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014 公爵令嬢、嵌められる

 三十分後、二人は手狭な集合住宅(アパートメント)の一室にいた。

 赤毛の美女の仕事部屋だというそこは、雑多なモノや、とりわけ多くの本で埋め尽くされており、足の踏み場もないほどである。


「今、お茶を淹れるから、適当に座ってて」


 そう言われたものの、どこに座ればいいのかわからない。


 シルヴィアにとっては、このような部屋に通されたことは初めてで、目を白黒させていたが、メリーローズは「締め切り前の私の部屋だって、ここまでじゃなかったわよ」と言いつつも、手慣れた様子でソファがあるとおぼしき辺りをガサガサといじり、座れそうなスペースを作り出す。


「散らかっていて、ごめんなさい」


「これを、『散らかっている』で済ませて良いものでしょうか……」


 シルヴィアは紅茶が注がれたカップとソーサーを受け取りつつ、ささやかに抗議した。


 お茶を受け取ったはいいが、置き場所がないので、そのまま飲むしかない。

 二人ともお茶を飲み干して茶器を返すと、赤毛女史が婉然(えんぜん)と微笑んだ。


「では、本題に入りましょうか」


 赤毛女史は引き出しから小さな紙片を二枚とりだし、二人に渡す。


「『モリスン書房編集長、キンバリー・ボイル』……?」


「へえ、この世界にも名刺があるんだ」


 シルヴィアが紙片に書かれた文字を読み、メリーローズが興味深げに呟いた。


「メイシ? これはビジネス・カードよ。そこに書いてある通り、私はモリスン書房という本屋に卸す本専門の出版社を経営しているの」


「ああ……」


 二人は先ほど書類入れから出てきた「契約書」を思い出した。

 あれは、作家が出版社と専属契約をする内容だった。


「さっきぶつかったときに、互いの書類入れが入れ替わってしまったのですね……」


 突然人と衝突し、慌てて手近に落ちていた書類入れを自分のものと思って掴んだのだが、まさか似たような書類入れがあの時二つあったとは。


「そう! もう、困っちゃったわ。何度も何度も交渉した作家さんと、やーっとうち専属で本を出させてもらえる約束を取りつけたのに、肝心な契約時に契約書がなくて、代わりに知らない()()が出てくるじゃない? 先方は怒って『もう御社では契約しない』とか言い出すし! 散々よ」


「それは……申し訳ございません……でした」


 言いながら、シルヴィアの背中を冷たい汗が流れ落ちる。


(見られた! あの『BL小説』を!)


 シルヴィアの目がスッと細くなり、剣呑な光を帯びた。


 知っている呪文の中で、使えそうなものがないか頭の中を検索する。


 一時的に体を動けなくするものとか、意識を失わせるものなどの、()()()()()()()()()を倒すための呪文を幾つか思い出したが、それを唱える前に気がついた。


(今ここでそんな呪文を唱えたら、間違いなくお嬢様を倒してしまう!)


 毎日、間欠泉のようにしゅぱーしゅぱーと邪気を放出する主人・メリーローズ。ボイルとかいうこの女性より先に、彼女の方が倒れてしまうだろう。


「待って、待って。別にこの『小説』でもってあなた方を当局に突き出すつもりはないわよ」


 鋭くなる室内の空気を払うように、キンバリーが声を出してカラッと笑った。


「ただねえ、契約を一つダメにした分は、埋め合わせしてもらわないと困るのよ。こちらもビジネスなので」


「埋め合わせ?」


「そう」


 メリーローズとシルヴィアのの鼻先を人差し指で交互に指しながら、キンバリーはニヤリと()む。


「モリスン書房はねえ、才能ある作家を探しているのよ。それも、他の大手出版社じゃ扱わないような、ニッチで、でも読む人の心を掴んで離さないような、そんな個性と熱量を放つ小説を書ける作家を……」


 キンバリーは笑みを崩さないまま、二人の顔を見比べた。


「で、どっち?」


「どっち、とは……?」


 何か話がまずい方向に進みつつあることを察したシルヴィアが、なるべくとぼけようとするが、すぐに話を戻される。


「勿論、この小説を書いた方よ。あなた方二人の、どちらかなのでしょ?」


「それは、わ」

「はいっ! 私です!」


 シルヴィアが身代わりになろうとしたそばから、メリーローズがはきはきと手を挙げて名乗り出た。


「お嬢様ーーーー‼」


「うふん、やっぱりねぇ。そうじゃないかなーと思ったのよ」


 キンバリーはメリーローズの正面に顔を近づけた。


「とはいえ、意外だわ。あなた貴族のお嬢様でしょ? こんな箱入りの若いご令嬢が、ずいぶん色っぽい話を書くじゃない。それも、殿方同士の恋愛小説だなんて、こんな…………」


 ゴクリ、と警戒を強めたシルヴィアが喉を鳴らす。


「こんな、画期的な小説を!」


「…………画期的?」


「そう! 画期的よ! 何これ。なぜ殿方同士が愛し合うというだけで、こんなにも胸が震えるの! 禁じられた関係! それゆえに燃え上がる恋の炎! もう誰にも止められない!」


 誰にも止められないのは、キンバリーの勢いだ、とシルヴィアは思う。すると……


「わかっていただけますか? その素晴らしさを!」


 キンバリーに勝るとも劣らぬ大声で、メリーローズが立ち上がり叫んだ。


「勿論! この素晴らしさがわからずして、編集者なんてやっていられませんわ!」


「そうでしょう! そうでしょうとも!」


「この小説を読んでいると、こう、胸の奥にムズムズと動くものがあるのよ」


 頬を赤らめ、目を閉じたキンバリーが、体をくねらせながら訴える。


「……生きた虫でも、飲み込んだんじゃないですか?」


 シルヴィアの突っ込みをスルーして、メリーローズが質問した。


「それって、胸の奥が温かいような、春が訪れたような、幸せなムズムズ感じゃないですか?」


「幸せなムズムズ、まさにそう!」


「それは『萌え』です!」


「『萌え』?」


「喜怒哀楽に次ぐ、第五の感情、それが『萌え』!」


「これが『萌え』!」


「萌え、万歳!」


「萌え、万歳!」


 メリーローズとキンバリーは今や二人揃って立ち上がり、手に手を取ってクルクルと回りだした……つもりのようだが、何しろ足の踏み場がないのでソファーの上に上ったり、床の小さいスペースに下りたり、テーブルに上ったり、また床に下りたりしながらぴょこぴょこと動き回っている。


 そんな彼女たちの様子に(おのの)きながら、シルヴィアは冷や汗を流した。


(まずい……この展開は、まずい気がする……)


 案の定、ひとしきり奇妙なダンスを踊り終わると、「じゃ、これ」とキンバリーが部屋の奥から書類を一式差し出した。


「あなた用の契約書よ。うちの専属作家になっていただきます」


 シルヴィアの喉がヒュッと鳴る。


「さもなくば、この小説を当局に持っていきまーす」

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