森の中:裏
ソフィアからの説教を受けていると、事態は急変した。
勇悟が、地面に崩れ落ちた。
「な、なにが!?」
「こ、これは!!」
彼の意識は次第に衰弱していき、その生命は終焉を迎えようとしている。
「なんで!? どうして!?」
「危険です! 彼の意識レベルが急速に低下! このままでは……!」
私は、神様パワーをフル稼働して、彼の意識を、魂をひっぱりあげようと試みる。
「恐らく、ミネルバ様がスキルを一気に与えた影響で……あまりの情報量に脳と精神が耐えきれずに焼き付いて……自然に回復する症状ではないので【自然回復】も発動していないですね……」
「そ、そんな、私のせいなの!?」
大声を張り上げながらも、彼の意識を探る。意識体は奥深くに沈み込もうとしている。
「ごめん、ごめんなさい……!!」
私は涙を流しながら、懸命に意識体に手を伸ばす。
「どうして、どうしてこんな事に……!」
伸ばした手は、彼の左手をつかみ取る。
「私は、また……」
するりと。
彼の左手は私の手から抜け、意識体は完全に闇に堕ちていく。
「ああ……あああああ!! 待って!! いかないで!!」
しかし、私の声は。
届く事はなかった。
◆
「彼が、死んだ?」
ソフィアが、やってきたユーピテル様に事情を説明している。
「はい。残念ながら……。勇悟殿の肉体は死に、魂も肉体と癒着していたため、消滅したものかと……」
「そ、そうか……」
ユーピテル様が珍しく動揺している。
私は。
私は、泣いている。
「ユーピテル様、申し訳ございませんでした。私が不甲斐ないばかりに、ミネルバ様を止める事ができませんでした。罰するなら、どうか私に——」
「違うわ!!」
バッと顔を上げる。
「全部、全部、全部、私が——ミネルバが悪いんです!! ソフィアは何も悪くないわ!! 私が馬鹿なせいで……馬鹿なせいで! 勇悟君に、なんてことを!! ああ……勇悟君……勇悟、君……」
ぽたりぽたりと、散々流していた涙が、また溢れ出す。
恐ろしい喪失感。虚無感。恐怖感。私の身を切り裂く。
「やれやれ。君という奴は……。よっぽど、彼がお気に入りだったんだね。」
「お気に、入り……? ちが……う……。彼は……そんなんじゃ……」
「そうだね。お気に入りというレベルではないか。
君のそれはもはや——恋、だね。」
「こ、い……?」
「うん。君は仁木勇悟君に恋してしまったんだね。ミネルバ。」
私が、勇悟君に、恋している。
ストンと。
その言葉は胸に落ちた。
同時に、彼を失った事による喪失感が大きくなり、私は嗚咽をあげてしまう。
「うう……うううう……!! なんで、私は勇悟君を……!! 勇悟君を呼んでしまったんだろう……!! こんなに悲しくなるなら……こんなに辛くなるなら……彼に出会わなければ——」
「それ以上は必要ない。」
「…………」
「ふふ、人に恋する神、か。まるで人間の書いた物語のようじゃないか。面白いね。」
「…………」
「仕方ない。君に免じて、一回だけ。一回だけ、ルールを曲げよう。」
「…………え」
「本来、魂というものは自然のあるべきまま、なすがままにするべきだ。でも、今回のケースは、むしろ神がその流れをねじ曲げた事によって起きた弊害。仁木勇悟君は、その被害者とも言えるね。まあ、被害者だろうとなんだろうと、救済などありえないんだが。……私も甘くなったな。」
「ユーピテル、様……」
「いいかい、ミネルバ。人と神は決して交わる事はできない。それは、肝に銘じておくんだよ。」
「っ! ……は、はい……」
そして、ユーピテル様は、その膨大な神力を——
◆
彼の身体に縋り付いて泣く少女は、いつかどこかで見た光景によく似ていた。
彼女は、少し泣いては、彼の顔を見て、また思い出して、泣き始める。
その繰り返しだった。
そんな彼女を近くで見ている存在がいた。
黒装束に身を包み、木々の隙間の闇に潜り込む。完全に気配を殺している。
「…………」
何もしゃべらない。
長い時間そうしていたが、空に帳が降り始めた。
勇悟を見ている。その目には、どこか優しさがあり、どこか哀しさがあり。
ふいに、動き出す。
しかし、それは寄り添う二人の元へではなく、むしろ彼らから離れるためだった。
どうやら、襲う気はないらしい。
しかし、その影の前に、別の影が現れる。
瞬間、交差する二つの影。
