「リボンの騎士」①
「運命」それは、人の生きる道。
生を受け、死するまでの軌跡。
生き得る限り自分の状況なんてものは全く関係なく、
世界が流れると共に、それもまた、進み続ける。
いつか出会う何かのために、どこかで出会う、誰かのために。
そして、己が己であるために。
ミンシア編 第一章 リボンの騎士
Ⅰ.
西の国。誰が呼び始めたのか、何を基準にそう呼んだのか、今はもう忘れ去られてしまったが、ここは、西の国。穏やかな気候と豊かな実りが国を支え、陽気な民が、流れるように生活音を奏で合い暮らす。ここは、西国主都シンフォニア。
重層構造をとる主都の九層目、ノネットには、国が管理する王国図書館や研究所、病院などが建ち並ぶ。国を守護する騎士の候補生たちが通う騎士団候補生学校も、そのうちの一つである。
騎士団学校、午後の協議堂には暖かい日差しが開け放した窓から柔らかく広がっている。気温を緩やかに調節するように、収穫の時期を迎えた麦の匂いと共に、どこからかやってくる柔らかい風がカーテンをふわふわと揺らしている。
「―…現在、私たちが暮らす世界は、東西南北の四つの大陸に分かれています。そしてそれぞれの大陸を、それぞれ一つの国家が治めているのです。」
チョークが黒板をたたく音と共に、講師の凛とした声が響く。一定のテンポで穏やかに、滞りなく流れていく時間を共有する候補生達の中に、一人、頬杖をついて窓の外を眺めている青年がいた。
「(腹…減ったなあ…)」
彼の青く澄んだ髪の毛が、実りの風にあおられふわふわと揺れる。
「東西南北、とは言いますが、現在各国間の交流はほとんどなく、他国の情報は私たちの知り得るところではありません。いえ、多少交流があったと言われる年代でさえ、それぞれの国の詳細な情報が共通認識として知られることはありませんでした。」
講師は黒板に張りつけた世界地図を指示棒で指しながら、真剣な目つきで講義を続けている。
「では、何故このような世界地図が存在しているのか、分かりますか?」
青い青年以外の候補生たちは、講師の態度に共鳴するように真剣に講義を受けている。その中の一人の女子生徒が講師の問いに元気よく答える。
「はい!世界学者の【ビレイ・コンダート】が唯一世界を測量して廻り、世界地図を書いたから、であると言われています!」
「その通りです。彼は四つの大陸、四つの国をその目で見たたった一人の人間と言われています。」
その生徒の答えに満足したように、講師は一度微笑み、講義を続ける。教室内に吹き込む風はやむことなく穏やかに流れ続ける。
「(肉が食いたいなあ…)」
依然として窓の外に放り投げた視線を教室内に戻すこともなく、青い青年は一人大きなあくびをした。穏やかな午後の旋律は暖かく彼を包んでいる。髪を揺らす風も、耳につく声も、彼にとってはその一部だった。
「彼の学説によれば、大陸が四つに分かれ動いたことで、それぞれの大陸に特有の性質が生まれたと―…。」
青年はもう一度あくびをして目を閉じた。穏やかに溶けていく、時間、空間、音…そして自分。それがあるべき姿であるとでも言うように、ゆっくりとまどろみの中に落ちていく。行こうとしたその瞬間。
「おい!」
隣の男子生徒に肘でつつかれ、彼はそっとその深い瞳を開けた。
「あ。」
世界は溶けてなどいなかったらしい。
顔をあげると、講師がその凛とした顔をさらに険しくして、かなりの存在感で彼を睨みつけている。青年が柔らかく微笑んでみたところで、それが変わるはずもなく。
「アイル君…。いえ、アイル・ファーデン君?私の話を聞いていましたか?」
怒気をまとう存在感に、青い青年、アイル・ファーデンは、しかし全く臆すことなく、ふわふわと答える。
「あはは、すみません、全く。」
講師はその様子にひとつため息をついて、指示棒で自分の肩をたたきながら眉間にしわを寄せた。
「君は…明日から騎士団最高位のシルム隊に配属になったとはいえ…。そのようにたるんでいては隊長のヴェネックにどやされますよ…!」
この協議堂で講義を受けている生徒たちはみな、明日この学校を卒業して、晴れて騎士となる。今日はそのための最後の講義であると言うのに…といった講師のボヤキも、アイルには心地よい風と同じように、ふわふわと届いていた。だからこそ、彼は同じように、ふわふわと笑う。
「先生。大丈夫だって。今日の講義の内容は今までのおさらい、だろ。次に先生が話すことも、ちゃんと分かってるよ」
柔らかい風に乗るようにゆっくりと微笑んだ彼の目は、深く深くどこまでも続く海の様で、講師はふとボヤキを詰まらせる。
