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雪うさぎをつくるおじいさんの話

作者: シュプケ

『雪うさぎをつくるおじいさんの話』






 足跡ひとつない白い絨毯の上を、軽やかに跳ね回る、一羽のいびつなうさぎ。

 わたしがそれを目にしたのは、綿あめのようにふわふわとした雪花の舞う、そんな夜のことだった。



  ☆



「いやねぇ、寝ぼけてたんじゃない?」

 マーマレードジャムたっぷりのトーストをかじりながら、ママに昨晩のことを話してみると、返ってきたのはそんな言葉だった。

「確かに見たんだもん!」

 ……とは言うものの、ちょっと自信ない。

だって、わたしが部屋から見下ろした景色は、ただの住宅街の空き地。野うさぎが走り回るような環境じゃないのだから。

 空き地を挟んだ向こう側に、ひとりで暮らすおじいさんの住む家はあるけれど、そこでうさぎを飼っている、なんて話も聞いたことがなかった。

「ちーちゃん、早く食べないと学校に遅れるわよ?」

「はぁい」

 家を出てすぐ、中学校へ向かう途中に隣の空き地を覗いてみるけれど、そこには降り積もった雪以外、何もなかった。

(……確かに見たんだけどなぁ)

 懐かしい空気が流れる平屋戸建を押しやるように、わたしの住む地域では日々、開発が進んでいた。新興住宅、というらしい。かく言うわたし達も、お父さんがギリギリのローンを組んで、わたしの幼少期に夢のマイホームを新築した口だ。隣の空き地にも、じき新しい家族が夢を求めてやって来ることだろう。

「呆れた──。あなた、まだそんな所にいるの! 急ぎなさい!」

 ごみ袋を提げたお母さんが、玄関からわたしを急かす。その声に押されるように、わたしは小走りで駆け出した。



  ☆



 夕方、といえば黄金色が定番だけれど、今日の空はどんよりとした、ねずみ色。

 そんなねずみ色の下の空き地に、吉蔵さんはいた。

「やぁ、ちーちゃん、こんにちは。学校の帰りかい?」

「こんにちは、吉蔵さん。──あれ? 雪だるま、作っているの?」

 これは雪だるまじゃなくて、雪うさぎだよ。と吉蔵さんは教えてくれた。

 『吉蔵さん』とは、空き地向こうのおじいさんのこと。本当のお名前かどうかは知らないけれど、ご近所さんはみんな『吉蔵さん』と呼ぶ。

「『雪うさぎ』? ……あっ! ふふふ──」

 吉蔵さんの手元を覗き込んで、わたしは思わず笑ってしまった。

「吉蔵さん。──うさぎさん、前足を片方作り忘れてますよぉ?」

「んんん、どれ……あらら、こりゃあいけない!」

 吉蔵さんは、こりゃ失敗したなぁと頭を打って笑った。

「そろそろ日が暮れる。寒くなる前にお家へお帰りよ」

「はぁい。吉蔵さん、おやすみなさい!」

「おやすみ」


 ──その晩、

 昨夜に続いて何故か目が覚めてしまったわたしは、ひっそり静かな光りが揺らぐ窓辺のカーテンに、そっと指を差し込んでみた。

「────!」

 そこには……、

 三本足で走り回る、いびつなうさぎがいた──。

 片足がないせいか、小さな輪っかを描きながら、ぐるぐるぐるぐる廻るうさぎは、まるで綿雪が嬉しくて、はしゃいでいるかのようだった。


 雲の切れ間から僅かに届く月明かりが、雪といびつなうさぎのダンスを、静かに静かに照らしていた。



  ☆



「吉蔵さん、ただいま!」

「やぁ、ちーちゃん。おかえり」

 吉蔵さんは、今日も空き地にいた。昨日に続き、今も何かを作っている。

 空き地に積もった雪の上を、ぎゅっぎゅっと踏み込むように歩いていく。道路とは違い、荒らされることのないまま降り積もった雪の上を、一歩一歩と進むのは、ちょっと気持ちがいい。……でも、その反面、少しだけ後ろめたくもあるのはどうしてだろう。

