魔王:間・後編
『スタジオーネ』に降り立った私は、早速行動を開始した。
ユーピテルから与えられていたのは、様々なスキルと、高いステータス。しかし、今の勇悟には遠く及ばないと聞いていた。彼は、全ての数値が万を超えている。MPに関しては億に到達しているとか。
彼はもはや完全な破壊の権化として、『魔王』を体現した存在になっている。高度な魔法を自在に操り、極限まで高められた肉体によって暴虐の限りを尽くす。全ては、風理のために。
風理の言葉に従い、風理の意思に従う彼は、かつて風理が失踪した時の意思をもたない『人形』のようだ。私に手をひかれ、なすがままにされていた彼の暗い目を思い出す。彼の底には闇が横たわっていた。今、その闇が彼を苦しめている。
彼女は、彼を『主人公』にしたかったらしい。主人公であるはずの彼が、主人公が打ち倒すべき魔王に成り果てているのが皮肉だった。
ユーピテルによって【完全隠蔽】の効果が施されたフード付きの外套を身に付け、降り立った森を進んでいく。彼の居場所は知らされていた。森の奥深く、世間では『魔王城』と呼ばれている居城。
まだ城からは1km以上離れているが、ここからでも既に彼の凶悪な気配を感じる事ができる。荒れ狂う漆黒のイメージと、近づくものを破壊し尽くす明確な死のイメージが混じり合い、奔流のように撒き散らされている。
もはや、『魔王城』の周辺には生物の気配は一切感じられない。
私は一歩踏み出し、暗い暗い森の中に足を踏み入れた。
◆
ユーピテルにもらったスキルは10個。
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*スキル
【気配察知Lv5】
【魔力察知Lv5】
【見切りLv5】
【高速思考Lv5】
【並列思考Lv5】
【結界Lv5】
【分身Lv5】
【瞬動Lv5】
【万物破壊Lv5】
【ステータス偽装Lv5】
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どれも強力なスキルだが、圧倒的なステータスの差があるので、彼が本気を出せば使う間も無くあっという間に滅ぼされる。
今の私のステータスは一流冒険者程度のもの。彼なら一瞬で屠れるレベルだ。しかし、所持スキルを見られれば勇悟は本気を出す事を躊躇わないだろう。
勇悟の油断を誘うために【ステータス偽装】でスキルを隠蔽しておいた。ただ、彼はミネルバによって創り出された【鑑定Lv5】を持っているため、【ステータス偽装】によって偽装されている自体は伝わってしまう。
そこで、ユーピテルは【鑑定】の情報源として使われているデータベースに干渉した。私のデータを書き換え、偽装されている事実を隠蔽したのだ。
念のためスキルの詳細を確認しておく。
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【結界】 任意発動スキル
自身の周囲に物理的・魔法的な干渉を防ぐシールドを展開する。
一定以上のダメージを与えられた場合、シールドは決壊する。
シールド持続任意時間、再展開までのクールタイム1分。
Lv5…アダマンタイト級の硬度を持つ。
【分身】 任意発動スキル
自身の分身を作成する。分身は自在に操る事ができる。
分身のステータスは自身のものをコピーするが、スキルは使用できない。
一定以上のダメージを与えられた分身は消滅する。
Lv5…分身を5体まで同時に出現できる。
【瞬動】 任意発動スキル
自身の一定距離内の位置に一瞬で移動する。
転移ではなく線での移動であるため、途中に障害物があると移動できない。
Lv5…周囲10mまで移動可能。
【万物破壊】 任意発動スキル
どんな物でも破壊できる一撃を与える。要チャージタイム。
貫通しないため、布一枚でも挟むとその向こう側は破壊できない。
Lv5…チャージタイム3秒間。
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この10個のスキルでどうにかするしかない。
