沢庵の猫
今は昔の物語。
小夜は、とあるお殿様の住むお屋敷の召使いだった。
お殿様と言っても、昔の羽振りの良かった時代とは違い、所領は大変少なく、お屋敷も小さい。長らく戦も起きていないため、あまりぴりっとしない風貌と、ぴりっとしないおつむで、のんびり領民と共に暮らしていた。
そんなお殿様に仕える小夜は、今年十五。幼少の頃から、お殿様の姫の乳母をしていた母と共に、ここで働いていた。
彼女の仕事のひとつに、飯炊きがあった。母と二人で、厨を切り盛りしている。
彼女のひそかな楽しみが、「沢庵の尻尾」だった。
沢庵とは大根の漬物で、ご飯の友としてとても優れている。梅干と並ぶ、漬物界の双璧と言っても過言ではない。
そんな長細い沢庵には、尻尾がある。大根の根の先にある、あの細い部分だ。その切れ端を、毎日小夜はこっそり口に入れていた。子どもの頃から、母がおなかをすかせていた育ち盛りの娘の口に、そっと入れてくれていたのが忘れられなかったのである。
そんなささやかな楽しみに、危機が訪れた。
お殿様の息子である若様が、ある日小夜に声をかけてきたのだ。若様は、年の頃は十二。お殿様によく似た、ぴりっとしない風貌とおつむの持ち主である。
「おい、小夜。お前は『沢庵の尻尾』というものを知っているか?」
ちょうど小夜は、庭の掃除をしていた。縁の上から投げかけられた声にぎくりとしながら話を聞けば、どうやら若様は通っている学問所で、物を知らないと嫌味な子どもにからかわれたらしい。
「明日、私の膳に『沢庵の尻尾』を入れるように」
「おそれながら、若様」
貴重な沢庵の尻尾が若様に行ってしまうことに気づいた小夜は、思わず呼び止めてしまった。
「若様、実は『沢庵の尻尾』は、それはもうすばしっこくて捕まえるのに難儀致します。沢庵で彫った猫がおらねば、明日までに膳に乗せられるかどうか分かりませぬ」
それはもう見事な、口からでまかせだった。周囲に他の者がいたならば、笑い出すか怒り出すかのどちらかをしただろう。しかし、小夜にとって運の良いことに、周囲には誰もいなかった。
「そうか、猫がいるか……あっ! そうだ、それなら心当たりがある。しばし待っておれ」
小夜の言葉に納得してくれるかと思いきや、若様はたたっと走って屋敷を出て行ってしまった。
嫌な予感がしつつ、小夜が掃除の続きをしていると、若様が再び戻ってきた。今度は一人ではなかった。「『沢庵の猫』をご所望なのは、こちらの娘さんかな」と、あくびまじりのよれた着物の男がついてきたのだ。無精ひげだらけで、役者絵とは真逆のごつごつした若い男だった。
万事休す。
小夜は、肝を冷やしながら何も答えられずに男を見上げた。
「この男は若いが、町一番の彫り物師でな。この男であれば、猫もすぐに彫れよう。これで明日、沢庵の尻尾を出せるな?」
若様は、どうだとご満悦の様子だ。小夜はまごつきながら、「はぁ」とか「そうでございますか」としか答えられなかった。
そんな彼女を、男はにやにやと見下ろしている。
「若様の頼みとあっては、しょうがありませんな。見事な尻尾を、明日と言わず、今宵の膳で届けてみせましょうとも」
男はにやけたまま縁を飛び降り、裸足であることを気にもせず小夜に近づくと、彼女の着物の腕を掴んだ。
「さあ娘さん、厨へ案内しておくれ。俺は猫を彫らなきゃならねぇ」
小夜の本音など、すべてお見通しと言わんばかりに、男はぐいぐいと足の重い彼女を引っ張っていく。
そんなに熱心にならずとも、夜の膳に沢庵の尻尾を載せることは、あくびをするより簡単なことだ。もはや小夜は、尻尾をあきらめようと覚悟しながら、男を厨へと連れて行った。
さっそく男は漬物の樽を覗き込み、「これがいい」と細い尻尾の沢庵を一本持ち上げた。
懐から小刀を取り出すと、尻尾から二寸ほどで切り落とした。「こっちはいつも通り」と大きいほうを小夜に渡す。
しょんぼりしながら男を見ていると、男は目にも留まらぬ速さで尻尾のついた沢庵を削り始めた。木と違って、柔らかいというのにお構いなしに彫っていく。
「口を開けろ」
にやにやしながら、男はそう小夜に言った。言われた通りに口を開けると、何かが飛び込んでくる。噛むと沢庵の味がした。男は、沢庵の削り屑を、彼女の口に次々に放り込んでくれたのだ。
普段食べる尻尾よりよほど多い沢庵を、小夜が食べ終わる頃、それは完成した。
見ると、見事な大根の尻尾を持つ「鼠」が出来上がっていたのである。色を除けば、本物と見紛うほどの出来だ。男は、本当に彫り物の腕に優れているようだ。
「あれ、猫を彫るんじゃなかったんですか?」
間違えたのだろうかと小夜が声をかけると、男は笑いながら沢庵の鼠を彼女に渡した。
「いいや、これでいい。これを若様の夕飯の膳に載せてやれ」
かくして小夜は、男に言われたとおり、沢庵の鼠を小皿に乗せて若様に出した。
結果。
若様は、「うひゃあ」と悲鳴をあげて、それを食べることが出来なかった。「若様ご所望の『沢庵の尻尾』でございます」と言っても、「いらぬ、食わぬ、尻尾はお前が食え」と騒ぐばかり。
「左様でございますか」と、小夜は沢庵の鼠をにこにこと膳から下げた。いくら沢庵と分かってはいても、余りに鼠にそっくりで、若様は到底自分の口に入れることが出来なかったのだ。
かくして、沢庵の尻尾の権利は、若様のお墨付きで小夜のものになった。沢庵の鼠もまた、彼女がおいしくいただいた。
こうなると、小夜はあの男に感謝をせねばならない。きっと、お地蔵様が小夜を助けるために来てくれたのだと思っていたが──そうではなかった。
「沢庵の尻尾くらいなら俺が食わせてやるから、嫁に来いよ。沢庵の猫たぁ、誰にも言えねぇ面白い話だ。俺は、面白い嫁が欲しい」
それ以来、ちょくちょく男が顔を出すようになったのだ。
顔を出すだけでなく、素晴らしい彫刻をその度にお殿様に渡すものだから、お殿様の方が先にほだされてしまい、小夜に嫁に行くようにと命を下してしまったのである。
沢庵の尻尾を守るはずが、その代償に小夜は彫り物師へと嫁ぐことになった。
男に嫁いだ後。
時折、男がふざけて見事な沢庵の鼠を彫っては、小夜の口に近づけてくるが、彼女は何のためらいもなくぱくりと食いつく。小夜にとって沢庵は、どんな姿をしていても沢庵に過ぎなかったのだ。
その度に男は笑いながら、彼女のことを「沢庵の猫」と呼んで可愛がったのだった。
『終』