3 最低品質のリソースは儚い
ちくわにはエンジンは無い。前方の穴に少しでも空気が入ると、摩訶不思議な効果によって後方の穴から火を吹き移動を始め、何らかの干渉で完全停止するまで加速を続ける。
ブレーキは無い。
摩訶不思議な効果が何なのかは考えてはイケない。ご都合主義である。
菊池が体当たりしたちくわが、前方にズレる。少しだけ穴に空気が入り、後方へ火を吹く。
いくらご都合主義でも、火傷をすれば即リタイア。すでに菊池は跳んで避けていた。同時にリワインドのボタンを押す。リワインドは伸ばしたワイヤーをシートに収納する行為だ。ワイヤーがシートに収納され、その勢いで彼女も引っ張られる。
シートに着地する直前にウイリーのボタンを押す。わずかにちくわの前半分が浮いた。空気が入る度にちくわは加速。タイムアタック開始と同時に視界の上に現れたアナログの速度計の針が動く。
0.1チクワン、0.2チクワン、0.3チクワン……
ピヨピヨピヨピヨピヨピヨ……
チクワンはちくわの速度。気の抜ける独特の排気音。共にちくフルが小学校低学年向けを目指していた頃の名残だ。
前半分の角度が上がる。今のうちにと菊池は立って、ちくわの前方へ駆け登る。
速度が1チクワンに届かないと、ちくわが地面から離れない。下半分をアスファルトに削られ続ける。いかにちくわの消耗を減らすかが、1周目の肝となる。
若干浮いたちくわの先端に到達した菊池は飛び、同時にダウンボタン。ちくわの前半分が沈んだところに着地し、体重で潰れた反動で大きくウイリー。跳ね飛ばされる前にリワインド。
シートの上に立つか座るかすれば、落馬……もとい落ちくわは絶対にしない仕様だ。
弾むちくわの前半分。少しでも浮かせる事でちくわの消耗を防ぐ『スタンプ』と言う技術だ。菊池のやっていた事に意味はあったのだ。
0.8チクワン、0.9チクワン、1.0チクワン。
ちくわが浮いた。わずか10cmだが、これでアスファルトに削られない。
このコースは8の字型。正確には、8の中央部分は十字ーーストレートが上下に交差する形状だ。初心者向け特有の長いストレートは残り少ない。
「遅いなぁ」
最低品質素材で作ったレーシングちくわ、もといネタちくわだ。ひどいのは当たり前。
速度はやっと2チクワン。菊池はシートに座り、足を外に向けて伸ばす。ご都合主義的効果で重心が右に傾き、ちくわが少しずつ右に曲がる。
「最低品質なのに予想よりは曲がる……」
足を曲げて重心を戻す。レフトにしろライトにしろ、シートをスカートに設定すると足を伸ばせて重心を変えやすくなる。コーナー重視とはこういう事だ。……と言うより、ちくわはプレイヤーの重心移動でしか曲がらない。
重心を戻した時点で、速度が3チクワンを越える。
「遅い……」
並の品質のスケトウダラで作ったちくわでも、とっくに7チクワンに達している距離だ。このまま疾走っても、初心者でも狙わなきゃ出せないようなワースト記録しか生まれないだろう。
「その前にちくわの消耗が激しいわね」
摩訶不思議な効果で後部の穴から火を吹くわけだが、その火を吹くという現象のリソースは、ちくわその物だ。まだ最初のコーナーに入っていないのに、ちくわの後ろ半分の10%が炭化し崩れている。
ちくわは車体であると同時に燃料で、疾走っているうちに燃えて灰になる。ゴールする前に燃え尽きればリタイアとなる。
菊池の経験上だが品質並のタコ100%であれば、居眠りしながらでもこの難易度1のコースを10周はできる。だが最低品質ネタちくわは1周完走できるか怪しい。
とりあえずイケるとこまで乗って、1周完走できれば御の字。捨てるしか無かった素材の供養だと菊池は考える事にした。
コーナーに入る直前で、速度がやっと4チクワンに届く。最高速ーー12チクワンでも曲がり切れるほどしっかりしたバンクのある緩やかコーナーに突入するが。
「コーナーでは曲がり切れない……」