「じゃ…じゃあ、続きを話してもらおうかしら?それぞれの大陸に特有の性質が生まれたため、どうなったの?」
アイルは目を閉じて、ゆっくりと話しだす。暖かい午後の協議堂、やわらかい実りの風、その場所に存在する全ての一部として、ゆっくりと。
「大陸が四つに分かれ、それぞれの国に特性が生まれ、それによってそこに暮らす人間も特別な力を持つようになった。」
体のリズムを感じ取りながら、その流れに沿うように、力を最小限に押さえてアイルが手を合わせると、彼の周りにキラっと光が舞う。
「こんな風に、だろ?」
瞳を開けて、少しばかり悪戯そうに笑いながら、アイルは講師を見上げた。講師はまた困ったような顔をして息をつく。
「君は本当に…話を聞いているのだかいないのだか…」
「ちゃんと聞いてますよ。」
笑顔は崩さないまま、その雰囲気を再びふわふわと柔らかいものにし、アイルは続ける。
「西国の民は、生まれ持った性質や能力によって多少の差異はあるが、魔法を使えるようになった。しかしその起源などの詳細は未だ解明されていない。また他国の民がどのような力を持っているかについては全く分かっていない。なぜなら―…」
そこまで聴いて、講師は一休み、と言わんばかりにこほんっと息をついた。
「もういいわ。…これじゃ誰が講師か分からないもの。有難うアイル君。」
諦めたようにそう告げた講師に、アイルはもう一度ふわっと笑顔を浮かべた。
「いいえ。先生の授業が分かりやすいから、一度聴いただけで覚えられるんですよ」
その言葉は本心なのか。彼の瞳は奥深くその真意を推し量ることは出来ないが、彼が醸し出しているその柔らかい雰囲気は周りの全てを包みこみ、そしてまた、流していく。
「全く…君は本当にもう。」
少しだけ困って、少しだけ嬉しそうに微笑んだ後、講師はまた凛とした表情に戻り、さて、と講義を再開する。
「いいですか、皆さん。何故他国についての詳細が分かっていないか、覚えていますね?交流がほとんんどないことに加え、唯一世界を回った人間とされる、世界学者【ビレイ・コンダート】の学説は主に口承…口で言い伝えられてきたものが多く、彼が書いた書物は現在ほとんど残っていないため、です。そして―…」
暖かく、穏やかな午後。光が差し込む協議堂。実りの風、ふわふわとゆれるカーテン。凛とした女講師と明日には正式に騎士となる勤勉な騎士候補生達。その中で青い青年、アイル・ファーデンは今度こそ目を閉じる。柔らかく、柔らかく、静かに、その世界に溶け込むように。
Ⅱ.
午後三時を告げる鐘が鳴る。主都最上層、デクテットにあるシンフォニア城から美しい鐘の音が流れ、滑るように主都全体に響き渡る。三時、それは一日の内数ある区切りの一つ。そして心地よく響く鐘の音は、ひと休みの合図。
騎士団学校も例にもれず、鐘の音をひとつの区切りとして、カリキュラムが立てられている。三時の鐘が鳴り、休憩をはさんだのち、候補生たちは座学から解放され、実技の講義に入る。しかし、騎士団入隊を明日に控えるアイルのクラスは例外だった。
「おーい、アイル!そろそろ起きろって!」
アイルのものより少し低く、かすれた声が協議堂の空気を揺らす。しかしそんなことには全く気付く様子もないアイルは、未だ夢の世界に落ち着いたままである。
「アイルったらまだ起きないの? おおおーい!あっさでっすよう!」
今度はアイルよりも何倍も高く、何倍も幼さが残る声が、協議堂に響く。しかし、やはりアイルは全く目を覚ます様子もなく、ふわふわと、健やかに眠っている。
「本当にこいつはよく寝る…、割に成績は優秀だし、なんでもソツなくこなしやがる。」
きちんと制服を着たかすれた声の青年が、髪の毛を掻き上げながらため息をついた。そのそばで、小さな体を細々動かして可愛らしいしぐさをする女の子も、わざとらしくため息を吐く。
「よく食べ、よく寝て、よく笑う。健康そのものだね…!」
明日、城で年に一度の騎士団入隊式が執り行われる。カリキュラムを終え、正式に騎士団に入隊するクラスメイト達は、講師たちに挨拶をすませて、期待に胸を膨らませながら早々と帰宅していった。協議堂に残ったのは未だふわふわと眠り続けるアイルと、その友人であろう二人だけ。
「もーぅ、あーいーるー!いい加減起きないと、本当に置いて帰っちゃうよ~!ほら!クルトも起こすの手伝って!」
クルトと呼ばれた青年は、一度肩をすめてみせてから、再びアイルに声をかける。
「ったく、しょうがないなあ…。おーい、アイル・ファーデンくーん。今日こそピアニが積年の思いを伝えようと、お前を必死に…」
女の子の可愛く結った左右のおさげが、ぴょんとはねる。
「んもおおおお!真面目に起こしてって言ってるの~!誤解されるようなこといわないでよお!」
