護りたい:表・前編
警備兵に連れられて独房に連れて行かれる。先導する警備兵は、僕が王都に入る時にステータスを確認した彼だった。僕は、宿屋の件について改めてお礼をして、おかみさんが嬉しそうだった様子を伝える。
「そうか……。すまないが、今晩はここに泊まってもらう事になるだろう。宿には私から伝えておこう。なに、悪いようには言わないさ。」
「何から何まで……ありがとうございます。」
どんな状態でも、人としてお礼は言わなくてはならない。幼い頃、父に言われた事は今でも胸に残っている。
「さあ、ここだ。入るのだ。」
ベッドは1つ。鉄格子に覆われた窓からは、すでに昼の明るい光が射し込んでいる。僕は、大人しく指示に従って独房に入った。入り口が閉じられ、ガチャガチャと施錠した後、彼はそのまま見張りとして牢の前で立ち番を始めるようだ。
僕は、ベッドに腰掛ける。遠くから、あの貴族の怒鳴り声が響いている。ガチャンガチャンという鉄格子を揺らす音がうるさい。しばらく続いていたが、警備兵が一喝すると止まった。
それからしばらくすると、足音が聞こえ始めた。こちらにやってくるようだ。僕の入っている独房の前で止まる。俯いていた僕が顔を上げると、そこには別の警備兵と、そして、奴隷の少女の姿があった。少女を連れてきた警備兵が、立ち番をしていた彼に二、三言告げると、彼はガチャガチャと入り口を解錠して開いた。
「独房が一杯でな。悪いが同室にさせてもらうぞ。奴隷だから床に寝させれば良い。くれぐれも間違いは起こすなよ。」
そう告げると、奴隷の少女を入房させ、入り口を施錠した。少女を連れてきた警備兵は立ち去っていく。
独房の中には、僕と奴隷の少女が残された。
◆
「……とりあえず、座らない?」
僕がそう声を掛けると、少女はおずおずと床に尻餅をついた。
「いやいや、そうじゃなくて、ベッドに座りなよ。」
僕がポンポンと隣のスペースを叩くと、彼女はふるふると首を横に振った。
「……私は、奴隷、なので……。」
「奴隷、か。僕はそんな事、気にしないよ。君は奴隷である前に、一人の人間だ。」
「えっ?」
彼女が大きな瞳を丸めて、僕を見る。
肩まで伸びたエメラルドグリーンの髪は、ぼさぼさで、くすんだ色になっている。瞳の色は、髪より少し暗い緑。クリクリとした大きな瞳は、僕に誰かを想起させる。頭の上には茶と白のトラ縞模様の猫耳。彼女の驚きに合わせて、ピクピクと動いている。
ボロボロの布を雑に縫い合わせただけの服は、彼女の肌を覆い隠すのには十分でないが、本来は白いのであろう肌は埃と土に塗れて薄汚れてしまっており、そのか細い身体は見ているとひたすらに同情を誘った。耳と同じトラ縞模様のしっぽが揺れている。
「ほら、座りなって。」
「は、はい……。」
彼女はゆっくりと立ち上がり、僕の隣に腰掛ける。僕と彼女の距離は人一人分。
「僕はユーゴ。ユーゴ=ニキだ。君の名前は?」
「あ、あの、私はディーナです。」
恥ずかしいのか、僕の顔をチラチラ見るだけで、目を合わせてくれない。そんな彼女の様子に、落ち込んでいた僕の心は少しだけ癒やされる。
「……あ、あの!」
思い切ったのようにディーナがバッと顔を上げ、こちらを見て切り出してくる。猫耳がピーンとなっている。
「ありがとうございました!!」
ガバッと頭を下げる彼女。つむじが見えている。猫耳も頭に合わせてぺたんとなった。かわいい。
「僕はお礼を言われるような人間じゃないよ。」
いつもの自嘲癖が出てしまう。内心は嬉しいのだが、でも、僕はこの後にあるであろう『むなしさ』も知っている。素直には喜べなかった。
人外の力。この世界で生きていくためには必要なものだろう。その力を見た時、彼女はどんな表情をするだろうか。驚くだろうか。怯えるだろうか。——魔物を見るような目で。
しかし、彼女は頭を下げたまま、小さな声で話し始める。
「……私、もともとはアマラント帝国の小さな村に住んでたんです。」
◆
