008 公爵令嬢、本性を告白する
「びぎゃあああぐおおおお!」
思わず雄たけびを上げたメリーローズを、シルヴィアがすかさず叱った。
「下品な声をあげてはいけません! はしたない!」
「うん、はしたなかった。自覚してる。反省してる。でも、我慢できなかったのよう」
「確かにアルフレッド殿下はお嬢様のご婚約者。お慕いする気持ちも理解できますが、そういう感情を表に出すことは、高位貴族のご令嬢としていかがなものかと存じます」
「え? ううん、違うわ。私がつい大声をあげてしまったのは……」
そこにメルヴィンがドアを開けて顔を出す。
「やあ、メリー」
「お兄様」
「アルフレッドが、ぜひ君に会いたいっていうから、連れて来たよ」
「……まあ!」
メルヴィンは腰がひけているアルフレッドの肩を抱き、無理に室内へと連れ込もうとする。
その瞬間、メリーローズの目は光った!
もちろん、グイグイと強引にアルフレッドの肩に回された、メルヴィンの手を見たせいである。
「お、おい、メルヴィン。レディーの私室に男が入るなんて……」
「婚約者だろう? いいじゃないか」
(『い、いいじゃないか』ですってー?)
『よいではないか、よいではないか』
『あーれー』
前世の時代劇で見た、悪代官が嫁入り前の娘を座敷に閉じ込め、帯をひっぱってクルクルクル……というシーンが、メリーローズの頭の中で炸裂する。
『アルフレッド、よいではないか、よいではないか』
『あーれー』
「よ、よろしくてよ、お兄様」
じゅるっ。
思わず漏れてしまった言葉(と、よだれ)をメルヴィンが都合よく解釈し、アルフレッドを中へと入れてしまった。
和やかに会話を始めたメリーローズたちを、なぜかシルヴィアは眉間にしわを寄せ慄く。
(お、お嬢様から、大量の『邪気』が……)
* * *
「…………お嬢様」
退室するメルヴィンたちを見送った後、シルヴィアが再び重低音サブウーファー声でメリーローズに話しかけた。
「な、なによ、シルヴィア」
自分付きのメイドがこんな声で話しかけるときは、用心しなければいけないと学習したメリーローズは、目線を逸らしつつ後退る。
……もちろん、そんなことでシルヴィアの追撃を免れることなどできるはずもない。
サッと先回りしたシルヴィアに首根っこを掴まれた。
「先ほど、恐ろしいほどの邪気がお嬢様の周りでトルネードしておりました。……一体、何を企んでおられたのですか?」
「え? えーっとぉ……なんでもないわ」
左右上空に目を泳がせながら、シルヴィアから逃れようとする。
「わたくしは疲れたのでもう寝まーす。お休みな」
ダン! ダン!
「ひいーーーー!」
目にもとまらぬ速さで、メリーローズを「両腕囲い壁ドンの刑」に処すシルヴィア・マコーリー。
「まだ、昼ですよ……」
「怖い怖い怖い怖いー。シルヴィアって、陰陽師のうえに忍者か何かなわけ?」
「オンミョージ? ニンジャ? そんなものは存じません。それより、白状なさいませ! 何を企んでいるのですか?」
「た、たた、企んでなんかいないわよ! ただ……ちょーっと……妄想、しただけで……」
その瞬間、シルヴィアが掛けている眼鏡のレンズから妖しい光が発せられた。
「妄想、ですか。いったいどんな妄想なのですか?」
「それはその………………び……」
「び?」
眼鏡の奥に鋭い眼光を宿し、シルヴィアが更に詰め寄る。
「なんです? 『び』の後は?」
「…………び…………びーえる……」
ここでシルヴィアの動きが一瞬止まった。
「びーえ……る? とは、何でございますか?」
「びーえ・る、じゃなくて、ビー・エル。『BL』よ!」
「で、その『BL』とは、何でしょうか」
シルヴィアからその疑問を引き出したメリーローズは「ぐふぅ」と笑みを漏らす。