「……毎日、うさぎさんを作っているの?」

 白い地面に屈みこむ吉蔵さんは、手を休めずにこう答えた。

「毎日、というわけじゃあないがね。雪が積もっている時は──、かな」

「昨日作ったうさぎさんは?」

「ん? ……さあねぇ。おおかた走ってよそへでも行ってしまったかな、はっはっは」

「…………」

 わたしが困った顔をしていたからだろう。つまらない冗談を言ってしまった、と吉蔵さんは頭を下げた。その後、ゆっくりと立ち上がり、ひざに付いた雪をぽんぽん払う。「んーっ」と一度腰を伸ばした後、こう繋げた。

「──ちーちゃんは、“雪の花”の話を知っているかな?」

「ユキノ、ハナ……?」

 知らない、とかぶりを振ったわたしの視線は、吉蔵さんの足元でピタリと止まった。


 吉蔵さんの作ったうさぎは、今日は何故か、片耳だけが異様に短かった。



  ☆



 綿入りの半纏を肩掛けにして、小窓の桟で頬杖をつく。

 お母さんに見つからないように、ないしょで淹れたホットチョコレートをお供にして、わたしは片耳のうさぎを眺めていた。


「ユキノ、ハナ……?」

 わたしがそう聞くと、吉蔵さんは静かに頷いた。

「ぼくがうんと小さな頃に聞いたお話だから、ちーちゃんからしたら『むかしむかし』のお話になるね」

 小さく笑った吉蔵さんは、遠くを見つめるように目を細くすると、ゆっくり語り始めた。

「──むかしむかし、村のはずれに小さな森があったそうな。小さな森の中にある、一本の樹。大きな大きな、それは立派なもみの木だった。──こんこんと雪が舞い散る夜、その樹の周りにだけ咲く花がある。それが──」

「ユキノハナ!」

 思わず口を挟んでしまったわたしに、ニッコリ頷く吉蔵さん。

「──そう、それが『雪の花』。この花には特別な力があってね、これを見つけた人の願いを、ひとつ叶えてくれるのさ」

 自分だったら何を願おう、とわたしが俗物的な願い事をあれこれ考えていると、吉蔵さんは、違う、と言った。

「雪の花はね、その人が本当に望むものを与えてくれるんだ。心の底にある、本当に本当に叶えたいことを──」


 ぶるっと震えたので、マグカップを手に取り傾けてみる。チョコレートは既に温くなっていて、マグカップの底には溶けきらなかったチョコレートがたまっていた。

 雪の花を見つけることはわたしたちにはとても難しいらしい。そこで『雪うさぎ』の出番、ということだった。雪うさぎは雪の花への案内役、というのが吉蔵さんの話だった。

 狭い空き地を、ふらふらさ迷う片耳うさぎ。その足どりはとても頼りない。

 よし! とわたしは心を決めて、カーテンを閉めた。



  ☆



 今日は、昨夜の雪が降り止まぬまま、一日が始まった。

 さらさらの綿雪は、わたしの傘を降っては滑り落ちていく。学校から戻るや否や、鞄を部屋へ投げ込むとすぐさま家を飛び出し、となりの空き地へと向かった。

 案の定、今日も雪を捏ねくり回す吉蔵さんがいた。

 降り積もった雪を踏み固めるように、注意しながら吉蔵さんの背中へ向かって進む。一生懸命作っているようだけど、吉蔵さんの作る雪うさぎはやっぱりいびつで、今日のうさぎは両耳が短く、むしろねずみのように見えた。……まったく、吉蔵さんは雪うさぎを作り上げる気があるのか無いのか。

