32 紹介屋
実はな、アワビは食べたことが無いのじゃ……
皿の上に優雅に並べられたアワビを箸で摘まむ。薄い。
口に含む。濃い日本酒……いや焼酎か?鼻に届く。
噛む。薄いはずなのに硬い。前歯に力を込めて切断。犬歯でズタズタに引き裂いて、奥歯で磨り潰す。
酒の風味があったはずなのに、磯の香りと歯ごたえと風味で思い出せない。
記憶を取り戻すために、もう一切れ。
「「嘘……もう無い」」
高級食材はドカ食いと相性が悪い。一瞬で消えてしまう上に、喪失感で心をえぐられるからだ。
「カオザツうううううううううううッッッッッ!食い過ぎだああああああああッッッッッ!」
「菊池さんが全部食ったんでしょうがああああああああああああああああああッッッッッ!」
その上、ドカ食い同士で高級食材を食べると醜い争いが起きる。
しばらく言い争った後。
「ねえ菊池さん……」
カオザツは菊池のガレージの簡易ベッドに仰向けになった。
「何か美味しい儲け話でもあったんですか?」
カオザツは自分のストレージから丸々太った鯛を取り出し、ベッドの上にも関わらずメニューで調理を始める。
「まあね」
顔には出さないが、『しまったあああああああッッッッッ!』と内心で焦る菊池。
最高級のレアである蟹系素材をプレイヤーが……それもちくライダーが…………よりにもよって『ドカ食いブラックホール』と陰で呼ばれている菊池白菊が競りに出したのだ。ただごととは誰も思わない。
鯛の調理終了を待ちきれずにヒョイパクっと干し貝柱を口に入れて、カオザツは菊池の内面を覗き込むようにジッと見つめた。
ちくフルは小学校低学年向けと言うコンセプトでリリースされたVRゲームだ。テーマは……食育。ちくわでサーキットを疾走る時点で逸脱しているのだが、コンセプトとテーマとニーズとレスポンスと売上が食い違うのはどの業界でも珍しくない話だ。
リリース初期にちくフルに食い付いた客層は、食料品の中間業者だった。競りはβテストの時点で実装されており、市場での立ち回りのシミュレーションが(多少は)できる、と次々にアカウントを取った。
ログイン中は体感する時間が10倍になるのも大きい。基本無料で時間10倍加速はちくフルだけだ。
そのうち量販店や大手外食チェーンのバイヤーがアカウントを取り、ちくフル内部で商談を始めた。すると様々な同業者や生産者が集まるようになった。
彼らもちくわでサーキットを疾走する。一般のゲーマーやちくライダーとは異なり、接待や宣伝目的にだ。
カオザツも広い意味では中間業者の範疇に入る。バイヤーと生産者の縁を取り持つことで報酬を得ている。フリーランスの営業と言えるだろう。ちくフルの中では最も有力な『紹介屋』の1人と認知されている。
「儲け話って言うより、レース用ちくわのためよ」
正確には引退を飾るためだ。
「いやぁ、業者さんもね……ちくわでレースしたいって方が結構いるんですよ」
カオザツの営業トークは真に受けるべきでは無い。
「意外ね」
「バイヤーさんとか問屋さんは、どんなに世の中がホワイトになっても楽になりません。市場から10日も出られなかったって話はザラですから」
「そんなに忙しいものなの?」
工場勤務の菊池には想像が付かない。
「競りで『ピンピンピンピン』とか叫んで、後は運送業者任せってイメージだけど」
「市場の全てが競りで回るわけじゃ無いんですよ。問屋さんや卸しさんと直接交渉したり、セールに備えて食材を買わせたりもしますよ。買った商品を市場内の冷蔵庫や冷凍庫に保管させたり、保管状況をチェックしたり、菊池さんが考える20倍は忙しいですわ」
24時間働けますか?
そういうキャッチフレーズのCMを菊池が思い出した。
「むかーしむかし。携帯端末にアンテナが付いてた時代にですね、電話のし過ぎで鼓膜が割れたって話があったらしいです」
「鼓膜って割れるもんなんだ……」
闇金の営業は電話のかけ過ぎで耳が化膿する、とは聞いたことがある。
「まあ人伝に聞いた話ですけどね。とにかくストレスフルなお仕事です。そんな彼らがちくわでサーキットをかっ飛ばしたい欲求を持つのは不思議じゃないですよ」
カオザツはちくわの扱いはどうしようも無いほど下手だ。そんな彼女がちくフルにログインするのは、ドカ食いと……
「そんな話をアタシに振って、あんたに何の利益があるの?」
ちくフルに限った話では無い。VRゲームのアバターメイキングをする際、ほとんどのプレイヤーはとにかくこだわる。自分の容姿に誇りを持てるように。
たとえば、プライベートでカプセル式VR筐体に引きこもりちくフル内にログインし続けて食事制限ダイエットを成功させた菊池は、コンプレックスに抗うようにスレンダー系美女のアバターにしている。
そうで無い者もいる。
少数派であるサムライリボンソードの場合は、自分の正体を悟られないように身長を下げ、リアルのゴツさを連想させない可愛げのある顔にしている。要はプライバシー隠しだ。
カオザツは少数派の中でもさらに少数派だ。平均や標準よりやや下ーーいわゆるちょいブスと言うやつだ。そのビジュアルで常に薄ら笑いを浮かべているので、周囲に卑屈な印象を与える。
これは警戒させずに相手のパーソナルスペースに容赦なく踏み込むための擬態だ。
「菊池さん」
カオザツから薄ら笑いが消えた。
「ワタシと貴女とで、共有できる利益があると思うんですよ」
カオザツにはちくわのドラテクは無い。だが多くの、関係の薄い知り合いがたくさんいて、警戒させずに様々な話を聞き出す話術がある。
アラームが鳴った。
カオザツは鯛の活け作りの皿を菊池に差し出す。
「ちくフルはリリースされてもう10年」
箸を一膳、カオザツが皿に添えた。
「菊池さんは初期に始めて、もう10年」
表情の無い顔が菊池を捉える。
「ひょっとして引退を考えていらっしゃるのでは?」
「……何でサスペンスっぽい雰囲気だしてんのよ」
一体菊池は何の犯人だと言うのか。
「まあいいわ。全部話すわよ。ワールドクエスト抱えて引退するわけにも行かないし」
【連合ちくわベース】の素材不足も放って置けない。
ご唱和ください。
ゴットリピンッッッッッ!




