護りたい:表・後編
僕は、困惑していた。
彼女を信じたい、と思う反面。
彼女に畏れられる事に恐怖する自分もいる。
父は言った。
『誰かを護るという事は、その誰かを心から信じるという事だ。』
『護る事を怖がってはいけないよ。護れなかった時の事を怖がるんだ。』
きっと僕は、まだ本当の意味で人を護った事などないのだろう。
僕はいつだって『護らなくちゃ』と思うだけで。
そこには、義務感。
そこには、焦燥感。
そこには、劣等感。
自分の都合で、相手は見ずに。
きっと、相手も助けてほしいと思ってるから。
きっと、護れば喜んでくれるから。
きっと、護れなければ後悔するから。
そこには打算しかない。
相手への信頼なんてない。
いつだって自分本位だった。
僕は、卑怯者だ。
◆
ディーナは、僕の事をまっすぐ見つめている。
しかし、僕はそれに応える事はできない。
目は泳ぎ、身体は縮こまる。
「……やっぱり、私なんかにお礼を言われても困惑するだけですよね……。」
「そ、そんなことは……。」
ない。そう言いたかったが、言葉は宙に浮いたままだ。
「私は、ユーゴ様の事を何も知りませんし、私なんかをなぜ護って頂いたのか、今でも不思議でなりません。」
「…………」
「それでも、嬉しかったから。その気持ちだけでも、伝えようと思ったのです。」
「…………」
「私なんかがお礼を言っても——」
「そんな事ないっ!!」
「ユーゴ、様……?」
「僕は……僕は……」
言葉にならない。
ありがとうと言いたい。
でも、その言葉は薄っぺらすぎるから。
彼女を信じられていないから。
「僕の父はね……ボディーガードと呼ばれる、職業だったんだ。」
◆
護る事のスペシャリスト。要人警護のプロ。
僕の父、仁木燈司は私設警備員として、報酬と引き替えに安全を約束する。
その仕事ぶりには定評があり、各界の著名人はこぞって父の警護を受けた。
僕は、そんな父の背中を見て育った。
僕を護る大きな存在。
いつか僕もそんな存在になりたい。子供心にそう思ったのは、物心ついて間もない頃だった。
父は、その幼い思いを告げた僕に、嬉しそうな、それでいて少し悲しそうな、複雑な表情を見せた。
それから、父による鍛錬が始まった。
毎日竹刀を振り、短い距離ながらも家の周りをジョギングし、父の厳しい指導を受けた。
人を護る事を学んだ。
幼稚園で、いじめっ子からいじめられっ子を護った。
いじめられっ子から感謝された。
嬉しい。
僕は、護る事に一種の快感を覚えていた。
ちっぽけな正義感が満たされ、感謝される事で自尊心を得た。
それは、小学生になってからも相変わらずで、幼なじみの識音のボディーガードを気取っていた。しまいには、識音から怒られた。
僕が小学校3年生になったある日、父は仕事中に重傷を負ってしまう。
父が包帯だらけで病院のベッドに横になっている。信じられなかった。父は僕にとって絶対の存在だったから。
退院した父は、後遺症からボディーガードを続けられなくなった。
父は荒れた。
僕や母に当たるようになった。
僕の中で、絶対の存在が音を立てて崩れていくのがわかった。
同時に、ボディーガードという仕事にも興味を失っていった。
人を助けても良い事なんてないじゃないか。
自分だけが傷ついて、損ばかりだ。
◆
それから、しばらくして、クラスに転校生の女の子がやってきた。
少し太ってはいたけれど、マイペースで独特のテンポを持ち、読書好きで物知りで。今にして思えば、子供な僕達から抜きんでて内面が発達していた。
僕と識音は、すぐに彼女と仲良くなり、いっしょに遊ぶようになった。彼女の影響で、僕もファンタジー小説を好きになった。一緒によく図書館に出かけた。彼女の勧めてくれる本は、どれもこれも非常に面白く、僕は寝る間も惜しんで読みふけった。そのせいで、学校によく遅刻していた。
しかし、そんな魅力的な彼女を、外見を理由にからかう者が現れた。
彼女は困ったような顔をして笑っていた。
僕が一緒にいると、『おっ、仁木とブスが付き合ってんぞー!』と幼稚な野次が飛ぶ。僕は恥ずかしくて、彼女から離れた。
