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となりに:間

今回は表でも裏でもない幕間です。読み飛ばし可です。

シトシトと雨が降っている。


空はどんよりと灰色に曇り、太陽の姿は見えない。


私みたい、と思った。


彼がいなくなってから、世界から色が消えてしまった。



目の前にトラックが迫ってきた時、私は彼に護られた(・・・・)



気が付いたら、彼は地面に倒れ、私は生きていた。


彼は、最後に何を言おうとしていたんだろう?



私の疑問は、答えられないままだ。




初めて彼に護られたのは、私と彼が幼稚園の年中組になった時。



私は女の子の友達と、公園でおままごとをして遊んでいた。


彼はその時、『訓練』と称してジャングルジムに登っていた。


私は彼を無意識に目で追っていたと思う。



ちかくにすんでる、ゆうごくん。


いっつも『くんれん』とかいって、ひとりでへんなことしてる。


あそぼっていっても、あそんでくれない。


『ぼでぃーがーど』になるんだって。


わたしが『それなあに?』ってきいたら、『かっこいいんだ』って。


ばっかみたい。



ふと気が付いたら、目の前には黒い犬がいた。


牙を剥いてグルルと唸り声をあげるその顔は、私が知っている可愛い犬のイメージとは掛け離れていて、ひたすらに恐ろしかった。


周りの女の子達は悲鳴を上げながら逃げていった。間が悪く、大人は誰もいない。私はその場にへたり込んでしまって動けない。声をあげると犬が飛びかかってくる気がして、声もあげられなかった。


誰か助けて、と心の中で声にしていたと思う。


瞬間、「やああああああ!」という掛け声と共に落ちてくる影。


ジャングルジムから飛び降りた彼は、まっすぐに黒い犬目がけてダイブすると、犬の背中にキック。そして、そのまま地面をゴロゴロと転がった。背中を蹴られた犬は『キャウン』と高い声をあげて逃げていった。


私は何が起こったのかわからずに目を白黒させていたと思う。そして、犬が逃げていった事を理解すると安堵して再びへたり込んだ。


彼はアザだらけになった身体を起こすと、土塗れになった服をパンパンとはたき、私をチラリと見た。私は放心して彼を見ていた。私が何も言わずにいると、彼はニコッと笑って何も言わずに背中を見せて駆けていった。



後から彼にその事を聞くと、『ぼでぃーがーどは、なにもいわないんだよ』と言いながら誇らしげに笑った。




その後も、彼は何も言わずに私を護り続けた。


小学校にあがると、『けーご』と言って私に四六時中付いて回るようになった。嬉しくて、恥ずかしくて、照れ隠しで私は彼に怒ってしまう。『もうついてこないで!』と私が言うと、彼は少し寂しそうに笑って『ごめんね』と言った。


それでも彼は影ながら私を見守っていた。


迷子になって泣いていた時、彼はどこからともなく現れて、私の手をひいて家まで連れて行ってくれた。大丈夫だよ、と笑った彼を見て心から安心した。


友達と喧嘩した時、彼は焦り顔で私と友達の間に入り、話を聞いてくれた。話している内に、なぜ喧嘩していたのかわからなくなった。仲直りしようよ、と言って彼は私と友達の手をつなげさせた。



道を一緒に歩くとき、彼は常に車道側を歩いた。


階段を一緒に昇るとき、彼は常に私の後ろを歩いた。


角を曲がるとき、彼は歩を早めて曲がる先を確かめた。


彼といるとき、私は転んだ事がない。


いつだって、どこでだって。



でも。


小学校3年生になったある日、彼は護るのをやめてしまった。


あまり笑わなくなった。


私が『どうしたの?』と聞いても、彼は『べつに』と言った。そんな彼が、変わりつつある彼が悲しくて、私は泣き出してしまった。すると、彼は慌てた様子で『ごめんね』と言って困った顔をした。私が泣き止むと、彼はいつもと変わらない顔で柔らかく微笑んだ。


しかし、その後も彼は少しずつ笑顔を減らしていった。よく考え事をするようになった。彼と過ごす時間は少なくなった。


私は転ぶようになった。




ある日、女の子が転校生としてやってきた。


彼女は物知りで、読書家で、大人しいけどよく笑う子だった。私が彼女と仲良くなると、彼も彼女と話すようになった。彼を誘って一緒に図書館へ行った。どうやら彼はすっかり本に夢中になったようで、興奮しながら楽しそうにファンタジー小説の事を話す彼の様子に、私はニコニコとして話を聞いていたと思う。


彼女と彼が楽しそうに話しているのを見ると、複雑な気持ちになった。彼の笑顔が戻ってきたのは嬉しい。その笑顔が私に向けられていないのは寂しい。彼に新しく熱中できる事ができたのは嬉しい。彼の熱中していた事が変わってしまったのは寂しい。だけど、そんな彼の変化を、私は受け入れつつあった。