小動物のようにぴょこぴょこと怒って見せる女の子ピアニは、しかし全く迫力がない。
クルトとピアニ、二人だけの声が響く、協議堂。その声は風と共に、アイルの髪の毛を揺らし続けている。がしかし、だからこそ、それは穏やかな世界の一部であり、アイルは全く気付かない。
「…ったく!しょうがねえなあ、コイツは」
いつものことながら全く目を覚まそうとしないアイルに、しびれを切らしたクルトが、整った手で拳を作って一発小突く。小突く…という表現にしては嫌に低く鈍い音が鳴り響き、やっとアイルがゆっくりとその深い瞳を開けた。
「……んー…。あれ?どうしたんだ、二人とも。そんな呆れたような顔してさ。」
間延びしたやわらかくも低い声。ふわふわと揺れる青い髪。そして寝ぼけていても分かる整った顔。やっと目覚めたアイルに対してクルトは少し不服そうに一息つきながら、誰にも聞こえないような声で静かに言葉を吐き出す。
「お前、本当に嫌味な奴だよな」
意図せずともその声をかき消すようにアイルはぐーっと背伸びをした。徐々に覚醒してくる脳がゆっくりと頭部の痛みを訴える。
「あれ?なんか妙に後頭部が痛い…」
痛みを発している部分をなでながら心底不思議そうに首をかしげるアイルに、クルトは馬鹿馬鹿しくなって、呆れたように彼を見下ろしながら言った。
「お前がなかなか起きないから、俺が小突いたんだよ。ばーか」
協議堂に再び低く鈍い音が響く。
「いって!」
患部を再び小突かれて、徐々に痛みが大きくなっていく後頭部を両手で押さえたアイルは、力なくやわらかく抗議をした。
「いって~…もう、何するんだよ(笑)」
お前が寝すぎるのがいけないんだよ、とクルトがアイルの髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きまわすと、今の今まで二人のやり取りを静かにじーっと眺めていたピアニが、ぷっと吹き出した。
「ぷぷぷ!仲がいいね!格闘技が得意なクルトに小突かれたら、そりゃー痛いよね、アイル♪」
3人の声が響く午後の協議堂。それは何も変わらない、いつも通りのリズム。穏やかな世界。
だからこそ、だからこそ。
「結局、他国のことは何も分からないんだろ?」
日が陰り、真っ赤に染まった帰り道。ふと会話が途切れ、クルトが思い出したように今日の講義について話し始める。んー…と少し首を捻りながらピアニが答える。
「別に知る必要がないからでしょ?お互いに関わらなければ、今の調和を乱すこともないんだし」
二人が真剣に話し始める中、アイルは黙って空を見上げている。クルトが眉間にしわを寄せて、小石をひとつ蹴った。
「まあなあ。正直、別の国があります!って言われても、俺たちは、その国も、その国の民も見たことがないんだから、実感わかないよな」
小石がコンコンっとリズムよく転がっていく。その様子をじっと眺めながら、左右のおさげをぴょこぴょこと揺らして、世界学だけは得意なピアニが真剣に言葉を続ける。
「そもそも、【ビレイ・コンダート】の学説も信憑性が高いってわけじゃないよね。証拠として文献が多少なりとも残ってるって言われてるけど、それを実際に見たって人も知らないし、本当かどうか…」
世界学だけはピアニに敵わないクルトが、難しそうな顔をして転がらなくなった小石をもう一度蹴ると、小石は二つに割れてそれぞれが好き勝手な方向に転がり始めた。
「もしかしたら全部嘘っぱちで、俺たちが住んでるこの場所以外に別の大陸なんてなくて、だからもちろん別の国なんてものもない!のかもしれないぜ」
片方の小石は、下の層に繋がる鉄製の階段に向かい、カンカンっと徐々に音を響かせながら転がって行った。
「うーん…。でも私たちが小さい頃、一度だけ王族同士の交流があった…ともきいたことある…。……だけど…今はない。それってどういうことなのかな。」
もう片方の小石は、赤く染まった帰り路を小さな音を立ててリズムよく転がって行った。
アイルは広く続く空を眺めたまま、二つの小石が転がって行く音に耳を傾けていた。クルトの良く響く低い声が、夕日の景色に流れる。
「まあ、いーんじゃないか。俺たちのすべきことは、騎士としてこの国を守ること。他国も【ビレイ・コンダート】も、今は存在しないのと同じなら、それは俺たちが気にすることじゃねーよ」
それに呼応して、ピアニの高く弾んだ声が風景に添えられる。
「う。それはそうかもだけど…。【ビレイ・コンダート】…かあ。本当、何者なんだろうね…。ね、アイル。」
ふと話題を振られたアイルは、溶け込むようにただただ静かに微笑んだ。




