016-2
「わたくしだって、スランプになることくらい、あるわよ」
「え、そうなんですか? でも今はすごく筆が進んでいるように見えますが」
すると、ニヤーリと笑って例の鍵が閉まる引き出しから一通の封筒を出してきた。
「見て。スランプの特効薬よ」
その封筒は可愛らしい黄色い花の絵がついていて、いかにも若い女性が好みそうな意匠である。
封筒の中には、おそろいの黄色い花の絵の便せんに、びっしりと感想が書かれていた。
「なるほどファンレターですか。しかし、それなら他にももっと沢山いただいていらっしゃいますよね。なぜ、これだけ特別扱いなんでしょうか?」
「そうね、他のお手紙も本当にありがたいと感謝してるわよ。でもこれは、他の方からのものとは熱量が違うの」
読んで欲しそうに手紙を押しつけてくるので一応読もうとするが、あれほどに本を読むことに情熱を傾けていたシルヴィアの目が、この手紙に対しては滑って内容が入ってこない。
とりあえず、メリーローズが書いた『BL小説』の内容を、これでもかと褒め称えていることはわかったので、一言だけ感想を言った。
「じつに ねっしんな かんそう ですね」
「そーうなのよーーーーう!」
シルヴィアの白けた表情をよそに、メリーローズが叫んだ。
「とにかくね、これを書いた方は、わたくしの作品への理解度が違うの! さりげなくちりばめた伏線に気づいていたり、人物の心理描写も的確に把握してくれるし、何よりキャラへの愛情があって、BLの魅力も理解してくれていて、もう、わたくしとは魂の双子なのではないかしら? と思うほどよ」
「へ、へえー……」
同じ場所にいる二人のうち、一人が極度の興奮状態に陥ると、もう一人は反比例して冷静になっていくものである。
メリーローズが嬉しそうにファンレターについて語れば語るほど、シルヴィアの心は冷静になった。
「とにかく、行間を読むのが上手いわ。きっと他にも沢山の本を読んでいるのね。それに文法の誤りや誤字脱字がなくて、理路整然としながらも、読んだときの感動が伝わってくるの」
「さぞや、優秀な方なんですね」
シルヴィアは言ってから、つい先ほど似たような会話をしたのを思い出した。
その表情の変化に、メリーローズが質問する。
「どうかした?」
「いえ、少し気になって。そのファンレターを書いたのは、どなたなんですか?」
「それがねえ、無記名なのよ。どこのどなたか、わたくしだって知りたいわ」
封筒を受け取って両面を眺めまわしても、確かに住所や名前など、差出人が誰なのかわかるものは何ひとつない。
「ヒントはこのプリムローズの絵だけね」
溜息をつくメリーローズに、手紙を返しながらシルヴィアが聞いた。
「え? この花はプリムローズと言うんですか?」
黄色い花なので、てっきりメリーローズのペンネームである『マリーゴールド』の花だと思ったのだ。
ちなみに、メリーローズは自分のペンネーム『マリーゴールド・リックナウ』を、かなり安直に決定した。
庭にマリーゴールドの花が咲く家の前を通りかかった時、その家にかけられていた表札名「リックナウ」と合わせることを思いついたのだ。
「あの、お聞きしますが、ミュリエル嬢が差出人という可能性は、ありませんでしょうか?」
「ないと思うわ」
即答できっぱりと否定した。
「確かにミュリエルも自分の持ち物やアクセサリーに、一目でわかるよう必ず花のデザインを取り入れあていたけど、それはプリムローズじゃなくて木香バラなの」
「モッコウバラ……?」
「バラの一種よ。春の終わりから初夏にかけて、淡い黄色の花を咲かせるの」
ナツミの記憶の中で、ゲームでもミュリエルが住む家の庭に、木香バラの絡まるアーチがあったと記憶している。
「それに対してプリムローズは、名前こそ『ローズ』と入っているけど、バラとは全く違う草花よ」
「そうなんですか」
シルヴィアは、意味ありげなメリーローズの視線を感じ「何か?」と尋ねた。
「シルヴィアって何でも知っていそうなのに、草花のことには疎いのね」
「薬草や食べられる植物、毒草などについての本は読んだことがありますが、園芸に関してはあまり……」
「つまり、実用的で役に立ちそうなことなら知る価値があるけど、そうでないものは知らない。知らなくてもいい、と」
「違うのですか?」
メリーローズは長時間机に向かっていて凝り固まった肩を、グルグルと回しながら言う。
「うーん。違う……と言い切ることは、私にはできないわ。でも、私が好きなコトは、そういった『役に立たない』『必要ない』と切り捨てられてしまうものが多いのよ」
「はあ……」
「今だって、差出人のヒントになるのが『プリムローズ』だって、絵を見てもわからなかったら、ヒントにならないでしょう?」
「……そうですね」
「シルヴィアは『小説』は不要なものだって、最初は考えていたわよね。でも、こうやってわたくしの書く『小説』を買ってくれて、手紙を送ってくれる熱心な読者もいるわ。彼女たちにとってわたくしの『小説』は、『知らなくてもいいもの』ではないのではないかしら?」
「……そう、かも知れません」
「だから結局、『BL』も世界に必要なものということよ!」
「今、途中の理屈をかなりすっ飛ばしましたね?」