識音は最後まで彼女の側についていたが、一緒にいじめられると彼女がそれを固辞するようになり、彼女は一人になった。
どんどんと排斥圧力は高まる。いつしか、彼女は笑わなくなった。
僕は、もう護る事をあきらめていた。護ったら、僕がからかわれる。
彼女が失踪したのは、転校してきて半年が経ってからだった。
両親は捜索願を出し、警察は山狩りまでしたが、彼女を見つける事はできなかった。
警察の調べは学校まで及び、僕達は刑事に話を聞かれた。
いじめについて。
彼女の両親は、彼女に対するいじめの事を知っていたようだ。優しそうな両親は憔悴し、憤慨し、僕達を恨みのこもった目で見た。——あの顔は、一生忘れる事はできないだろう。
結局、警察は『いじめを苦にしての家出』という紋切り型の結論をつけたようだ。
彼女はその後、僕達の前に現れる事はなかった。
◆
僕は、後悔した。
なぜ彼女を護らなかったのか。手をさしのべなかったのか。側にいてやれなかったのか。
激しい自己嫌悪から、僕は引きこもった。
クラスメイトの顔を見たくなかった。
なぜ、彼女がいなくなったのに、平然としていられるのか、理解できなかった。
仮病を使って布団をかぶり、学校を休んだ。
何も考えたくなかった。
すると、いきなり布団がめくられ、蛍光灯の眩しい光が目を刺す。
「勇悟! ほら、学校行こう!」
識音だった。
識音は僕の手を掴むと、無理矢理引っ張り出し、赤面しながら着替えさせ、顔を洗わせ、ご飯を食べさせ、学校に連れて行った。
僕はその間、何も言わず、識音もまた、何も聞かなかった。
それからは学校にも通うようになり、識音と僕は笑顔になれるようになった。
しかし、ふとした拍子に彼女の事を思いだし、暗い気持ちになる。その度に、識音は有無を言わさず僕を引っ張り回した。
そうして僕は、彼女のことを、ゆっくりと、色褪せさせた。
その代わりに、僕は誓った。
もう、二度と見捨てたりしないと。
もう、二度と裏切ったりしないと。
もう、二度と笑顔を失わせないと。
◆
僕達は小学6年生になり、識音は親の都合でこの街を離れる事になった。
僕は、いつだって識音に頼りっぱなしだった。
識音は、僕なんかよりもよっぽど『人を護る』事をわかっていた。
今までありがとう、と識音に伝えると、識音はいつも通りの笑顔で、僕には眩しかった。
識音と別れて心細い気持ちを、僕は一層『護る事』に転嫁した。
義務感と、焦燥感と、劣等感と。
色々な感情が渦巻き、僕の中で『護る事』は絶対の価値観となった。
◆
「だけどね、その後に通り魔事件があって——」
僕は、ディーナに長い長い話をしている。
絞り出すように。
切り捨てるように。
懺悔のように。
「でね、その友達は『命の恩人だよ』って言ってくれたんだけど——」
胸が一杯になる。
しかし、僕は無表情で話を続ける。
「クラスで『排斥』がはじまってね——」
「助けた友達も——」
「小学生の時に彼女を見捨てた罰だよね。あはは。」
今まで黙って聞いていたディーナは、急に立ち上がると、僕に飛びついて抱きしめた。
「……ディー、ナ?」
「私は、ユーゴ様を裏切ったりしません。」
「…………」
「私は、ユーゴ様を怖がったりしません。」
「…………」
「ユーゴ様。あなたは優しすぎます。人は、そんなに強くありません。皆を護れるほど、優しくなれません。あなたが護れなかったからといって、恨んだりもしません。」
「…………」
「何度でも言います。私はユーゴ様に護られて、救われました。嬉しかった。」
ぽろぽろと。
ぽろぽろと、僕の目から大粒の涙が零れ出す。
信じたかった。
助けたかった。
怖かった。
僕の感情が、今まで溜め込んでいた感情が、堰を切って流れ出す。
嗚咽を漏らしながら、彼女を強く抱きしめる。
彼女は、何も言わずに、僕の頭を撫でてくれる。
彼女の華奢な、折れそうな身体。
ああ、そうか。
これが。
——これが、『護りたい』という気持ちか。
読んで頂きありがとうございました。
一番、書きたかったシーンをやっと書く事ができました。