「……また邪悪なほくそ笑みを……」
「邪悪なんかじゃないわ! 私のBL愛は純粋なものよ!」
右手を斜め上に振り上げて大袈裟なポーズをとるメリーローズに、いまや呆れた表情を隠そうともしないシルヴィアは、溜息をつきつつ話題を元に戻した。
「それで、その『BL』とは何ですか?」
「じゃあ、ヒントね。『女の子がだーい好きなもの』!」
「ヒントとか要らないので、さっさとお答えやがりくださいませ!」
段々と遠慮がなくなってきたシルヴィアの態度も意に介さず、メリーローズは得意満面で答えた。
「ボー・イ・ズ・ラ・ブ。……殿方同士の恋愛物語よ!」
それを聞いたシルヴィアはたっぷり三十秒動きを停止してしまった。
「シルヴィア? おーい、シルヴィア? シールヴィーアちゃん! ……固まってる?」
今まで一瞬シルヴィアの動きが止まることはあっても、こんなに長い時間停止しているのは初めて見る。
「まあ、どうしましょう。くすぐっちゃおうかしら」
「お止めください!」
メリーローズに突っ込みを入れることで、ようやく呪縛から解き放たれたシルヴィアだが、動けるようになるやいなや、メリーローズの肩をガッキ! と掴み前後に大きくガクガクと揺さぶりだした。
「お嬢様!」
「ななななにするのよよよ」
「今後二度と『BL』のことを口に出してはなりません! お嬢様、及び、ランズダウン公爵家が破滅します!」
「なんでえ?」
「この国では同性愛は禁止されております! 同性同士で愛し合うことも、そういった話をすることも、もちろん記述することもすべて厳禁でございます!」
「…………いやああああああ!」
* * *
悲鳴をあげた後、メリーローズは本当に体調を崩してしまった。
なにしろ生きがいとも言える『BL』が、この国では犯罪として扱われていると知ってしまったのである。彼女の絶望は深い……
――が、絶望に沈んでいる時間そのものは短かった。
「せっかくアルたんや他の攻略対象たちが、生きて! 存在して! いる世界に生まれ変わったんだから、これを味わわないなんてありえないわ!」
メリーローズがそう叫んだのは、体調を崩して寝込んでからわずか一時間後だったので、シルヴィア以外誰にも体調不良を起こしたと知られることはない。
「懲りないお方ですね、お嬢様……」
額にいくつも青筋を浮かせたシルヴィアが声を震わせる。
「あら、お褒めの言葉、ありがとう」
ケロリと答えるメリーローズのせいで、シルヴィアの額に更に青筋が増えたことは言うまでもない。
「誰が褒めましたか!」
メイドの鑑とさえ称えられたシルヴィアの怒鳴り声など、メリーローズ以外の人間は聞いたことがないだろう。
他の人間なら「あのシルヴィアが……」と、驚いて怯むかも知れないが、ここ数日だけであふれるほどの彼女の怒鳴り声を浴びてきたメリーローズは,、歯牙にも掛けなかった。
「いいじゃない、シルヴィア。心の中でこーっそり愛でるだけよ」
「心の中で?」
「そう」
「こーっそり?」
「そう!」
シルヴィアはじろりと主人をねめつける。
「無理です」
「なんでよお!」
「お嬢様の心のうちは外にだだ漏れし過ぎなのです」
「私の心のうちの『愛』が……?」
「お嬢さまの『邪心』が!」
「ひどーーーーい!」
大声で「ひどい、ひどい」とわめきたてるメリーローズの声を、シルヴィアは心の耳栓で脇に追いやる。
(心の中だけだろうと何だろうと、犯罪まがいの行為を見過ごすわけには参りません!)
シルヴィアはメリーローズとランズダウン公爵家を守る為と自分に言い聞かせて、主人の抗議を無視した。
実のところ、彼女にはランズダウン家を失うわけにはいかない事情があったのだ。




