002 公爵令嬢、前世を思い出す
そもそも、メリーローズが菜摘としての前世の記憶を取り戻したのは二年前――
当時十三歳の公爵令嬢メリーローズは、貴族中等学院における学期末試験の勉強に追われていた。
ちなみに、この世界でも新年度が始まるのは四月、終わるのは三月、一年は十二ヶ月と、前世の日本と暦は同じである。
記憶を取り戻した後は、(その辺の設定を、ゲーム制作会社が手を抜いて、新しく考えたりしなかったんだろうな……)と思ったが、混乱しないで済むのだからまあいいか、と深く考えないことにした。
生前の菜摘は、学校で「いい成績」をとることに執着はなかったが、メリーローズは違う。
幼い頃から、王家に次いで高位である公爵家に生まれた彼女は、すべてにおいて皆の「お手本」たるべく、研鑽に余念がない。
その時も優秀な成績を修めなければいけないと、体調不良にも関わらず、毎日深夜まで勉強に勤しんでいた。
ゴホッゴホッと咳をしながら机に向かうメリーローズに、家族も心配して休養を取るよう勧めたが、メリーローズは頑として言うことを聞かない。
「公爵令嬢たるこのわたくしが、第二王子アルフレッド様の婚約者たるこのわたくしが、たかが風邪を理由に、学年トップファイブから落ちることなどあってはならないのです!」
菜摘の記憶が覚醒した今のメリーローズなら、たかが勉強の為にそんな無理はしないだろう。
ガッツは認めるが、それで命を落としては、元も子もないのだから。
菜摘自身、前世では無理が祟って死んだのだ。
* * *
生前、私こと横田菜摘は、飲食チェーン店を経営する会社で、経理課に配属されていた。
大学を卒業して、早や五年。中堅どころとして、部署の中でもそこそこ責任ある立場に置かれているが、役職はない。
そんな私には、企業で働く女性社員の肩書の他に、もう一つの顔があった。
そう、同人作家である。
しかも自分で言うのは何だが結構な売れっ子で、同人誌の販売会ではいわゆる「壁サークル」として、そのジャンルでは名を馳せた有名作家だったのだ。
最初にうちのサークルの本が売れ出したのは、中学時代私をBLに目覚めさせた張本人のヨっちゃんが描く美麗なイラストだった。
ああ、彼女が描くキャラの、美しくセクシーなことといったら!
そのうちヨっちゃん目当てで本を買った読者さんが「このサークル、漫画もいいけど小説もいい! めっちゃツボってくるー!」「尊い! 尊いしかない! 私はこの小説を読む為に生まれてきた!」といったテンションの高いレビューをSNSにあげてくれるようになって、私もまた押しも押されもせぬカリスマ作家となったのである。
ふふん。
同人活動において最も大きなイベントと言えば、何といっても夏コミと冬コミだ。
一年に二回ある、この大きなイベントに合わせ、どこのサークルも新刊を発行する。
趣味の活動とはいえ、やはり大きいイベントに新刊なしで参加するのは、大手サークルの名折れだ。
夏は猛暑、冬は極寒の海風が吹く過酷な環境の中、私たちの本を求めて買いに来てくれる読者さんたちの期待には、何としても応えなければならない。
……しかしここで、うっかり就職した職場が「飲食チェーン店」だったことがネックになった。
夏はともかく、冬コミ直前の十二月は忘年会シーズン真っただ中。
私が所属する経理の仕事もまた、鉄火場のような佳境を迎える。
毎日次々と上がってくる伝票の数は、他の月の二、三倍を軽く超え、同時にレジでの打ち間違いも比例して増え、ひどい時には毎日のように修正が入る。
「まったく、〇〇支店ってばクレカの数字の修正、今週に入ってもう四回目よ! 注意力散漫にもほどがある! その尻拭いを毎回私がするなんて理不尽! 自分でカード会社に連絡しなさいよ!」
「ホーント、いくら忙しいからって、しっかりして欲しいですよね。 じゃ先輩、お先にー」
要領の良い後輩が、デートと称して定時退社するのをジロリと見ながら、聞こえないよう舌打ちをした。
「この惨状を見ながら、よくまあ一人だけさっさと帰れるよね」
この後輩が隣の席に移ってきた当初、彼女から質問されたのだ。
「先輩って、彼氏とかいるんですかぁー?」
「いや、いないけど」
何も考えず、正直に答えてしまったのが不味かった。
それ以来、彼女はことあるごとに「私ぃ、今日は彼氏とデートでぇー」と、残業を私に押しつけてきたのだ。
残業すればその分給料は増える。生活費と、同人誌の印刷代、そして何より「レジェンダリー・ローズ」というかアルたんのグッズ代を稼ぐ為に、多少の残業はむしろ歓迎だ。……それが常識の範囲内ならば。
同人活動の忙しさとピークが重ならなければ。
十二月、冬コミ新刊に向けて印刷会社に交渉し、ギリギリ遅くまでの締め切りを確保したものの、仕事の忙しさに追われて一番大事な同人誌執筆が滞っていたのだ。
読者の為、友人の為にも、新刊を落とすわけにはいかない!
私は毎日毎日、残業を終えて遅い時間に帰宅してから、原稿の執筆にとりかかる。
時には深夜まで、時には朝方まで体に鞭打ち書き続けたある日のこと、いつも通り自室のパソコンに向かっていた時、突然胸が押しつぶされるような痛みを感じた。
(え……なに……?)
呼吸が荒くなり、冷や汗がにじんでくるのがわかる。
その直後、胸の痛みが更に激しくなり、意識がなくなった…………
そして気つけば、自分の葬式を上空からフワフワと漂いながら見下ろしていたのだ。
(そっか、私、死んだのか……)
サークル仲間でもある友人のヨっちゃんが、激しく泣きじゃくっている。
悲しんでくれてありがとう。中学からの腐れ縁だもんね。
新刊落としてごめんね。
〇〇支店の店長も来ている。
「この忙しいときに」って顔するなら、来なくていいのに。
あらら、隣の席の後輩もいる。
まーあ、人の葬式だってのにメイクに気合が入っていますこと。
その目蓋の赤い色味は、泣いたからではなくてアイシャドウだってこと、男どもにはわからなくても私にはお見通し!
なになに?「私の分まで仕事を請け負ってくれて、優しくて仕事熱心な先輩でしたぁ」だって?
はあー、よく言うわ。
言っとくけど、私の死のいくらかはあんたにも責任があるんだからね!
こいつには恨み言の一つも言ってやりたいところだが、残念ながら私の声は届かないらしい。
ほわほわ、ふわふわと漂いながら葬式の様子を眺め、「さてこれからどうしたらいいものか」と考えていると、ぅわんぅわんと頭に響く不思議な声がこえてきた。
『オマエニハ ホカノジンセイデ ヤッテホシイ コトガアル』
え? え? なに? どういうこと?
疑問が渦巻く中、体(と言っていいのかな? それとも魂?)が竜巻に巻き込まれたように回転し、悲鳴をあげた…………
……と思ったら、目を覚ましたのだ。
レースの天蓋のついた、バカでかいベッドの上で。