かたや勇悟のスキルは100を超えており、様々な力が彼の身体に宿っている。人間が習得できるスキルの数には上限があるらしい。その上限は魂の強さによって決まる。100超という数は、彼の魂がもはや人の域を超越しつつある事を表していた。
穢れを取り込んだ彼は、ミネルバの神の力と相まって、その身を『魔神』へと堕としつつあるらしい。
ユーピテル達が住むという神界とは対極にある、魔界と呼ばれる領域。神とは対極にある魔神という存在。
過去の神々の戦争によって粛正された一部の悪神達。しかし、その粛正から逃れて身を隠した神達がいた。彼らは、神界から逃れるように魔界を創り出し、そこに立て籠もった。
魔界には瘴気が蔓延し、穢れを溜め込んでいく。ユーピテル達、善神達が気が付いた時には手遅れだった。穢れに侵された悪神達は変異し、魔神と呼ばれる存在へと化していたのだ。強力で凶悪な力を操る魔神は、もはや手が付けられなくなっており、善神達には魔界を封印するのが限界だった。
もし、勇悟が魔神へと堕したなら。善神達は容赦なく彼を討伐しようとするだろう。そこには同情もなく、容赦もなく、彼を消滅させるだろう。力を貯え続ければ、あっという間に神界にとって脅威になるからだ。
そうなる前に、彼を救い出さなくてはならない。
◆
魔王城にたどり着いた。
強力な結界が施され、侵入を拒んでいる。常人は結界に触れただけで焼き尽くされ、この世から消滅するだろう。
私は【万物破壊】を発動し、破壊の力を拳に宿す。発動には3秒間のチャージタイムが必要だ。この時間は戦闘時には致命的なので、戦闘中には使えない。
拳で結界を殴りつける。ガラスが割れるような音が響き、結界は破壊された。
そして、同時に【分身】を作成する。分身は私と同じステータスを持っていて、自在に操作できるが、スキルを使用できないため戦闘能力には欠ける。魔道具の力もコピーできないため、分身の外套には【完全隠蔽】の効果がなく、気配は漏れ出ているはずだ。
そのまま、城内に侵入する。重厚な扉を開くと、軋んだ音を立てた。魔道具によって作り出された明かりが城内を照らしている。玄関ホールのようだ。
瞬間。
私の全身に悪寒が走る。鳥肌が立ち、鼓動が早くなる。
物凄いプレッシャーが奥から近づいてきていた。
目に見えるような黒い気配が、恐ろしいスピードで近づいてきていた。
私は慌てて物陰に身を隠す。【完全隠蔽】の外套があるとはいえ、この重圧に直接晒されるのは避けたかった。
奥の扉が開いた。
同時に、私の分身が刹那にも満たない時間で氷の牢獄に閉じ込められる。
私と同じステータスを持つはずの分身でも、一切の身動きは取れず、氷に込められた呪縛の力によって魔力も完全に遮断されている。
コーキュートスのように、断罪を待つ咎人をつなぐ鎖のように、それは冷たく、そして絶対的な力だった。
扉の中から、彼が姿を見せた。
もはや、優しかった彼の面影はそこにはない。
ギラギラと鋭い相貌は、赤い狂気の光をたたえている。
頭には黒い角が生え、耳は尖り、鋭利な牙が口から覗いている。
ほとんど裸の姿で黒い肌を晒している。
全身の筋肉は隆起して蠢いている。
背中にはコウモリのような黒い翼が生えていている。
全身から黒いオーラが立ち上り、見た者に絶望を与える。
それは、まさしく魔王の威貌だった。
私を護ってくれた彼は、殺気を撒き散らし、今や私を殺そうとしている。
久しぶりに見た彼の姿だというのに、私は震えが止まらなかった。
彼は目の瞬きにも満たない刹那の時間で移動し、氷の牢の前に立っていた。
近くで見る彼の姿は、会いたかった彼の姿とは掛け離れていて、思わず声に出して尋ねてしまう。
「勇悟……だよね?」
勇悟は私の声にピクリと反応したものの、すぐに何の躊躇もなく氷の塊を拳で打ち抜いた。音速を超えた拳が周囲に風圧を生み出し、振り抜いた後にパンと音が追いついた。
氷は粉々になり細かい粒子となって空気中を漂った。中にいた分身はあっという間に消滅していた。もし私の実体が中にいたら、何もできず、痛みも感じずに死んでいただろう。
