012-2
聖堂の鐘が鳴り、ハッと顔を上げた。
辺りはすっかり暗くなっている。
こんな時間になるまで、我を忘れて「BL小説」を読んでいたなんて――。
長い間座っていたせいか軋む膝に力を入れて立ち上がる。
いけない、夜の八時過ぎには火炉の火が消されてしまう。その前に「小説」を焼いてしまわねば。
意を決して火炉に向かって歩き出す。
――歩きながら、先ほどまで読んでいた「BL小説」を思い出していた。
以前お嬢様に「なぜそれほどBLにこだわるのか」と尋ねたことがある。
その時の答えが
「尊いからよ」
であった。
「てーてー?」
「てぇてぇ。つまり『尊い』ってことよ」
「『尊い』なら『尊い』と言ってください」
同性愛がなぜ尊いのか、わけがわからなかった。
「つまりね、最も純粋な『愛』の形がそこにあるのよ」
「純粋な、『愛』?」
そもそも、わたくしには「愛」というものがわからない。
例えばわたくしには両親がいる。
彼らが言うには、「自分たちは愛し合っている」のだそうだが、辞書で引く限り、両親の間に「愛」があるようには見えなかった。
辞書によれば「愛」とは、対象を愛おしく思い、見返りを求めない気持ちだという。
しかしわたくしの目には、両親の関係性はお互いに見返りを求めたものとしか映らない。
二人は結婚の際、お互いの親(私にとっては祖父母だ)が「家柄」「財産」といった条件を満たす相手を探し出し、この人と結婚するようにと命じて結婚したのだ。
そこに「愛」はあったのか? ――否。
では結婚後に「愛」が芽生えたかと言えば、そうとも思えない。
父は夫として、妻である母を経済的庇護下に置き、生活を保障している。
母は妻として、三人の子供――跡取りである兄、そのスペアの弟、政略結婚に使えそうなわたくし――を産んだ。
互いが互いに要求するモノを提供していることで、満足しているに過ぎない。
わたくしを育てた親は、それを「愛」と呼ぶ。しかしわたくしには「愛」のニセモノとしか思えなかった。
だからわたくしはこう結論づけた。
――「愛」など形而上学的なもの。存在しないのだ、と。
しかし、お嬢様が書いた「BL小説」には、確かに「愛」が感じられた。
社会的に禁じられた二人の関係。
そこには打算も、見返りもない、ただ純粋に相手を思う気持ちが描かれていたのだ。
なるほど、これが――
「尊い」
小説の入った書類入れを握りしめる手に、涙がこぼれ落ちた。
とはいえ、それがどれだけ尊いと思えたとしても、他の誰かに見られたらランズダウン家の破滅である。
わたくしは足を引きずりながら火炉へ向かった。
――本当にこれを、焼いてしまっていいのか。
――この世界から消し去って良いものなのか。
心が二つに引き裂かれそうに感じる。
頭の中が迷いで満ち満ちていたせいだろうか。
向かいから誰かが走ってくるのに全く気づかず、突然誰かとぶつかり、尻餅をついた。
「い……た、た」
「あーっと、ごめんなさいねえ! 急いでいたものだから、つい!」
やけに豪快な声がして、見るとガス灯の薄暗い明りでもわかる派手な赤毛の美女が、転んでつんのめった状態のまま謝ってきた。
かがんだ姿勢のためか、大きく開いた黒いドレスの胸元から谷間が見えて、同性ながら、目のやり場に困る。
「え、いえ…………」
その勢いに、呆気にとられながら、先ほどまで抱えていた書類入れを持っていないことに気づく。
見渡すと腕半分くらいの距離に落ちているのを見つけ、慌てて引き寄せ後ろ手に隠した。
ホッとしながら「こちらこそ……」と呟くと、相手は既に立ち上がっている。
「じゃ! ホント急いでるんで!」
そのままバタバタと走り去ってしまった。
赤毛美女の勢いに呑まれていたわたくしだったが、気を取り直して再び火炉に向かった。
すっかり暗くなった公園からは、人気が消えている。
誰にも見られたくないものを焼却するには、またとないチャンスだ。
金属でできた四角い箱は、丁度わたくしの背丈ぐらいの大きさで、上部に観音開きの小さい扉が、後方に細い煙突が設置されている。
死刑執行人が囚人を呼び出すような心持ちで、扉を開けた。
最後にゴミが投げ込まれてから時間が経っているらしく、燃え残りがくすぶっている状態で、真っ赤な炎が燃え盛っているわけではない。
(でも乾いた紙ならば、この程度の火でもあっという間に燃え尽きるはず)
火炉の中に残った熾火が「その紙をよこせ」と言っているようだ。
――よこしてくれたら、望み通りその「小説」を、この世から消滅させてやろう――
意を決し、わたくしは書類入れから紙の束を掴み出した……
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