再会:表
まどろみの中、ぼんやりと今日一日を振り返る。
いつも通りの朝、いつも通りに家を出て、学校に向かう、そのはずだったのに。トラックに轢かれ、ちょっとわがままな女神様と出会い、流されるまま異世界で二回目の人生を始める事になっていた。人並み外れた尋常ならざる力、異貌の怪物、そして、血に塗れた右手。
暗い部屋の中、右手を天井に透かしてみる。
左手の握力がなくなったあの事件から、僕は日常の多くを片手だけでこなす事を強いられた。両手が使えないという事は、当初考えていたよりも大きなハンディキャップだった。ペットボトルのキャップ1つ満足に開けられず、好きだった剣の道をあきらめながら、それでも惰性からトレーニングは続けた。1年もすれば慣れるもので、右手だけで器用に日々をこなせるようになった。料理や裁縫、日曜大工。右手だけで多くの事をこなすため、握力を増し、腕力を増やすために右手を重点的に鍛えた。
この世界で得た力は、僕には荷が重すぎるように思う。無闇に振るえば、人を傷つける。恐れられる。人々は異分子を排斥する。——左手を失ったあの時の僕のように。
きっかけは、ささいな事だった。右手だけの生活を余儀なくされ、しばらくして僕は病院を退院して中学校に戻った。皆の心配の声が嬉しかった。全校の前で校長に呼び出されて壇上に登り、僕の行いを褒めてくれた。皆の好奇の目がくすぐったかった。右手だけでノートを取るのにも苦戦し、食事を取るのにも苦労した。そんな僕の姿は、皆には奇妙で珍妙なものに映ったらしい。最初は同情の声もあったが、次第にからかう声も大きくなった。
ある日、理科の授業で実験を行う事になった。先生に自由な班分けを命じられる。僕は事件の前から仲の良かった友人に話しかけた。返ってきたのは、拒絶の言葉だった。
「えー、やだよ。お前、左手つかえねーじゃん。」
僕は、他の友人を頼ったが、皆からつまはじきにあい、最終的には最初に話しかけた友人の班に無理を言って入れてもらった。班員からは不満が漏れた。
それからというもの、堰を切ったように排斥が始まった。
僕は、役立たず、無能者のレッテルを貼られ、クラスの男子達が馬鹿にしはじめる。女子達も、そんな男子達の様子を面白そうに見ていた。いつしか、露骨な暴力がはじまり、僕がそれでも何も言わず、反撃もせずにいると、そんな僕の様子すら気に入らないのか暴力はエスカレートしていった。右手だけで日常生活をこなせるようになっても収まらず、むしろ酷くなっていく一方だった。
あの事件。僕の左手の握力を失う原因となったのは、下校中に現れた通り魔の凶刃によるものだった。無防備な通行人を何人か切りつけた犯人は、学生服を着た僕達に目をつけた。意味不明な妄言を口にしながら、狂った目を向けた犯人の姿は今でも脳裏に焼き付いている。友人だった同級生がその刃に掛かりそうになり、僕は強烈な義務感から身を呈してかばった。左腕に走る鋭い痛みをこらえながら、僕は犯人に体当たりし、その身を取り押さえた。
病院で、かばった友人とその両親からは何度も感謝をうけた。彼は涙を流しながら「君は命の恩人だよ!」と言ってくれた。僕は、その言葉を聞いて救われる思いだった。護れなかった僕が、誰かを護る事ができた。その事実が、僕を勇気づけた。
しかし、その友人は、僕への排斥が始まった途端、あっけなく僕から離れた。
一部の積極的な男子達と、それを取り巻く消極的な傍観者。そんな傍観者の一人に加わった彼を、それでも僕は、責めようとは思わなかった。後悔もしていない。ただただ、むなしかった。
それでも、僕は『人を護る事』を諦めてはいけないのだ。
かつて護れなかった、彼女のために。
◆
いつの間にか、僕の意識は闇に落ちていた。
——勇悟君
誰かに呼ばれた気がした。
僕は無意識に声のした方に手を伸ばす。
瞬間、真っ白な光が意識を包み、僕は覚醒する。
「勇悟君、久しぶりね!」
「ミネルバ様、まだ一日も経ってないですよ。」
目の前には、満面の笑顔を浮かべる女神様が佇んでいる。その肩には、慇懃な口調のフクロウが首を傾けている。見覚えのある光景。僕は神界にいた。
「お話したかったから、あなたの意識だけちょこっと持ってきたのよ。」
「お久しぶりです。ミネルバ様。」
お辞儀するとミネルバ様は満足げに頷き、もったいぶった咳払いを一つ。
「ゴホン。……えー、今回は勇悟君に聞きたい事があります。」
「僕もミネルバ様にお尋ねしたい事がありました。」
「あら、そう? じゃあ、まずはそっちから話してみて。」
ミネルバ様はティーテーブルの椅子に腰掛け、僕に対面の椅子を促した。お礼を言って僕が席に着くと、テーブルの上にティーカップが現れる。並々と紅茶が淹れられ、湯気を立てている。
「伺いたかったのは、僕のスキルの事なんです。今日、『スタジオーネ』に転生してから色々あったのですが、ミネルバ様に頂いたスキルの他に、高レベルのスキルを簡単に覚えたり、かと思えば最初はLv5だったはずのスキルがLv1になったりと、不思議な事が度々起こるのです。」
「ぎくっ」
「他にも、王都に入る際に警備兵にステータスを見せる機会があったのですが、身に覚えのない【ステータス偽装】を覚えていて、しかも、発動した覚えもないのに僕のステータスが偽装されていました。非常に助かったのですが、何とも不思議だなぁ、と……」