ディーナは、アマラント帝国領の山奥に位置する小さな村で、アニマの両親と仲良く暮らしていたんだそうだ。
そこは、アニマが身を寄せ合う集落で、小さな畑を耕して日々の糧食を得てきた。アマラント帝国では、未だに亜人——ヒューマン以外の人種——の排斥傾向があり、重い人頭税が課せられる。税を払えない者は奴隷に落とされて労役を課されるため、アニマ達は隠れるように山奥へと逃げ落ちた。国境は厳しく監視されているため、超えるのが難しい。
貧しいながらも、両親の愛情を受けて幸せな日々を送っていた。
ある日の事、一人の旅人が迷い込む。ヒューマンだったが、村のアニマ達は手厚く歓迎し、事情を説明して集落の事を他言しないよう男に頼んだ。男も約束し、村を旅立っていった。
しかし、また同じ旅人が集落に現れた。——今度は、三人の同行者を連れて。
彼らは冒険者のパーティだった。同行者がいる事に内心不安を覚えつつも、村人達はやはり同じように、貧しい貯えから手厚くもてなした。冒険者達は大酒を飲み、料理に舌鼓を打った。宴は朝まで続いた。
——じゃあ、次は来月、10人ぐらい連れてくるからよ。
男は、そう言った。村人達は、貯えが少なく頻繁にもてなすのは無理である事を告げ、そもそも村の事を他言しない約束はどうなったのか、と男に問いただした。男は悪びれた様子もなく、『じゃあ女でもいいぜ。とびっきりの美人で頼むわ。』と言い残して去って行った。村人達は唖然として、どうすべきか話し合ったが、答えはでなかった。男にあきらめてもらうよう頼もう。
翌月、同じように男達のパーティがやってきた。いつも通りの歓待を要求する彼らに、村人達は勘弁してくれ、と頭を下げた。すると、彼らの様子は一変。
——この村の事をお上にチクったっていいんだぜ?
その一言がとどめとなり、村人達は備蓄していた食料を放出した。気分を良くした彼らは、さらに調子に乗り、今度は女を要求しはじめた。村人達は泣く泣く話し合い、夫を病でなくした未亡人や、独り身の女を差し出した。
ディーナは当時10歳だったが、その意味は理解できた。両親はディーナに見せないよう、聞かせないように抱きしめ、耳を押さえながらベッドに入った。しかし、アニマの耳には、かすかに泣き声と嬌声が届いた。
男達が去り、村人達は話し合った。もうこれ以上は我慢できないと。次に男達が来たら、村人全員で襲いかかろう、とうなずき合った。
一週間後、男達の代わりに、軍隊が現れた。
軍隊の先頭に立った偉そうな指揮官が言う。
——税から逃げ隠れ住む矮小なる者どもよ。王の怒りを知れ。
そして、蹂躙が始まった。
村人達は大した抵抗もできず、次々に捕縛されていく。強く抵抗した村人は、粛正という名目で首を切られ、野に晒された。
ディーナは、両親と共に家の地下室に隠れていたが、すぐに見つかった。ディーナが連れて行かれる事に抵抗した両親は、ディーナの目の前で殺害された。生暖かい血がディーナに浴びせられ、その場で失神した。
気づけば、奴隷馬車の中だったという。
それから、ディーナはビアンコ王国の貴族——ゴルドーニ伯爵家——に売られ、二年間、雑用係として過ごした。あのロメオという青年に虐げられながら生きてきた。年齢からか、幸い閨には呼ばれなかったが、ロメオは嗜虐趣味をもち、ことある事にディーナをいたぶった。
そして、今日に至る。
◆
僕は、話を聞きながら、内心で慟哭していた。
こんな事が、許されて良いのか。
なぜ、こんな少女が、罰を受けているのか。
一体、彼女が何をしたというのか。
「だから、私は救われたのです。」
ディーナは、そう言いながら微笑みを浮かべた。しかし、僕にはその微笑みが悲しそうで、今にも泣き出しそうな顔にしか見えなかった。
「ディーナ……。」
「私はっ!! ユーゴ様に助けてもらって、護ってもらって、嬉しかった。救われた気持ちになったんです!」
僕は。
僕は、そんな彼女の言葉に。
——素直に喜ぶ事はできなかった。
後編に続きます。