アンダーステア。コーナーの外の縁石に乗り上げて、芝生の向こうの壁際に積んであるタイヤに突っ込む。衝突でちくわが壊れるかと思ったが、なんとノーダメージ。衝突などで普通ならリソースが現象するのだが。
「うーん、衝突耐性が高いのかしら……」
ちくわのステータスは100段階の品質とリソース以外……全てマスクデータだ。疾走して確認するしか無い。
「ハーフ&ハーフにして使えば泥仕合で有効かも」
跳ね返った勢いでコースに戻る。が、コーナーのバンクに流されて、今度はイン側にコースアウト。縁石の向こうの茂みに突っ込むと、名前も知らない鳥の群れが一斉に飛び立つ。
「茂みの中でも加速するのね……」
思い切ってショートカットする。コースの上を疾走らないとペナルティでタイムが増える仕様だ。
「タイムはともかく完走させてあげたいわね」
例外無く、ちくライダーは自分が造ったレース用ちくわへの愛着が強い。レースやタイムアタックが終われば燃え尽きるからだ。フリー走行などちくフルには存在しない。
茂みを抜けてコーナーの終わりでコースに復帰。バックストレートに入り、ついに速度が12チクワンに到達。
「んほおおおおおおおおおおお!」
歓喜する菊池だが、すぐさま絶望する。このコースは8の字型。このバックストレートはメインストレートの上を通る。つまり登り坂なのだ。
いくら緩やかでも、傾斜の始まりに最高速で到達すると、ちくわの前半分の底を削ってしまう。跳ねて明後日の方角に跳ぶ場合もある。
「削れるッッッッッ!」
衝突には強いのに、摩擦には弱すぎる。前半分のリソースがあっという間に半分を切った。
それでもちくわは疾走る。摩擦で下がった速度が再び12チクワンに到達。バックストレートの頂点を越え、下り坂を進む。坂の終わりまでにどうにか減速したいが、壁を擦ればリソースが尽きる気がした。
「こんなとこでクロックするのか……」
これも減速手段だ。菊池は両手のコントローラーのクロックのボタンを長押しした。ちくわが上から見て時計回りに半回転する。
火を吹いた後の穴が回転して前方になり、火が消えて空気を吸い込む。逆に前の穴が後方になり、反対の穴から入った空気を燃やす。
その瞬間での重心を軸に、上から見て時計回りにちくわを操作して半回転させる行為を『クロック』、半時計回りに回す行為を『リバース』と呼ぶ。
疾走し続けるとちくわは燃え尽きる。シートの下まで燃え尽きれば走行不能でリタイアだ。火を吹く後半分が燃え尽きる前にちくわを半回転させ、消耗の少ない前半分を燃やして疾走し続ける。
回転中は火が吹く穴の方向に推進力が働き、正面に穴が来ると一瞬火が消えるのでわずかに減速する。が、どちらのターンも減速目的に使うには難易度が高い。使いこなせるのは廃人のみだ。
前半分、後半分がそれぞれ別のボディ兼燃料タンクと考えればわかりやすいだろう。難易度3くらいのコースしか完走できない通常のプレイヤーにとって、どちらのターンも燃料タンクの入れ替え以外の意味は無い。
わずかな減速によって、下り坂の傾斜の終わりでアスファルトに削られるのを回避。
だが前後を入れ替えたタコちくわはすでに……
「前半分のリソースが7%……後半分が39%……何これ」
RPG風に言えばHP。リソースをそのように考えていただきたい。前半分はさっきまで火を吹いていた方だ。減少したリソースの分、全長も短くなる。今のネタちくわは3mを下回っている。
「何かの罰ゲームみたいなちくわね……」
どんなにちくわを上手く乗れても、このネタちくわでは本当に1周がやっとだ。
「絶対に1周疾走る」
せっかく造ったのだ。なにがなんでも。
遠くで小さく雷が鳴った。
ちくフルで天候の変化は非常に珍しいのだが、菊池は特に気にしなかった。
左へと曲がるコーナーが迫る。
菊池祭り中に完結はできなさそうです。
気長に書こうと思います。