020 公爵令嬢の、前途多難な入学初日
走らなければ
走り続けなければ
追いつかれないように……
ローデイル王国は四月になり、新年度が始まった。
空気はまだひんやりしているが、日差しはだいぶ春めいている。
入学式を前に、メリーローズとシルヴィアは高等学院に入寮するべく、ランズダウン邸を出発した。
中等学院までは貴族の子弟だけが通う学校で制服などはなかったのだが、高等学院は十年くらい前から平民も通えるようになり、そうすると着ているものに差が出てくるという問題が起きたことから、制服が取り入れられるようになったと聞く。
女子はワインレッドのブレザーとグレーの千鳥格子のセミロングスカート。
ブレザーの丈が短めのデザインで、胸ポケットには王立学院であることを表す、王室の紋章が付いている。
これを着ていたら、街でハメを外すような真似はできないのだ。
ちなみに男子は、上着が濃いめのモスグリーンで女子と色違いである。
「おお、メリー。新しい制服もよく似合っているぞ」
「ありがとうございます、お父様」
メリーローズの両親の他、執事やメイドたちが玄関先にずらりと並び、二人と、そして付き添いのメルヴィンを見送ってくれた。
ちなみにメルヴィンは馬で毎日、家と学院を行き来している。
「寮生活なんて大丈夫かい? メリー。なんなら俺が毎日、馬で送り迎えするのに」
馬車の隣につけて、メルヴィンが話しかけた。
「あら、そうなったらシルヴィアはどうなるの? 一緒に馬に乗せていただけます?」
「さすがに三人で乗るのは無理だな。仕方がない。シルヴィア、自分の勉強もあるのに大変だと思うけど、メリーのことを頼むよ」
「かしこまりましてございます」
学院に近づくとメリーローズたち同様、寮に入る予定の学生を乗せた馬車が道に増えてきた。
学院の敷地へ入る前に身元確認をしているらしく、渋滞が起きている。
暇に飽かせてメリーローズが門を眺めていると、徒歩で中に入っていく少女とその父親らしい男性の後ろ姿が見えた。
少女は学院の制服を着ているが、男は質素な服装である。
(もしかして、ミュリエル?)
ハッとして二人を見つめていたが、後ろを振り返ることなく中に入っていってしまった。
「誰か、知り合いでもいた?」
馬車の窓から首を伸ばしていたメリーローズに、メルヴィンが話しかける。
「あ、いいえ、知り合いかと思いましたが、人違いですわ」
慌てて取り繕うメリーローズに、今度は本物の知り合いが声を掛けてきた。
「きゃあ、メリーローズ様ぁ! お会いしたかったですー!」
メリーローズたちが乗る馬車の斜め後ろに、リボンと花飾りをたくさんつけた馬車が近寄ってきて、明るい茶色の髪の少女が身を乗り出している。
「……あら、アデレイド。お久しぶりね」
アデレイドと呼ばれた少女は、御者に「もっとメリーローズ様の馬車の近くに寄せて!」と命令しているが、あまり近づき過ぎても接触事故を起こすからと注意して止めさせた。
「アデレイドったら。慌てなくても寮に入れば、ゆっくりお話しできましてよ」
「それもそうですわぁ。もう、わたくしったら……」
彼女はアデレイド・ロングハースト侯爵令嬢。
メリーローズの取り巻きで、ゲームのときもメリーローズの隣でミュリエルいじめに加担していたと記憶している。
しかしそんなことがなければ、メリーローズに心酔するだけの気のいい少女だ。
窓から身を乗り出しているため、波打つ髪がフワフワと春風になびいて、なかなかに可愛い。
貴族のご令嬢らしく、何の悩みも心配もなさそうなお気楽な笑顔だ。
そんなアデレイドだが、ゲームのときはメリーローズに付き合ったため、共に断罪されてしまった。
フェリクスに狙われた時も、メリーローズと同様に手にかけられたり、大怪我を負わされたりしたはずだ。
(わたくしのこれからの行動は、アデレイドにも影響が出るのよね)
そう考えると、責任重大である。
(ミュリエルとのこと、例えわたくしの設定が悪役令嬢であっても、この学院生活での悪いフラグを躱して、上手く乗り切らなくては)
馬車の横で、アデレイドに挨拶しているメルヴィンの横顔を見た。いつも妹思いで優しい兄。
更に、馬車の中で隣に座るシルヴィア。両親やランズダウン家で働く人々。
(それから、BLも絶対バレないようにしないと。私のせいで彼らの首と胴体が離れ離れにされないよう、細心の注意を払って無事に学院生活を乗り切りましょう!)
そう考えた後、我ながら欲張りだと、苦笑が漏れた。
安全も確保したい。BLも捨てられない。
(だって、わたくしにとっては、どちらも大事なものなのだから)
なら、どちらも守るまでだ。
入寮の手続きが済み、荷物を運びこんで整理をしていたら、あっという間に入学式の日がやってきた。
新入生代表で挨拶文を読むのは、主席のミュリエル・ルーカン……ではなく、二番目の成績だったフェリクス王子である。
(そこは別に平民でもいいじゃない。変なとことで区別するわね)
ミュリエルを観察できるチャンスを一回分潰された恨みも相俟って、メリーローズは心の中で文句を言った。
元は貴族の子弟が通う目的で設立された王立高等学院に、平民も入学が許されるようになったのは、比較的最近のことである。
ミュリエルが代表に選ばれなかったのは、そんな伝統を重んじたためなのだろうか。
心の中にド平民「横田菜摘」を飼っているメリーローズは不満だ。
入学式が終わった後、アルフレッドに会った時、それとなく話題を振ってみた。
「今年の新入生の中で一番の成績は、例の平民の学生だったと聞いていますわ。でも代表で挨拶されたのはフェリクス様でしたのね」
「ああ、そのことね」
アルフレッドは笑って種明かしをする。
「僕が提案したんだ」
「アルフレッド様が?」
何かとマウンティングし合う貴族と違い、王族として身分に関わらず鷹揚に接するところにも、中の人「菜摘」はアルフレッドに好感を抱いていた。
(それなのに……?)
「例の平民の子は、成績優秀といっても貴族のいる学院に入るのは今回が初めてだ。何かと気後れしているだろうに、新入生代表で挨拶するなんて、荷が重いだろうと思ったんだよ」
「……確かにそうですわね」
「それからフェリクスなんだけど子供の頃は体が弱くて、集団生活は今回が初めてなのは君も知っているだろう?」
「ええ」
「でも王族の一人として、大勢の前で意見を言ったり発表したりという機会が、これからは確実に増えていく。彼がそういう場に慣れるためにも、新入生代表の挨拶はいい経験になると考えて、父や学長に提案したんだよ」
ミュリエルとフェリクス、両方のためを思ってのことと知り、メリーローズはニッコリ微笑んだ。
「なるほど、さすがアルフレッド様。思いやり深いお考え、感服いたしましたわ」
(さすが『受』の殿堂入りアルたん、優しいー)
心の声が聞こえないアルフレッドは、メリーローズからの賛辞を受けて嬉しそうである。
(……何も知らず、お気の毒に)
シルヴィアがこっそり同情した。
そう言えば、あれ以来アルフレッドからの邪気は感知していない。
メリーローズの影響で同性愛者になったというのは、どうやら勘違いだったのだろうと、胸をなでおろすシルヴィアだった。




