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015-2

 一方……


「例の作家と契約が結べなかったって、どういうことよ!」


 王都の商業地区でも、メインストリートからは遠い、細い路地の奥まった場所にある小さな書店から、女性の甲高い怒鳴り声が聞こえてきた。


 その店の経営者である、セルマ・モリスンのものである。


「いやー、ちょっとした手違いでね……」


 ヘラヘラと笑いながら答えているのは、赤毛の編集長キンバリー・ボイル。


 セルマとキンバリーは同い年で、普段は気の合う友人同士だが、仕事の話となると、妥協を許さず、特にセルマは一歩も引かないところがある。


「信じられない……。あの作家を口説き落とすのに、どれだけ苦労したと思ってるのよ」


「まあまあ。それに苦労したのは、主に私じゃないの」


「それはそうだけど……でもね!」


「おーい」


 セルマの声が更にヒートアップしかけたところで、店番をしているセルマの兄が声をかけた。


「店の外まで声が響いてるぞー」


 妹のキャンキャンとした声に力を吸い取られたかのような、どこか弱々しい声で注意するのはウォルター・モリスン。

 妹のセルマと共に、このモリスン書房を経営している。


 三十代半ばのウォルターと二十代後半のセルマで、親から譲られたその小さな本屋を、どうにか維持するために四苦八苦中だ。


「ごめん、兄さん。でも聞いてよ! キンバリーったら、二週間もかけて口説いた作家との契約を、反故(ほご)にしちゃったのよ!」


「え? あの空想科学小説を書いてる作家?」


「そう! 彼の作品なら、絶対固定客を見込めるって、踏んでたじゃない!」


「うわあ、それは痛いなあ……」


 彼らが経営するモリスン書房は、立地条件の悪さを逆手にとって、大手の書店では置いていないような希少本を置いたり、他の出版社ではおよそ作らないであろう変わった本を独自に発行することで、どうにか生き残っている。


 希少本の発掘は主にウォルターが、変わった本の発行の方はセルマがキンバリーと共同で行っていた。


「でしょう? 人類が気球に乗って月に降り立ち、月のウサギと協力して火星人との闘いに挑む、なんてぶっ飛んだ小説、彼じゃなきゃ考えつかないわ! 他の出版社に取られちゃったら、どうしてくれるのよ!」


「……まあ、うちじゃなきゃそんな話、出版しようとは思わないんじゃないかな」


「うふふふーん」


 モリスン兄妹が契約し損ねた作家を惜しんでいると、その契約に失敗した当事者であるキンバリーが余裕の笑みを漏らす。


「ちょっと、反省してるの?」


「してませーん。なぜなら、もっとすごい作家を発掘して、もう契約しちゃったから!」


「「……は……?」」


 * * *


 今朝キンバリーは、契約にサインを済ませたメリーローズとシルヴィアを、ランズダウン邸の近くまで送っていった。


 ようやく東の空がほのかに明るくなりかけた頃で、ヘトヘトになっているメイドには悪いが、少し遠回りをさせてもらう。


「あなた方のような貴族様は、こんなとこまで来たことはないでしょ?」


「ええ、ここは下町なのですか?」


 作家であるご令嬢の方は興奮状態が続いているのか、まったく疲れを見せず、興味深げに辺りを見回していた。


「そして、あそこが『モリスン書房』。あなたの本を売る店よ」


「なんというか、やけに……小さい店ですね」


 疲れているにも関わらず、メイドが言葉を選んで感想を述べる。


「あはは、ショボいでしょ? でも、他のどの店にもない品揃えを誇る本屋よ。店そのものにコアなファンがついているくらい」


「まあ、ますます興味深いですわ。……そうね、昔は本屋によって置いている商品の品揃えが違っていて、あのジャンルが読みたいときはあの本屋、このジャンルはこの本屋と、買う店を選んでいたものですわ。それがいつのまにか、どこの店も同じようなベストセラーばかり置くようになってしまって……」


 思い出にふけりながら話すメリーローズを、シルヴィアが肘で突いた。


「驚いた。高位貴族の姫君が、直接自分で本屋に足を運ぶことなんてあるの?」


「え、ま、まあね。うふふ。お忍び? とかでね」


 適当に誤魔化したが、キンバリーは「なるほど」とだけ言って納得する。

 こんなに変わった令嬢なら、そんなこともするだろう、といったところか。


「とりあえず、あなたの本ができあがったら、あの本屋の奥に置いて、『合言葉』を言った客にだけ販売する方法で売っていきます」


「そんなやり方で、売れるのですか?」


 驚いたシルヴィアが声をあげた。


 契約締結までの駆け引きで、一冊売れるごとに売値の一割五分をメリーローズに支払うという条件を、やっとの思いで引き出していたのだ。

 もし一冊も売れなければ、ただ働きになってしまう仕組みである。


 せっかくそこまで粘ったのに(最初にキンバリーから提示されたのは、売値の七分だった)、それではあんまりだ。


「あー、大丈夫、大丈夫。ちゃんと売れるわ」


「シルヴィアったら、私の小説の素晴らしさが人々に届かないことを、心配してくれてるのね」


 キンバリーとメリーローズからは、それぞれ違った方向の能天気な返答がやってきた。


 ただし、キンバリーの方は実績と経験の裏打ちがあるもののようだ。


「店に置く分の他に、本の性質によって他の販路も持っているのよ。メリーローズ嬢の本は特別にリスクの高いものになるから、シークレットな販路、名づけて『ルート(エックス)』といったところかしら」


「『ルートX』? なんだかかっこいいですわ!」


「とにかく、売るのはこちらに任せて。製本するのだってタダじゃないんだから、作ったからには売らないと、こちらも赤字なのよ」


「はいっ! よろしくお願いします!」


 ウキウキとキンバリーにお任せ状態の主人と違い、シルヴィアは契約時に確認したことを、もう一度念押しで聞く。


「その、印刷とか製本しているところから、お嬢様の情報が漏れることはないのでしょうね?」


「勿論よ。念には念を入れて、印刷工場はおろか、モリスン書房にも、()()()の情報は伏せさせてもらうわ」


「じゃあ私は、本屋の方々には会えないのですね」


 少しガッカリした様子でメリーローズが呟くと、キンバリーが笑う。


「作家ではなく、普通の客として店に行く分には大丈夫ですよ。ただそのときは、『BL小説』の作者だと気取られないよう、気をつけてくださいね」



 キンバリーは、以上のような新作家との契約に至ったいきさつをざっくり説明し、作家の正体は伏せておくことになるとモリスン兄妹を説得した。


「今回の作家を、直接あなた方に会わせるわけにはいかないのだけど、作品については私が保証するわ。絶対、一大ブームを巻き起こすわよ」


「大っぴらに売れない危険な本で、ブームねえ……」


 冷ややかな疑いの目を向けるセルマを、ウォルターが(なだ)めた。


「まあ、ひとつやってみようよ。どうせ、他に作家はいないのだし」

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