片方はその場に崩れ落ち、もう片方は気配を殺してそのまま立ち去っていった。
後には残された影が一つ。
◆
ユーピテル様は、奇跡の御技を行使して勇悟の肉体を修復し、魂のかけらをつなぎあわせ、元に戻した。本当に危ないところだったらしい。彼の魂は輪廻の輪から外れ、消滅の一歩手前だった。
そのままでは、また脳が焼き付いてしまうため【高速思考Lv5】と【並列思考Lv5】を魂に与える。
与えたスキルを剥がす事も検討されたが、一度覚えたスキルを無理に剥がす事は魂に傷をつけ、ダメージを与えるとの事だった。私が考え無しに行ったスキルレベルを下げる行為も、魂に組み込まれた知識を抜きさる事につながるので、本当は良くない、とユーピテル様に窘められた。
これにより、勇悟の思考速度は、人類の枠を大幅に超える事になる。
地球に現存するスーパーコンピュータを超えるほどの処理速度を得た彼は、やろうと思えば、その精緻な空間把握能力と潤沢な演算能力を用いて、一種の『未来予知』に近い事すら可能だという。
かのアインシュタインが言った『神はサイコロを振らない』というのは、振る前から結果がわかるからだ。もちろん、『完全な予知』には全ての変数と乱数を把握する事が必要で、そんな事は人間にはできない。影響を与えずに観察を行い、収束した未来ごとに並列に存在できる、そんな超常的な存在である一部の上級神だけが可能な行為だ。人類は、そんな知性に『ラプラスの悪魔』と名前をつけたが。
しかし、彼の思考能力は、そんな神の領域に一歩踏み込んだ。
ユーピテル様は、これを機に彼の魂を地球に戻すのも可能だ、と仰った。
しかし、私はそれを激しく拒否した。私のためではなく、彼と彼女のために。
こんな別れでは、地球に戻った彼も傷つく。残された彼女も傷つく。
私のせいで二人が悲しむ姿を想像したら、とてもじゃないが耐えられなかった。
やはり、私は神失格なのだ。
ユーピテル様は、そんな私の様子を見て、何も言わずにただ肩をすくめた。
◆
胸の高鳴りを抑えながら、その時を待つ。
彼の魂が世界へと回帰し、肉体へと還元される。
肉体と魂が馴染むのに数秒。それすらもどかしかった。
ゆっくりと、彼が目を開く。
私は言葉にならない声を発し、涙を流しながらその様子を目に収めた。
意識が収斂し、覚醒する。
彼の傍らで泣いていた彼女が、彼に覆い被さり、嗚咽を漏らす。
彼は、戻ってきた。
「おかえり……勇悟君。」
◆
しばしの間、彼は周囲の状況と自分の変化に戸惑っていたようだが、早速手に入れた能力で、少し離れた場所で倒れている黒装束に気づいたようだ。ディーナと手をつなぎ、そちらの方向に歩き出した。
こんな時でも自分の事よりも他人の事を気にかけ、優先する彼の気質を微笑ましく思う。
勇悟が近づいても、黒ずきんに覆われた顔に反応はない。
彼はディーナをかばいつつ、ゆっくりと黒装束に近づき、傍らに膝をついて揺り起こす。腹部から血を流している。この出血量はかなり危険なはずだ。
返事はない。勇悟はそれを確かめると、即座にアイテムボックスからポーションを取り出して右手だけで器用に封を切ると、黒装束を抱きかかえ、ポーションの瓶を口にあてがって流し込む。
しかし、飲み込む気配はない。
痺れを切らした勇悟は、ポーションを自分の口に含むと、一切の躊躇もなく口移した。
背後でディーナが「あ」と口を開けている。
私も思わず「あ」と声を出した。
ポーションは患部に振りかけるだけでも効果が得られるが、血液不足のようなケースには効果がない。経口摂取する事により、増血効果が得られ、同時に全身の出血箇所を応急処置的に止血する事が出来る。
勇悟の口からポーションが流し込まれ、のどがゆっくり動き、嚥下される。こくん、こくん、という静かな音が森の中に響く。
しばらくすると、目を覚ましたようだ。
勇悟と目と目が合う。
瞬間、バッと身を起こし勇悟から離れようとする。
しかし、勇悟が一瞬早く黒装束の腕を掴み、その場に留める。
まだ貧血気味の黒装束は、急な激しい動きを起こした事でふらつき、力が抜け、勇悟に引っ張られた腕ごと、勇悟の元に倒れ込む。
その時、彼が気づいた。
赤面し、あたふたとしている彼の様子に、私は思わず笑い声を出した。
そう、黒装束は女性だった。
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