7 S字コーナーの決着
速度は8チクワンから9チクワンへ。S字の手前、左へのコーナーの入口で菊池は体をインに傾けた。
ピヨピヨピヨピヨピヨピヨ……
弟子が迫る。蟹ちくわを後方にしているので加速が速い。
雨でバイザーが濡れる。前には誰もいないので、このコースを熟知した菊池には大した脅威にならない。並以上の品質のちくわなら目をつむっても疾走できる。
コーナーの半ばで、弟子に追い付かれアウト側に入られた。
すかさずクロック。リソース残り30%のタコちくわが弟子に迫る。
弟子はちくわをウイリーさせた。菊池のちくわはその下を潜るが、弟子のちくわは制御を失いコーナーの外へ。
時計回りに半回転した菊池のちくわも外に流されるが、クロック発動直後にリバースのボタンを押し始めていた。ちくわは反時計回りに半回転。さらにロデオワークも加えて強引にインへ戻す。
アナウンスが流れないので、弟子は落ちくわしなかったようだ。
あわよくばと菊池は思ったが、まあ仕方ない。最低限の目的は達成した。弟子のタコちくわを消耗させた。
S字の中間に達し、今度は右コーナー。S字後半のコーナーの角度はキツめだ。
急な右コーナーはクロックの時計回り半回転で、左コーナーはリバースの半回転で進行方向をねじ曲げてしのぐのがセオリー。
速度は7チクワンにまで落ちた。クロックは続けて使えないので、軽くダウン。先端を浅く擦りさらに減速。削れる感触がタコちくわの底から伝わってくる。
ちくわがアスファルトから離れた直後に、菊池はイン方向へ跳んですぐさまリワインド。ちくわの前半分がイン側にズレる。オーバーステア気味の挙動でコーナーを回る。
後方からひよこの排気音が追ってきた。雷が続けて鳴り、光る度にコマ送りのように弟子が迫る。
弟子は蟹ちくわを前にした状態でクロックを使用。時計回りに蟹ちくわが後方へ回り、その遠心力で軌道を修正してアウトからインへ。さらに体をインに大きく傾けて縁石ギリギリにコーナーを攻める。減速はしない。菊池に突っ込むつもりだ。
蟹ちくわの加速は速い。そして菊池は大きめに減速している。いよいよ弟子が追い付く。しかも弟子のちくわの方がイン。S字を出る前に菊池のちくわの横っ面を捉えるはずだが。
ここで菊池のちくわがウイリー。ウイリーの角度は速度が上がるほど直角に近付く。弟子の特攻をウイリーの下を潜らせてやり過ごすつもりならタイミングが早すぎた。
弟子は体をアウトに倒してちくわを外に流す。
もしも弟子がNPCではなく、常識的な思考能力を持ち、ちくライダーとの対戦経験があるなら、そして菊池白菊を知っているプレイヤーであるなら、コーナーのインから仕掛けなどせず、減速して抜く事を目指した。
ちくわのスペックでは上回っているのだから、持久戦に持ち込めば菊池はいずれ自滅する。ちくわの素材に蟹が5%含まれるだけで、リソース消費効率やコーナーリング性能は大きく上昇するのだから。
しかし弟子のAIは菊池駿馬の走行パターンをトレースしている。スタートの時点で菊池は確信した。ちくわ同士での衝突や接触にペナルティが無い限り、またクリーンな勝負をする理由が無ければ、駿馬は絶対に対戦相手を潰す。
だからこそ彼の背中を追い続けた菊池には、レース中の行動が読める。そして誘導した。衝撃耐性の高いタコちくわを消費させたのは、菊池へチャージするタイミングの選択肢を減らした。
ちくわは短くなればなるほど制御が困難になる。また、前半分か後半分が偏って炭化すれば、シートと運転手の位置が相対的に変化し、それにともない重心も変わる。前半分が後半分を失えばクロックとリバース
扱いにくくなる。ロデオワークもだ。
菊池のウイリーの角度はおよそ70度。まだリソースが95%残る後半分のスケトウダラちくわで立っている形となる。
しなるスケトウダラちくわに弟子が突っ込めば、手前に倒れるだろう。そうなれば弟子は倒れるちくわの下敷きになり、弾かれて落ちくわだ。
それを避けるために弟子はインへ跳んだ。ワイヤーは5メートルまで伸びる。そこまで距離を出さなくても、2メートルの距離でリワインドすれば弟子とちくわは引き合い、ちくわの先端はインへ向く。
菊池のちくわが倒れて来ても、インへアンダーステアする弟子のちくわに弾かれアウトへ倒れるだろう。菊池がどれだけ跳んでも、転がるちくわにワイヤーが巻き込まれ、そこで終わる。
菊池はそこまで読んでいる。駿馬ならそうするから。ただ、駿馬と弟子には大きな違いがある。
駿馬が得意とする素材はスケトウダラで、弟子のちくわの半分にはスペックを大きく上昇する蟹系素材が含まれている。(半分だけだが)高スペックちくわと駿馬トレースAIが、菊池の予想通り弟子のチャージを単調にしてしまっていた。
どんなに性能差があっても最高速は12チクワン。蟹系素材は摩擦耐性が高い。がダウンで減速ばかりすると消耗が早い。ただでさえちくわの半分は最低品質のタコ。タコで減速しても、加速しても大きく消耗する。
それに駿馬本人なら、何らかの牽制なりフェイントなりミスリードなりを入れる。
また加速性能の高過ぎる蟹とこのコースは、ダーティファイトに相性が悪い。常に減速を求められるコースではチャージの選択肢が大きく減る。ブレーキの無い上に、12チクワンまで永遠に加速するちくわの制御はいつだって綱渡りだ。
このクエストをクリアした5人も菊池と似た戦術を取ったはずだ。
70度の角度でウイリーしたちくわがリバースし、スケトウダラの後半分がヘビー級ボクサーのショートアッパーのように弟子のちくわを打つ。
衝突耐性は衝突によるリソース減少を減らすだけだ。弾かれるのを防げるわけでは無い。
残りリソース10%未満のタコの前半分を叩かれたちくわは、スピンしながらインへ転がる。弟子はどうなったかは……
《弟子は落ちくわしました。あなたの勝利です》
アナウンスが教えてくれた。
……視界が暗転する。
「師匠がおっしゃていた通り……菊池白菊さん、貴女は強い」
右手を差し出した弟子は笑って言うが、ギリギリだった。あのS字で決められなければ終わっていた。雨による滑りにも助けられたと菊池は思っている。
握手した瞬間に、クエスト達成、そして受け取った蟹系素材が自動でストレージに入ったとアナウンスが流れた。
「この映像も受け取ってください」
近未来的な映像デバイスを受け取る。
「今日はとても勉強になりました。いつかまた一緒に疾走りましょう」
そう言って弟子は去って行った。
「勉強ねぇ……」
菊池にまともなちくわがあれば、もっとクリーンに戦った。勝敗にもこだわらなかったろう。
そんなこと考えるようになったアタシもずいぶん丸くなったもんだわ、と菊池は首を振る。
「あれ?後編はッッッッッ?」
受けたレガシークエストは『前編』だ。
菊池は受け取った映像デバイスを手のひらで転がす。
「観終わったら自動で消滅……とか無いわよね?」




