62 今日からイエスマン
「それでですね。白菊さんに相談に乗っていただきたいのですが……」
とても嫌な予感がした。窓へ目を逸らすが、広大な工業団地の前にスルリと鎌倉が立ち塞がる。
「どういうわけかですね。私どものネームに『菊池』が入っているせいで、この地域の住民に目の仇にされているのです」
「そ……そうですか」
徐々に菊池の記憶が蘇る。駿馬の素材買い占めに……かなり荷担したような。それもノリノリで。『くたばれPTAッッッッッ!』とかそこいらで叫んだ記憶もある。
「仲を取り持て……とは申しません。せめてエヌピーシーの方々との交流の切っ掛けを作るために、ぜひ知恵をお貸し願いたいのですが、いかがでしょう」
菊池は強い違和感を感じた。
鎌倉たちにでは無い。
状況にだ。
他の創作物に例えるなら……『究極とも呼べる料理を作ろうとする新聞記者が、鼻毛で戦うアフロの戦士に料理のレシピ製作を依頼する』と言った感じだ。
あるいは……『七日間戦おうとする少年たちが、闇金を営む劇画タッチの眼鏡のお兄さんに金銭的協力を願う』とか。
はたまた『かの玄徳公が関羽と張飛を伴い、三顧の礼でアゴの無い運送屋の社長を連れ帰る』とか。
絶対に人間関係の相談をしてはイケないタイプだと自覚のある菊池だ。これで良いはず無いだろう。
「そうや、軍資金っつうわけでも無いが、スッポンを10tほど進呈するでぇ」
「さて、それでは皆様。住民との親睦を深めるために町へ繰り出しましょう」
クバリの言葉によって、菊池はイエスマンに変貌した。これで良いの……だろうか?
「菊池の分際で道を歩くなッッッッッ!」
4人PTになってから町に出て、33回目の塩ぶっかけ。映えあるゾロ目のぶっかけは、片手にソバを持って自転車で配達するソバ屋のアンちゃんであった。
「ペッ、ペッ……見てください、鎌倉先生。今のおソバ屋さん、たくさんのせいろを片手で抱えたままで……それも自転車に乗って……ハンドルを離して、どこからか取り出したバケツでッッッッッ!我らに塩をぶっかけましたぞッッッッッ!」
「ペッ、ペッ……岐阜殿のおっしゃる通り、誠に素晴らしいですわ。あのバランス感覚、流鏑馬に向いておりまする。ぜひスカウトすべきですッッッッッ!」
「ペッ、ペッ……岐阜君、仙台君、落ち着きたまえ。彼はエヌピーシーだ。現実には連れて帰れんぞ」
「ペッ、ペッ……先生ッッッッッ!諦めたらそこで流鏑馬終了ですッッッッッ!」
「ペッ、ペッ……そうですね。わたくしめと岐阜殿と鎌倉先生と、3人合わせて文殊の知恵ッッッッッ!」
「ペッ、ペッ……3人?何をおっしゃる仙台君」
「ペッ、ペッ……さらに白菊先生もいらっしゃいます。鬼に金棒です」
「ペッ、ペッ……仙台殿の言う通り、ブイアァルに詳しい白菊先生なら、きっと良い知恵を持っているはずです。いいえ、きっとあるでしょう」
仙台、岐阜、鎌倉の視線が、ソバを凝視していた菊池に突き刺さる。
「ペッ、ペッ……案外、こちらの白菊先生なら、良い腹案があるかも知れませんね。白菊先生。先ほどのソバ屋の若者を現実に連れ帰ることは可能で「不可能です」
菊池の即答。3人は顔を見合せる。
鎌倉がうっかり食べ過ぎた従者を叱りつける御老公の顔になったのを、菊池は見逃さなかった。
「NPCを現実に連れ帰るよりも……皆さん、ここはひとつ大きな視点で物事を見てみるのはいかがでしょうか?」
どうにか話を変えねばならない。33回目塩ぶっかけまでの間で、菊池は鎌倉御一行がVRに無知であるがゆえ荒唐無稽なことを本気で言いかねないのを理解した。ソバ屋NPCの連れ帰りは、多分本気で言っている。
「白菊先生、大きな視点とはどのようなものでしょうか?」
鎌倉の背後に、スタ●ドの如く立つ有名非実在美食陶芸家の姿を菊池は幻視した。恐らく能力は『この料理を作ったのは誰だ?』だろう。うかつなことは言えない。
「【ホタテ産業保護区】以外にも、流鏑馬の練習に向いているサーキットがあるのではと、アタシは……」
「アタシ?」
仙台が菊池に顔を近付け、見えないメンチビームを放つ。ビームの属性は姑ッッッッッ!