「吉蔵さんはうさぎさんを見たことが無いんじゃないですか!? それじゃあハツカネズミですよ?」

 わたしの声に驚き、吉蔵さんは奇声を上げた。

「*◎%↑△※ー! び、びっくりしたぁ。……危うく、お迎えに呼ばれるところだったよ」

 腰に手を当て仁王立ちで凄むわたしを見上げる吉蔵さん。脅かすつもりはなかったけど、お詫びに、と一枚の写真をポケットから取り出した。

「……これは?」

「これが『うさぎ』です」

「…………?」

「この子は『ミミちゃん』。小学生の頃、学校の小屋で飼っていたうさぎさんです」

 耳が長くて、しっぽはタンポポの綿毛のように丸くて。わたしは吉蔵さんにミミちゃんの写真を見せながら、うさぎの特徴について一通り聞かせた。

「──吉蔵さん、何か叶えたいお願いがあるんですよね? わたしに吉蔵さんのお手伝いをさせて下さい」

 わたしの申し出に、吉蔵さんはこうべを垂れて黙りこんでしまった。──もしかしたら願い事を横取りされるのでは、と訝しんでいるのかもしれない。

「違います、違うんです! わたしはただ、吉蔵さんの夢を応援したくてですね! 別に、ハッシュドポテトをお腹いっぱいに食べてみたいなぁーとか──」

「……ありがとう、ちーちゃんを疑ってなんていないよ。だが──」

「吉蔵さん? ……吉蔵さんは、本当に『雪うさぎ』を作る気があるんですか? 失礼ですが、わたしにはとてもそうには見えません。うさぎさんが……可哀想です」

「…………」

 吉蔵さんがいつから『雪うさぎ』を作っていたのかは知らない。わたしが夜中に偶然目にしたのが最初なのか、もしかしたら毎年雪が降る度に作っていたのか。どちらにしても、今もこうして作っているということは、吉蔵さんはまだ願いを叶えていないということだと思う。そしてその度に、吉蔵さんの作った不完全な『雪うさぎ』は、満足に走ることが出来ず、狭い空き地をぐるぐる回ってしまうのだ。

「実は、わたし……昨日の夜中に家を抜け出して雪うさぎを作ってみたんです。だけど、わたしの作ったうさぎさんは動き出しませんでした」

「──! 雪うさぎが、動く……だって!?」

 こくん、と頷く。

「──はい。吉蔵さんの作ったうさぎさん達は動くんです。びっくりですけど」

 昨晩、片耳うさぎを見守った後、わたしは興味を引かれて、思わず部屋を飛び出していた。わたしの作った雪うさぎはアニメのようにデフォルメされたものだったけど、うさぎとしての特徴は捉えたものだったはず。

 しばらく待ってみたけど、全く動かないデフォルメうさぎ。そしてそれをよそに、片耳うさぎは依然、ぴょんぴょん、ぴょんぴょんとわたしの周りを跳ね回っていた。

「きっと、本当に叶えたいお願いがある人が作るから、動くんだと思います」

 わたしはもう一度、吉蔵さんの目を見て、こう言った。

「吉蔵さんの作ったうさぎさんは動くんです。……動くんですよ」

 なので、一緒に頑張って元気なうさぎさんを作り上げましょう、──わたしがそう結ぶと吉蔵さんは、ありがとう、と言って、瞼を固く瞑った。



  ☆



 しんと真っ白に静まる夜。

 抜き足差し足、忍び足……と、こっそり空き地へ向かうと、吉蔵さんは既にいた。そして吉蔵さんの足元では『雪ねずみ』が元気に走り回っていた。

「こんばんは、ちーちゃん。大丈夫かい? ──それにしても、こりゃあたまげたもんだ。本当に動き回っているじゃないか、……ハツカネズミが」

 吉蔵さんは顔をくしゃくしゃにして、自分の作った雪うさぎを嬉しそうに眺めていた。

 一昼夜降り続いた雪は白い絨毯をより一層厚くし、 今も少しずつ少しずつ、その嵩を増している。

 月明かりの届かない、厚い雲の下。外灯の光を反射する白の世界に、わたしと吉蔵さんは立っている。

 吉蔵さんはしばらく空を恨むように睨みつけた後、一転、穏やかな顔をして、口を開いた。

「──お待たせしたね。……では、お願い出来ますかな」

「はい。──頑張りましょう」


 わたしが作ったのでは意味がないので、わたしはあくまでもサポート役だ。ひとまず吉蔵さんがうさぎの土台をこしらえ、おおまかに形を整える。頭を手前に落とし、前足を顔に添えてつき出すようなフォルムだ。

 ミミちゃんの写真と見比べながら、わたしはアドバイスをする。そして吉蔵さんは、繊細に、そして時には大胆に雪を固め、また削って……を繰り返し、絶妙なバランスに仕上げていく。途中からわたしはすることがなくなり、時折ぴょんぴょんと邪魔をしにくるハツカネズミから雪うさぎを守る、という役割に徹していた。──といっても、吉蔵さんの邪魔にならないように、一緒に遊んでいるだけだ。