「ぎくぎくっ」
「そういえば、冒険者ギルドに登録する時も、他の冒険者に絡まれたかと思えば、いきなり青くなってトイレに駆け込んだり——」
「よくぞ見破ったわね!」
「え?」
「そうよ! それは全て私のおかげよ! 神の奇跡なのよー!!」
「そ、そうだったんですか。それは、ありがとうございました。」
「だって、あなた頼りないんだもの! 私の主人公なんだから、もっとしっかりして頂戴!」
開き直った女神様は、ズビシと指をこちらに突きつけた。
「ええっ? そんな事言われましても……」
「ミネルバ様、何を仰るんですか。元はといえばどれもこれもミネルバ様が——うぷっ!」
何か言いかけたソフィア様のくちばしを、ミネルバ様が押さえつけた。バサバサと抵抗するフクロウと、それを必死に押さえつける絶世の美女。傍から見ると、シュールな図である。
「シーッ! ソフィアはちょっと黙ってて!!」
「むーっ! むーっ!」
お取り込み中のようなので、僕は頂いた紅茶を一口飲む。うん、これはダージリンだな。最適な温度で紅茶の深い味がうんぬんかんぬん。
「勇悟君っ、そんな事よりっ! 聞きたいんだけど!」
「はっ、はい、何でしょうか?」
ぐったりしたソフィア様を尻目に、ミネルバ様がこちらに向き直り、顔を近づけてくる。
「あなた、何でもっと『無双』しないの? 勇悟君の力なら、冒険者ギルドの時でも簡単に制圧できたでしょう?」
「そう……ですね……。」
「それじゃあ困るのよ! あなたは主人公なんだから、存分に力を振るって『てんぷれ』をこなしてもらわないと!」
「てんぷれ?」
「あっ……えーと、そうじゃなくて! もっと力を振るって、悪者はバッタバッタと薙ぎ倒すぐらいがちょうどいいのよ?」
「悪者、ですか……。僕には、悪者を裁く権利なんてないですよ。それに、ギルドの時は別に僕が我慢すれば済む事でしたし。」
僕が自嘲しながら答えると、ミネルバ様は僕の両肩を掴んでガクガクと揺さぶる。
「あるのよ! 主人公にはその権利が! それに我慢してたら身体に毒よ! ぱーっとやっちゃいなさいよ。ぱーっと。」
「は、はあ……」
ミネルバ様の論理展開についていけず、揺さぶられながら言葉を失う僕。
と、そこで。
『ピリリリリリリ ピリリリリリリ』
不思議な電子音が鳴り響く。それを聞いたミネルバ様はわたわたと慌てだし、地面の上にへたり込んでいたソフィア様はバッと起き上がり翼を広げて飛び上がった。
「ま、ま、まずいわ! え、えーと、勇悟君、とにかくよろしくね!」
ミネルバ様はそういうと、パチンと指を鳴らした。すると、急に目の前にモヤが掛かり、視界が白く染まっていく。驚く暇もなく、僕の意識は空白に吸い込まれた。
◆
目が覚めると、見知らぬ天井。
ここは、昨日警備兵に紹介された宿屋だ。親切なおかみさんにその事を告げると、コロコロと笑いながら「あー、あの子だね。まったく、客引きなんて頼んでないのにねぇ。」と言いながら、言葉とは裏腹に嬉しそうだった。
窓から射し込む光は、まだ薄暗い。気温は温暖で、寒くもなく暑くもなくちょうど良いため、僕はシャツとズボンを脱いで下着で寝ていた。掛けていた毛布をめくりベッドの外に出ると、身体を軽く動かしてから、アイテムボックスに入れていたシャツとズボンを取りだして着る。
そこで、ふと思い出して、アイテムボックスの中を確認する。昨日、入れておいた鎧の男——冒険者カードには『ランベルト』という名前が記されていた——の遺体を確認しようと思ったのだ。冒険者ギルドでいざ取り出してみたら腐乱死体だった、とかでは困るため。朝から死体を見るのは気分が悪いが、仕方ない。
と思ったら、アイテムボックスの中身は僕が思っていた状況から大分変わっていた。入れたはずの、ランベルトさんの遺体はなく、また、同時に入れたはずのゴブリン達の死体もなかった。
その共通点は、死体である事だ。もしかしたら、アイテムボックスには死体は入れられないか、入れても消えてしまうのかもしれない。だとしたら、ランベルトさんや遺族の方には悪い事をしてしまった。心の中で謝罪する。
それにしても、死体が入れられないとなると微妙に使いづらい、と思ったが、脳裏にミネルバ様の怒り顔が浮かんだのでブルブルと顔を振った。昨日、ギルドからの帰り道で道行く通行人を【鑑定】したが、【アイテムボックス】というスキルを持っている人は見つからず、珍しいスキルのようだ。こんなスキルをくださったミネルバ様には感謝しなければ。例え性格が残念だとしても。
ミネルバ様に感謝の祈りを捧げてから、部屋のある二階から食堂のある一階に下りる。パンの焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐり、お腹がきゅるると音を立てる。赤面しながら、食堂の席に着くと、すぐにおかみさんがパンとスープを配膳してくれた。他にもちらほらと冒険者らしき人が食事を取っている。
おかみさんにお礼を言ってから、スープに口をつける。思っていたよりも空腹だったようで、パンと一緒にがつがつと食べてしまい、おかみさんには「良い食べっぷりだねぇ」と笑われた。
今日は、何をしようかな。
読んで頂きありがとうございます!