば、恐ろしいよ……。でも、僕はもう、逃げるわけにはいかないんだ。」
「なんだって?」
「僕がここで逃げたら、ディーナが、エルサが、識音が、僕の護りたい人たちが危険な目に遭う。」
「ふん、もう俺には風理しか必要ない。他の奴らはどうだっていい。」
そう、彼はもう風理しか護るつもりはない。風理は彼に近づこうとするもの全てを殺してくれと彼に願うだろう。彼はその願いを受け入れ、全てを破壊し尽くす。そんな事、そんな事は絶対に許さない。
「ダメだよ。それは間違っている。……風理を想う心は美しいけど、それはまやかしだ。その想いに従い続けたら、きっと僕は、きっと君は、後悔する。」
それを聞いた彼は、プルプルと震えだした。僕の言葉は、手痛い刃となって彼の心に傷を付けている。
「う……るさ……い……」
彼は震えながら口を開く。
「うるさい……うるさい! うるさい!! それでも!! それでも俺はもう!! もう彼女しかいないんだ!! みんな、みんな、離れてしまったんだ!! 俺には風理しかいないんだ!!!」
ついに彼は咆哮をあげる。
「なんで俺ばっかりこんな目に遭うんだ!! なんで風理を傷つけたあいつらは笑っていられる!! なんで俺や風理が我慢しつづけなくちゃいけないんだ!! もうどうだっていい!! 俺は風理さえいれば!! あああああ!!」
そこには、抑圧され、我慢して、殺され続けていた僕がいた。
誰かを護るために、犠牲にしてきた感情が、彼を生み出した。
僕の心の奥底に確かに存在していた、僕の闇。
殺意、憎悪、敵意、不平、不満、呪詛、怨恨。
僕の中にある負の感情が膨れあがり、爆発したのが彼の姿なのだ。
人である事をあきらめ、人に対して絶望したのだ。
僕は、そんな彼を見て。
そんな僕の姿を見て。
「そうだ。」
肯定した。
「そう、君は確かに僕だ。」
「な、何を言っている……!!」
「僕の中には、確かに君がいる。周囲を呪い、自暴自棄になり、誰かに依存したい。そういう気持ちが僕の中にある。」
「…………」
「僕は卑怯者だ。誰かを護る事を理由にして、君から目を背けていた。いつだって、君は僕の中で訴えていたのに。苦しい、嫌だ、と訴え続けていたのに。」
「…………」
「ねえ、僕。」
彼はビクリと大きな身体を震わせる。その顔は親に叱られる子供のようだ。
「もう一度、やり直そう。」
「な、なにを——」
「はじめからだ。僕と君は1からやり直そう。僕はもう君から目を背けたりしない。だから、君も自棄になって僕の事を諦めないでほしい。」
「う……うう……」
「僕達はきっと仲良くなれる。一緒に歩いて行こう。」
そして、僕は手を差し出した。
差し出したのは左手。
左手での握手は逆の意味になってしまうけど、それでも僕は左手にこだわった。
左腕にある大きな傷。この傷は、彼を抑圧していた証だからだ。
自分を犠牲にし、人を護り、排斥された。それでも僕は彼を殺し続けた。
左手での握手はそんな彼へのけじめ。過去の自分への決別だった。
彼はたじろぎながら、僕の手を見ていた。
不安なのだろう。恐ろしいのだろう。彼の気持ちが僕には理解できた。
しばらくそうしていた彼は、ついに、おずおずと左手を差し出した。
ためらいがちに僕の手を掴んだ彼の手。
赤黒くて、ゴツゴツしていて、鋭い爪が生えている。
彼の手は震えていた。僕は彼の冷たい手をしっかりと握る。
彼は、逃げていた僕の代わりに傷ついてきた。
僕は彼を受け入れて、前に進まなければならない。
僕達はしっかりと握手を交わす。
彼の顔からはもう怯えた表情は消えていて、穏やかな顔になっている。
次第に、彼の身体が薄くなっていく。
「ありがとう、僕。」
僕が感謝をつげると、彼は微笑んだ。
「……お前と俺はもう一心同体。俺の事、これからも忘れないでよ。」
「うん、わかってる。わかってるよ……。」
僕は静かに涙を流した。
そして、後には僕だけが残された。
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