021 公爵令嬢、怯える
ゲームヒロインのミュリエルに、わざわざ声をかけておきながら「ごきげんよう」とだけ告げて走り去ったメリーローズだったが、その一言は意外と大きな影響をもたらしていた。
入学式の数日前に、寮に入っていたミュリエルだったが、平民ということもあり、実は早速いじめを受けている。
そのいじめとは、暴力などの過激なものではなく、いわゆる「無視」というものだ。
挨拶しても、顔を背けられる。
質問しても、聞こえない振りをされる。
地味ではあるが、される方にとってはボディブローのように痛みが積み重なってくる、質の悪いいじめだ。
そんなこんなで、入学式前日までミュリエルとまともに話をしたのは、門の近くでも彼女と一緒にいた、三つ編みの赤毛に丸眼鏡を掛けた少女だけであった。
彼女の名前は「ヘザー・アシュビー」。
地方の伯爵家出身で、外部から入学した学生のうちの一人だ。
伯爵令嬢といっても、父親の領地経営が上手くいっておらず、あまり財のない家で、金策のために領地を少しずつ売っていることで、更に財政的に窮地に追い込まれるという悪循環を繰り返している。
おかげで貴族令嬢らしい贅沢を知らずに育ったヘザーは、平民のミュリエルに対しても特に隔たりを感じることなく、寮で同室になったのをきっかけに、仲良くなったのであった。
平民のミュリエルと、貧乏な伯爵令嬢は、当然のように周囲から浮きまくる。
男子学生などは、愛らしいミュリエルに鼻の下を伸ばす者も多かったが、婚約者(学院内に許嫁が在籍している学生が多かった)の手前、声をかけるのが憚られたようだ。
結局、メリーローズに「ごきげんよう」されるまで、ミュリエルに話しかけたのは、ヘザー以外ではオリエンテーリングのときのアルフレッドだけ、という有り様である。
とはいえ、アルフレッドは「生徒会の仕事」という名目があった。話しかけても不自然ではない場面だ。
しかしメリーローズは、特に声をかける必要のないときに、わざわざ挨拶をしたのである。
本来、挨拶をするのなら、身分が下のものから先に上のものに対してするのが常識であった。
それをぶち破ってメリーローズが挨拶したことは、さっそく学生たちの間で噂になる。
それでなくてもランズダウン公爵令嬢と言えば、礼儀作法に厳しい、四角四面なご令嬢として知られていたのだ。
そのメリーローズが、慣例を破ってまで平民に挨拶をした!
王家に次ぐ高貴な家系、第二王子の婚約者というステイタスを持つご令嬢の行動に、他の学生たちも追従することにしたのだった。




