夢の果てに:間
【起死回生】で彼の時間が巻き戻る。
そのはずだった。
「……【起死回生】が……発動しない……?」
私が殺した勇悟は、地に倒れ伏したままピクリとも動かない。私が右手を突き刺した胸からは、ドクドクと青い血が流れている。彼の肉体はどんどん熱を失っていく。
ユーピテルによると、【起死回生】は致命的なダメージを受けた時に発動する。決して、死んだ後に発動するわけではないのだ。彼の命の火が風前の灯火である事は明らかだった。
「どう、して……なんで……?」
私は震えながら彼に近づき、跪く。反対側には、彼に縋り付いて泣く風理。
ユーピテルが言っていた事は嘘だったのか?
「いや……いやあ……いやあああああああ!!」
ありえない。
いやだ。
彼を失いたくない。
風理が幽鬼のような表情で私を見る。
「あなたが……あなたが殺したくせに!」
その言葉は私の心を切り裂いた。
「ちが……ちがう……私は……そんなつもり、じゃ……」
「ふざけないで! あなたが! あなたが勇悟を殺したのよ!!」
私の中に風理の言葉が木霊する。目に涙が溢れ出す。
その時。
——ドクン
何かの大きな脈動が、彼の身体から聞こえてきた。
——ドクン
【起死回生】ではない。【起死回生】であれば脈動などなく、彼の肉体は凍結されて時間の遡行が始まるはずだ。
——ドクン
脈動とともに、彼の身体はビクンと跳ねる。
——ドクン
風理が顔を上げて、その様子を驚愕の表情で見ている。
——ドクン
「……孵化?」
風理がぽつりと呟く。
——ドクン、ドクン、ドクン
禍々しい力が、彼の身体から漏れ出してくる。
穢れと呼ばれる黒い力が、彼の全身を覆っていく。
彼の身に何が起こっているのか、明らかだった。
魔神化。
「いやっ!! いやぁ!!」
私は大声をあげながら彼の身体に覆い被さる。まるで誰かから隠すように。誰かから護るように。
しかし、浅黒い肌は次第に赤みを帯び、赤黒い色へと変色していく。
眉間に一本だけだった角がこめかみからも生え、三本角に。
全身に入れ墨のように流線的な模様が浮かび上がる。
筋肉はミシミシと音をたてて肥大化し、身長はもはや2mを超えている。
背中に生えていたコウモリの羽は、ドラゴンのように頑丈さを増す。
魔王だった彼の肉体は、急速に魔神のものへと変貌していた。
「あは、あははははははは!!」
風理は大声で笑っている。その笑い声が非常に耳に障った。
彼が魔神として目覚める時。
ユーピテルを含め、神々との殺し合いが始まるのだろうか。
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
私は勇悟の左手を両手で掴み、呼びかける。
「ダメ! ダメだよ勇悟!! 戻ってきて勇悟ぉぉぉ!!」
そして、彼の肉体の脈動が、終わった。
◆
私は、暗い空間にいた。
上下左右、どこを見回しても先は見えず、視界はすべて闇に覆われている。
「ここは……どこ?」
私の声は虚空に吸い込まれる。誰からも返事はない。
私は勇悟の側で……彼の魔神への変貌を見ていたはずだ。
「勇悟……」
彼の名前を口にした時、心がギュッと締め付けられた。私は、彼を殺した。それだけではない。恐らく彼は、私に殺されたという絶望から『人である事』をあきらめてしまった。結果として、彼の魔神化の『きっかけ』を与えてしまった。
「うぅ……」
私は、失敗した。
彼を救うことはできなかった。彼に恩を返すどころか、仇で返したのだ。
絶望し、打ちひしがれていた時。
ふと、私の手が熱をもっているのに気づく。
先ほど彼の胸を突き刺した右手が、淡く輝いている。
「……?」
彼の青い血に塗れていたはずの右手は、白い光に包まれている。それは不思議と安心する光で、私がこの世界にやってきた穴から漏れていた光を連想させる。
私は、どこか予感めいたものを感じていた。
右手を何もない空中につきだし、そこにある何かをつかみ取るように動かす。すると、そこには確かに感触があった。それは、いつかどこかで、慣れ親しんだ感触。安心できる感触。
そのまま、右手を手前に動かして、つかみとった何かを引っ張り出す。
そこには。
そこには。
そこには、彼の左手があった。
黒い肌でも、赤い肌でもない。人間の肌の色だった。
忘れもしない、彼の手の形。
私は彼の左手を、そのまま引っ張り上げる。
ズルズルと、左手の先、左腕が現れる。通り魔の凶刃によって大きな傷が残された左腕。彼が半袖のシャツを着ないのはこのためだろう。
しかし、私はそんな傷のついた彼の左腕が、どうしようもなく愛おしかった。
傷つき、握力を失い、彼の排斥の原因となった左手。でも、これは確かに彼が生きているという証。彼が全力で人を護った証。