勇悟は一切の感情を見せずに、その様子を見ていた。そして、分身の気配が消えている事を確認すると、すぐに踵を返した。
「勇悟、待って。」
声を掛けると、勇悟は立ち止まって周囲を警戒している。【完全隠蔽】は気配や魔力の一切を遮断する。彼のスキルでは私の姿は捉えられないはず。しかし、見つかれば、そこに待っているのは死だ。
私の【魔力察知】が魔力の動きを察知する。危ない——と思う暇もなく、彼の全身から凶悪なプレッシャーが津波のように放たれた。極寒の中に身を置いたような鋭い殺気が私に襲いかかる。指一本、動く事は叶わない。
堪らず【結界】を発動させる。外套の外に発動させると察知されるだろうから、外套の内側に薄く展開する。幾分かマシになったが、重圧はどんどん増していき、私の全身には冷や汗が噴き出し、震えを抑える事ができない。
少しだけ期待していた。
彼が私の声に気づいてくれるのではないか。
私の声で正気を取り戻してくれるのではないか。
しかし、そんな期待はあっけなく裏切られた。
彼は私の声にも一切の躊躇も見せずに、私を殺害し、排除しようとしている。
うぬぼれだった。
彼と私には、切っても切れない絆があるはず。
幼い頃から護ってくれた彼なら、私に気づいてくれる。
実際には、私の分身は残忍な方法で消滅し、彼は何の感傷も顕さなかった。
私は、ついに堪えきれなくなり涙を流す。
優しかった彼、護ってくれた彼。
もう、いなくなってしまったのだろうか。
最後の期待を込めて、声を掛ける。
「勇悟、私だよ。」
彼は声にまたピクリと反応する。しかし、警戒を解こうとはしない。
険呑な光を宿した目が細められる。
苛つきを隠さない口元がギリッと歯を鳴らす。
ダメ……かな。
そして、私は最後の賭けに出る。
これでダメなら、もうどうしようもなかった。
どうせ彼にもらった命だ。最後は彼のために使おう。
そう思って、ゆっくりと、外套を脱いだ。
外套の下に張っていた【結界】の淡い光が部屋を満たす。
私は、生身で、勇悟と向き合う事に決めた。
彼の闇魔法が発動し、結界の淡い光が遮断される。
私は【結界】を解除して、彼に近づいていく。
もし彼が私に気づかなかったら、いや、気づいたとしても私を捨てるなら。
私の首は次の瞬間には宙を舞うだろう。
【結界】はほとんど役に立つまい。例えアダマンタイトの硬度でも、彼の力の前には紙のように簡単に千切られる。
【見切り】が提示する攻撃軌道は、彼のあまりにも多彩な攻撃の前に全く参考にならない。1%未満の軌道が大量に提示されていた。
【瞬動】は有無を言わさず移動中を捉えられ、叩き潰されるだろう。先ほど見せた彼の動きは、スキルの力ではなく圧倒的な肉体性能から来ているようだ。
【分身】で作り出された分身には、私の意思は宿らない。私の心が反映されない。それでは、彼を動かす事はできない。
彼が、私を見ている。
一歩一歩、ゆっくりと近づいていく。
彼の凶暴な顔が、苦痛を感じているように歪んでいる。
例え。勇悟に殺されるとしても。それでも、やっと会えたのだ。
「勇悟……会いたかった。」
私は彼の身体をそっと抱きしめた。
彼の頑強な肉体が腕の中で身じろぎする。
彼の黒い身体は冷たく、彼をベッドから引っ張り出した時の手のようだ。
私はそんな彼を暖めるように、彼に身を寄せる。
「う、うう……」
彼がうめき声を漏らした。
狂気を宿している瞳が揺れている。
彼の内側から、激しい心臓の音が伝わってくる。
ハァハァと息を荒くして、私の顔を見ている。
「勇悟、思い出して。」
願いを込めて、最後の一言を彼に投げかける。
じっと彼を見つめる。
勇悟はブルブルと身を震わせる。
彼の相貌から狂気が消えていき、彼の意思が瞳に宿る。
ゆっくりと、その名を口にした。
「し……き……ね……」
そして、私達は再び出会った。
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