 そう、わたしにはそもそも手伝えることなんてなかったのだ。


「……出来たよ」

 狭い空き地をぐるぐる、ハツカネズミを踏みつけてしまわないように、と気を付けながら一緒に走り回っていると、吉蔵さんはわたしを呼んだ。

「──! すごいっ!」

 出来上がった雪うさぎは、雪の彫刻──いや、まさに生きているうさぎ、そのもののようだ。

「さて、……頼むぞ」

「──お願い!」

 わたしたちは口々に祈りを捧げる。

 その瞬間──、

 ねずみ色の雪雲は左右に分かれ、その隙間から真ん丸な月が顔を覗かせた。

 雪の照り返す月の光が、一瞬、雪うさぎを包んだかと思うと、今度は雪うさぎ自身が発光しているかのように光を湛え、そして……、

「──やったぁ!」

「お……おぉ」

 それは、雪うさぎに生命が宿る瞬間だった。

 耳をパタパタ、鼻をヒクヒクとさせた雪うさぎは辺りを二、三見回すと、唐突に駆け出し、空き地の中心へと跳ねて行った。

 『雪うさぎ』は大樹の袂に咲く『雪の花』への案内人ではなかったのかな、と首を傾げていると、声を潜めて吉蔵さんは言った。

「……昔は、ここら一帯は森だったんだよ」

「じゃあ?」

「ああ、あそこに『雪の花』が咲くのだろう……」

 わたしたちは雪うさぎを脅かさないように、慎重に近づいていく。

 雪うさぎは、地面に鼻を擦り付けるようにして僅かに位置を探ると、ぴたり、動きを止めた。

「行きましょう!」

 小さな白い案内人の背中から、地面を覗き込む。雪うさぎの示す辺りの雪が、ぼんやり光っていた。

「──掘ってみては?」

「ああ……」

 ゆっくりと吉蔵さんが屈み込み、軽く雪をすくってみせると、雪の結晶というには大きい、しかし、わたしの手のひらにもとても満たない、小さな小さな『雪の花』が、そこにはあった。

「これが──」

「そう、これが『雪の花』だ」

 吉蔵さんの喉が、ごくりと鳴る。少し躊躇った後、ちょっとかすれた声で「良いかね?」とわたしに訊ねた。

「もちろん」

 と、わたしは答える。

 膝を揃えるように降ろし、雪の花を両手ですくう吉蔵さん。わたしは数歩下がり、その背中を見守る。


 吉蔵さんは、願いを唱えた──。



  ☆



 気が付くと、わたしは部屋のベッドで横になっていた。

 夜更かしのせいか、瞼が少しだけ重い。いまいちハッキリしないけど、紛れもなく、ここはいつもの朝だった。……ただ、いつもの朝と違うところは、救急車かパトカーか、もしかしたらその両方かもしれないけど、そのサイレンで表がざわついていることだ。

 目覚まし時計よりも早く起き上がり、わたしは一階へと向かう。ぼんやりした頭のまま、ダイニングのドアノブに手を伸ばすと、扉のむこうからお父さんとお母さんの話し声が聴こえてきた。

「……そうなの、心臓発作ですって。嫌ねえ、冷え込んでいたからかしら──」

「あの人も年だったからなぁ。家族にも先立たれて身寄りも無かったろ? ……新聞配達員が? ──そりゃあ気の毒に」

 わたしはドアノブからゆっくり手を放すと、降りたばかりの階段を昇り、自室へ戻るとカギを掛けた。そのまま、ばふっ、とベッドへ倒れ込む。

 吉蔵さんは、雪の花に、こう言った──。


『家族に……、もう一度、家族に逢えますように──』


 わたしは吉蔵さんのことを何も知らない。

 吉蔵さんの、本当の名前すら知らない。

 もう一度家族に逢えますように、そう唱えた吉蔵さんに、わたしはこう言っていた。

『大丈夫です! きっとすぐに逢えますよ!』

 ──と。

 吉蔵さんの手のひらで、雪の花は瞬いて消えていった。その後、吉蔵さんはわたしに「ありがとう」と言った。

『──ちーちゃん。本当にありがとう。ぼく一人では、とてもじゃないが勇気が出なかった。君には心から感謝しています。……本当にありがとう』

 悔しくて悔しくて、わたしは布団を掴んで、頭から被った。でも、それだけでは抑えきれる自信がなかったので、布団の端を引っ掴むと、それを勢いよく噛み締め、わたしは力いっぱいに泣いた。


雪の降り止んだ、二月の朝のことだった──。





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[良い点] 日常ではありながら幻想的 あとウサギを触りたくなってきた。
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