悪意:裏
「うふふ、言っちゃったぁ」
喜びで思わず声に出してしまった。
彼は二人を護るために、二人から離れるだろう。
泉の中の彼の苦しむ姿に、思わず口元が緩む。
彼を愛してるのに、彼を憎む気持ちがある。
彼を欲しているのに、彼を苦しめたい気持ちがある。
矛盾する感情が、私の中にあった。
あの時、流れ込んできたシミ。
それが私に訴えかける。
勇悟を苦しめたい。
勇悟を傷つけたい。
私を捨てた彼を。
彼の表情を見ながら、お気に入りのハーブティーを一口飲む。芳醇な香りが、口の中いっぱいに広がる。ああ、おいしい。今までの何倍、何十倍。この味を知ってしまったら、もう戻れない。
どうやら、彼はディーナとエルサに話す事を決めたようだ。
彼の話す一言一言が、彼自身を傷つける。
彼の発する一言一言が、ディーナとエルサを傷つける。
彼も、ディーナも、涙をこらえきれないようだ。
エルサは無表情だが、イヤイヤをするように頭を振っている。
彼が二人に頭を下げた。
ディーナが、そんな彼を見て泣き、彼に縋り付こうとする。
しかし、彼はそんな彼女をゆっくりと突き放した。
「あはっ! あはははははっ!!」
ディーナがショックを受けたようにへたり込む。
エルサが、彼の左手を掴もうとする。
しかし、彼はそんな彼女の手を振り払った。
「うふふ、うふふふふ!!」
エルサは放心したように立ち尽くしている。
彼はアイテムボックスからありったけのお金と食料と、衣服に日用品を取りだし、部屋の片隅に積み上げていく。
二人は、そんな彼の様子を何も出来ずに見ている。
最後に、彼はもう一度二人に頭を下げると、部屋から静かに出て行った。
私は、笑いが止まらない。
部屋を出た彼はしばらく俯いて立ち尽くしていたが、ゆっくりと歩き始めた。
宿屋のおかみが彼に話しかけるが、彼は反応せずに宿屋を出て行く。
メインストリートを歩いて行く勇悟。
勇者像のある噴水の広場に出た。
勇悟は勇者像を一瞥したが、再び俯いて歩き出した。
冒険者ギルドの前を通りかかった勇悟。
ギルドから出てきた冒険者達が、勇悟を見て顔を青くして後ずさる。
勇悟は何の反応も見せない。
勇悟と馬車がすれ違う。
馬車が急停止して、御者台から人影が飛び出した。
ミケーレと名乗った商人が、勇悟を見つけたのだ。
しかし、いくらミケーレが話しかけても、勇悟は幽鬼のように歩き続ける。
しばらく話しかけるが、全く反応を見せない勇悟に、立ち止まってしまった。
ミケーレは、勇悟を心配そうに見送った。
その後も、勇悟を知るものは、勇悟に話しかけたが、彼が答える事はない。
王都で目立っていた黒髪黒眼の少年は、徐々に防壁の門に近づいていく。
門番をしていた、エンリコと名乗った警備兵が彼に話しかける。
ディーナはどうした。しかし、勇悟は答えない。
俯いたまま門を出ようとする勇悟に、慌てた様子で話しかける。
その声に無精髭を生やした警備隊長、ジョットが現れた。
やはり勇悟に話しかけるが、俯いたままだ。
ジョットは様子のおかしい勇悟の肩を掴もうとする。
しかし、勇悟はその手を予期していたかのように、するりと躱してしまう。
警備兵達は、何も出来ずに彼の背中を見送った。
「かわいそうな勇悟君。あとで私が慰めてあげるからね。」
そして、彼はひとりぼっちになった。
◆
「やった、やったわ……」
王都を出て歩き続ける勇悟を見てつぶやく。
「これで、あとは彼に……」
ぼそぼそと独り言をつぶやいていると、背後から大きな音が聞こえた。
彼と私の『愛の巣』に干渉しようとするものがあるようだ。
ドン、ドン、と外側から何かを叩き付ける音がする。しかし、その程度では私の愛の結晶は壊れることがない。
しばらく続いていたが、あきらめたようだ。
放っておいたが、今度は魔法的な力によって、愛の結晶の一部が蝕まれて穴が開いた。莫大な神力が一点に注ぎ込まれ、あまりの過負荷に耐えきれずに破損したようだ。
「やめなさい!」
私は憤慨し、すぐに『愛の力』で修復を試みる。しかし、力は拮抗し、穴は手が通るほどの大きさで固定される。
「ミネルバ! いい加減にするんだ!」
穴の外からユーピテルの声が聞こえてくる。
「ミネルバ様! 目をお覚ましください!」
ソフィアも眠りから覚めているようだ。
「うるさいわね! 私は目が覚めたのよ! もう我慢しなくたっていい! 彼のそばにいて、彼と一緒になるのよ!!」
「それは無理だと言っただろう、ミネルバ! 神は人とは交わる事はできない! 神には魂がないんだ! 君は勇悟君と一緒になる事はできない!」
その言葉を聞いた私は。
私は、ゆっくりと立ち上がる。
「うふ、うふふふ……」
ゆらり。
「たましいが、なぁい?」
ゆらり。
「たましいなら、あるわ。」
そして、私は姿を変える。
「そ、その姿は……!?」
「ミ、ネルバ、様……?」
そう。
神には魂がない。
神には生殖器がない。
だから、人と子を為すことはできない。
でも、この姿なら。
魂も、生殖器も、彼と愛し合う事のできる身体も。
「私は、勇悟君と一緒になるわ。」
私は、そう言って、『スタジオーネ』の世界に降り立った。
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