楽しい日々は、長くは続かなかった。


彼女が、クラスでいじめを受けるようになった。



私は期待していた。彼がまたどうにかしてくれるのではないか。彼が再び、私にそうしていたように、彼女を護ってくれるのではないか。


だけど、期待は裏切られ、彼は男子達からからかわれると簡単に彼女から離れた。私はそんな彼の様子にショックを受け、失望を覚えた。


同時に、彼に頼り切っていた自分に気づいた。


彼がいつも側に、いつも隣にいてくれたから、私はそんな彼に寄りかかるのが当たり前になっていた。私は自分で立たなくてはいけない、と思った。


彼がそうしてくれたように、彼女にそうしてあげようと思った。彼女の側を離れず、彼女を護ることにした。悪口を言った男子に、彼女の代わりに言い返した。そんな私に、彼は眩しいものを見るかのような表情をしていた。


しばらくそうしていたら、今度は私もいじめの対象になりはじめた。


陰口を叩かれ、授業中に紙くずを投げられたり、女子達からは避けられ、仲間はずれにされた。彼はそんな私たちを悲しそうな表情で見ていたが、しかし手をさしのべることはなかった。


そしてある日、彼女に自分から離れるように言われた。私は意固地になって断っていたが、彼女の方が私を避けるようになった。すると、嘘のように私への攻撃はなりを潜めた。



彼女は笑わなくなった。


もはや、自分ではどうすることもできなかった。



先生に言っても、まともに取り合ってくれなかった。勘違いではないのか。ふざけあってるだけだろう。笑いながら、そう言った。


母に泣きながら説明した。母は私の話を聞いてくれた。彼女の両親と話して学校に言ってあげる、と約束してくれた。心から安心した。


よかった。これで彼女も助かるはず。



しかし、翌日以降、彼女が学校に現れる事はなかった。




警察は『家出』と結論づけたらしい。


クラスメイトは、表面上は沈痛な面持ちで先生の話を聞いた。


話を聞いて私もショックを受けたが、それよりも彼の放心する様子から目が離せなかった。彼のあまりの狼狽ぶりに、私も動揺した。その日、彼は放課後になるまで、誰とも話さず、誰とも目を合わさず、うつむいて過ごしていた。



彼は学校を休むようになった。


嫌だった。


彼も消えてしまうような気がした。



私はいてもたってもいられず、彼の家にいき、彼の部屋にいき、彼を布団からひっぱりだした。彼がどこかへ消えてしまわないように、彼の手を握った。


彼の手は、冷たかった。


その時の彼は無表情で、何をしても無表情で、人間らしい反応を見せなかった。言われるがまま、されるがまま、私が話しかけても曖昧な返事しか返ってこない。私は、そんな人形のような彼を学校に連れて行き、何度も話しかけた。


次第に、彼の顔には色が戻り、少しずつ私にも返事をしてくれるようになった。最初は笑顔がぎこちなかったが、自然に笑ってくれるようになった。


いつの間にか、彼はまた、さりげなく私を護ってくれるようになった。


だけど、彼はふと思い詰めたような表情になる事があった。私はそんな時、彼がどこにも行かないように手を掴んだ。彼は困ったような表情を浮かべていた。


彼の手は、熱を取り戻していた。




ある時、少しの期待を込めて彼に聞いてみた事がある。


なぜ私を護ってくれるのか。


なぜ私なのか。



彼はそんな私の問いに曖昧に笑い、答えてくれた。


女の子だから護ってあげないといけないと思ったから。


幼なじみだから。



期待していた答えとは異なり、私は少し不機嫌になる。


私は、彼の特別ではないんだろうか。




6年生になり親の都合で引っ越す事となった。


私は彼から離れたくなかったが、親にわがままを言っても仕方ないというのもわかっていた。



私は少しだけ大人になり、彼に対する自分の気持ちも理解していた。


しかし、それを彼に伝える事はしなかった。


自分が彼の特別ではないとわかっていたから。


思いを告げても、彼はいつもの困り顔になるだろうから。


思いを告げても、離ればなれになるだけだから。


そんな言い訳をしながら、彼に笑顔で別れの挨拶をする。


彼は、いつもの笑顔を見せてくれた。



彼の笑顔にいつかの(かげ)りは見えなかった。



そう、思っていたのに。




雨は間断なく降り続けている。


私は教室の席に座って、窓を見ていた。



成長した彼を見た時、彼の大人びた顔に胸の高鳴りを覚えた。


私は期待していたと思う。


彼は自分を待っていてくれたんじゃないか。


私に『おかえり』って言ってくれるんじゃないか。


私をまた、護ってくれるんじゃないか。


しかし、彼は変わってしまっていた。



先生が教壇に立って話している。


私はそれをぼんやりと聞いている。内容は入ってこない。



彼が消えた日。


私は前と同じように、彼の手を握るつもりでいた。


握っていなければ、消えてしまいそうだったから。


しかし、彼は私の手を拒んだ。



私の隣は、空席のままだ。


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