「わ、わたくしは思いますですの……」
「思うッッッッッ!?」
姑属性にパワハラ属性が加わり、目下と見なす相手への最終ダメージが倍増ッッッッッ!
「思うと言ったのですか?『思う』ッッッッッ!?思い付きの発言ッッッッッ!たかが小娘の思い付きでッッッッッ!人間国宝のッッッッッ!鎌倉先生にッッッッッ!逆らうなんてッッッッッ!」
人間国宝って大物じゃないのッッッッッ!
菊池は放り出したくなった。
「仙台君、落ち着くんだ」
岐阜が菊池と仙台の間に入って見えないメンチビームをたった1人で受け止めた。
「我らは学ぶ立場なのだぞッッッッッ!」
「チッ……………………これはこれは失礼」
何でちくフルにはPvPやPKやMPKが存在しないのだろう、と菊池は本気で思った。
「申し訳ありません白菊先生」
2人に替わって深く頭を下げた鎌倉は、頭を上げた後に菊池の目を真っ直ぐ見て弟子の不始末は私の不始末と詫びた。
「「申し訳ありませんでした」」
岐阜と仙台はすかさず土下座。
「いや、アタシは大丈夫ですからッッッッッ!」
NPCやプレイヤーが遠巻きに4人を見て、なにやらヒソヒソ話している。
「本当に頭を上げてください。気にして無いです」
「いえ、鎌倉先生が見込んだ白菊先生に……大変失礼なことをしてしまいました。お許しください。ヨヨヨヨヨ……」
仙台は本気で泣いている。
「仙台は私の同胞です。どうか私が替わって腹を切るので……くっ、なぜVRでは腹を切れぬッッッッッ!」
岐阜は拳を地面に叩き付けた。ちくフルが物理的暴力禁止で本当に良かった、と菊池は思った。
「こうなったら……白菊先生ッッッッッ!ろぐあうとで現実に戻り、少々腹を切って参ります。白菊先生はどちらの新聞をご購読なされてますか?先生がご購読なさる新聞の記者に声をかけ、切腹の動画を取らせます。身近に介錯をできる者がいませんので、非常に見苦しい動画になるかと思われますが、ここはひとつ武士の情けで心を鬼にしてご覧に……」
武士の情けで心を鬼にって、どういうことだ?
「いえ、その、切腹は要りませんから……「償いすら許さぬと?」
「岐阜君、止めたまえ。白菊先生は流血沙汰がお嫌いなレディなのだぞ」
「その、今は町の様子を探りましょうッッッッッ!そうですわッッッッッ!さっきからぶっかけられてる塩を片付けましょうッッッッッ!町を綺麗にすれば好感度が上がるかも知れませんッッッッッ!あと『先生』は止めてくださいッッッッッ!土下座もッッッッッ!」
「なんと素晴らしい考えだッッッッッ!ぜひやりましょうッッッッッ!好感度に関わらず、人としての礼儀と人類愛を、町の掃除を通して世間様に示しましょうッッッッッ!」
「「それは良いッッッッッ!」」
うげぇ、ゲームなのに掃除なの?
言い出しっぺの菊池は心の中で愚痴る。
「ふうむ、ホウキとちり取りとを探さねばならぬか。おや?さっきまで散らばっていた塩がありませんな……」
鎌倉が言うように、道路にはもう塩は散らばっていない。
やった、掃除の手間が省ける。そう思う菊池だが。
「見てください」
ヴィクトリーな次回予告のように、仙台が言った。
「この通りの向こうへ、塩をバケツに入れた幼児が走って行きました」
「せっかくなので岐阜君、仙台君、白菊先生。バケツを運ぶのを手伝おう」
鎌倉たちは幼児を追う。ログアウトしたいと叶わぬ願いを胸に秘めた菊池も、仕方なく着いて行く。