「勇悟……勇悟……」
私は熱に浮かされたように彼の名前を呼びながら、彼の左手を力一杯ひっぱる。
虚空から、左腕の先、左肩、胸、そして頭が現れた。
彼のサラサラの黒髪が揺れた。目は閉じられている。彼の優しい顔が、思い出の中のままの顔が、現れた。あの時、トラックから護ってくれた彼のままだ。
「勇悟ぉっ……!」
しかし私は手を離さない。
離したら、彼が消えてしまいそうだから。
あの時の後悔をもう二度と味わいたくはなかった。
そのまま後ろに下がりながら、彼の左手をひっぱる。ズルズル、ズルズルと、彼の上半身が現れた。
彼は何も身に付けていない。しかし、私はそんな事は一切気にせずに、彼を救い出したい一心でひっぱり続けた。
そして、彼の下半身も引き出される。頭の先から足の先まで。彼の完全な全身が私の目の前に現れた。
「あ」
彼の左手を握る右手に、わずかな反応があった。
「ゆ、勇悟……起きて……」
手が、握られた。
握力がないはずの彼の左手に力が込められ、私の右手を逆につかむ。
私の手が、しっかりと握られる。
「……う」
彼の口から声が漏れた。
「勇悟っ!!」
そして彼は、ゆっくりと、目を開いた。
「……しき……ね……?」
「……うん……うん。識音だよ。勇悟。」
「……うう、僕は……一体?」
「もう大丈夫。大丈夫だから。」
そして彼を抱きしめる。
だが、彼は何かを思い出したように震えだした。
「ああ……ああああ……」
「勇悟!? どうしたの!?」
「僕は……僕は……識音を……」
そうか。
彼は私に殺された事ではなく、自分が私を殺そうとした事に絶望したのだ。
優しい彼は、自分が傷つくよりも、誰かを傷つける方が堪える。
私は唐突に理解した。
「いいの……いいんだよ。私は生きてるから……」
「ああ……ダメだ……僕はもう……」
しかし、勇悟は私の声が聞こえないかのように震えている。彼の絶望は私が考えていたよりも深かった。
私は安心させるように彼の背中をさすり続ける。だが彼の震えは一向に収まらず、むしろ一層と激しくなっているようだ。
どうしよう。彼はもう生きる事に絶望しきっている。私を手に掛けるような闇が自分の中にある事を恐れている。
「ダメだよ! 勇悟! 絶望しちゃダメ!」
私の声は届かない。
彼の身体はまた、闇へと溶けようとしている。
どうすれば……。
◆
——!
——!
彼を抱きしめながら、どうすべきか考えていると、彼の中から何か小さな声が聞こえる事に気づいた。
小さすぎてほとんど聞き取れない。どこか遠くから話しかけるような声。彼の体内から確かに聞こえている。
「……?」
私は彼の背中に耳を当てる。
——ユー……!
——……ゴさ……!
女の子の声だ。
そこで私は、輝く右手を彼の背中に恐る恐る近づける。すると、右手が彼の背中にするすると吸い込まれていく。
彼の中は暖かく、気持ちいい。
右手は肘まで吸い込まれた。しかし、反対側から出てくるわけではない。彼の中を探るように動かすと、手に何かがぶつかった。
なにか、糸のような。
私は糸をつまんで、ひっぱってみる。
細い糸なので切れてしまわないかハラハラしたが、無事に糸を彼の背中から取りだした。金色で、細いが意外と丈夫な糸だ。
糸の端はどこにつながってるのだろう?
そのまま糸をたぐり寄せていく。糸は長く、どこまでも続いているようだった。勇悟はすでに下半身が消えかかっている。
糸をたぐればたぐるほど、彼の中から聞こえる声が大きくなる。
——ユーゴさん! ユーゴさん!
勇悟を呼ぶ声。私は既にこの糸の先にいる人物に確信を持っていた。
そうだ。
そうだよね。
私は、彼の大切な人ではない。
彼の大切な人には、他にいる。
彼がこの異世界にやってきて出会った女の子。
彼の苦しみを理解して、彼の全てを受け入れた女の子。
彼を信頼し、彼から信頼された女の子。
「ユーゴさん!!」
そして彼女が、勇悟の背中から飛び出した。
「……ディー……ナ?」
勇悟がぼんやりと彼女を見上げている。
彼女はエメラルドグリーンの髪を揺らし、緑色の瞳で彼を見つめている。
「ユーゴさん……ユーゴさぁん……」
うるうると瞳を濡らし、ゆっくりと彼に近づいていく。
「ディーナ……」
彼も立ち上がる。消えかけていた下半身が再び形を取り戻していく。
二人は向き合って近づき。
そして、抱擁を交わした。
よかった。
彼はひとりじゃなかった。
彼の隣は、空席じゃなかった。
彼の隣にいるのは、彼女。
私は抱き合う二人を笑顔で見ていた。
だけど、私の頬には、なぜか冷たい涙が流れていた。
読んで頂きありがとうございました!




