2 サーキットのちくわ
この物語に登場するちくわは、レース終了後にスタッフが美味しくいただきました。
相変わらずイワシ尽くしの商店街を抜けて、都市の中央部にあるサーキットに菊池はやって来た。
「人……少な」
プレイヤーが片手で数えきれる数しかいない。私的な対戦をするつもりが無いから菊池としては問題は無いが。
全盛期はとっくに過ぎたものの、ちくわフルスロットルは1日の平均ログイン数40万人を維持しており、数あるVRゲームの中でも成功している部類に入る。
「今日は土曜なのに」
【連合ハマグリベース】は初心者と中級者の境目くらいのプレイヤー向けの拠点だ。そのくらいの実力のユーザーは圧倒的多数なのだが。
もうリアルの日付は変わっているので、正確には日曜日である。ログイン時の体感時間10倍加速のVRゲームは最も人が多い時間帯だ。賑わっていないのは不自然な気がした。
「個人企画のゲリライベントでもあるのかしら?」
ちくフル内での個人企画で最もポピュラーなのは『菊池祭り』だが、開催は夏。まだ数ヶ月はある。
「ゲリライベントだったらフレが教えてくれるんだけどな……」
まあ良いや、とサーキットの事務所に行き、油にまみれたツナギを着るNPCに声をかける。サーキットで走るにはNPCに声をかけなければならない。クエストという形でサーキットを走るのだ。
「やあ、シラギクちゃん」
菊池の正確なプレイヤーネームは、『菊池 白菊』である。由来は無い。アバター作成の際にプレイヤーネーム自動作成で出た物を選んだだけだ。
「おじさん、タイムアタックしたいんだけど」
「上位ランカーのシラギクちゃんなら大歓迎さ」
NPCはにっこり笑った。菊池への好感度が高い証だ。
菊池はランク78位だ。1日にログインしている40万人のうち、8割がライトユーザー。残り2割のガチ勢の中の3分の1が廃人であり、菊池はその中で上から78番目に優れたプレイヤーとされている。
菊池の上の77人のうち7割は引退しているので、実際のランクはもっと上だ。引退しようがアカウント凍結されようが、記録は残る。それがチートであってもだ。
「もうちょっとで77位に上がるよ。がんばって」
77位だったプレイヤーは去年引退した。ドライバーポイントは100万ほど差があったと思っていたのに。
「ありがとう」
アタシも引退した後、誰かに同じ寂しさを感じさせるのだろうか?
思考の迷路に入りそうになったが、振り切ってサーキットに出る。
【連合ハマグリベース】にあるコースは難易度1、4、7の3種類。本来なら上級者はあまりいないサーキットだ。そんな場所にトップランカーの菊池がなぜいるのか?
前回のログイン時に、この都市の漁港にタラバ蟹が水揚げされたからだ。もちろん買えなかった。せめて競りにだけでもと、資金稼ぎに高級食材系素材の転売を企てた……
その夢の残骸は、つい先程アバターの胃袋に消えたばかりだ。鰯ばかりの市場は、菊池を含む転売を企てた者全てが起こした悪影響なのかも知れない。
「切り替えていこ……」
プレイヤーは『コースの損傷や経年劣化の状況を確認するために周回して見て回る』と言う名目でタイムアタックする。だから走るだけで通貨ーーハマグリ資本連合では干しハマグリが得られる。そういうハッキリしたやり取りが無かったのは、好感度が高いから省略されたのだ。
高い難易度のコースであるほど、速ければ速いほど、貰える通貨が増えるのはゲーム的なご都合主義だ。このくらいでいちいち突っ込んではいられない。
「タイムアタックしよっか」
ウインドウが開き、現在乗れるちくわが出る。菊池はまずタコ100%のちくわを選択。
コースは難易度1の初心者向け。数字が増えれば難易度が上がる。最高の難易度は10だ。
スタート地点に転移する。タイムアタックを始める前に、実際にちくわを触ってチェック。シートの位置決めも必要だ。
素材の種類、比率、品質に関わらず、最高速度は12チクワン。チクワンはレース用ちくわの速度の単位である。
リアルじゃ多分存在し無さそうなタコ100%のちくわは紫色で表面は硬く、銃身を裏返したような感じの筋が螺旋状に入っている。この筋はただのデザインで疾走るのに影響は無い。
「硬い……でも弾まない」
タコ系素材が生み出す弾性をボディに感じない。タコ系素材の唯一と言っても良い強みがこのちくわには無いのだ。
「狙わなきゃ作れない最低マシンだわー」
でも疾走らせる。命を吹き込んでサーキットを魚介に染める。
「縛りプレイって考えよう」
レース用ちくわの重量は一律1t。全長も一律6m。直径は50cm素材に関わらず共通仕様だ。
エアダクト兼バーニヤの穴を覗く。穴も一律30cm。この穴に空気を通すと、反対側から炎が噴射され加速が始まる。スペックによって最高速度に達する時間が異なる。
ブレーキは無い。これも共通。火を吹いて飛ぶちくわは、基本的に摩擦や衝突で減速するしか無い。
菊池はストレージからシートを出して、ちくわのちょうど中央に取り付ける。試しに座ってイメージトレーニング。
根拠は無いけどなんかコレじゃない、と思ったのでシートを右に向けた。
ちくわの座り方は4通りある。正面を向く『エスケープ』、後ろ向きに座る『ターンリフト』、体を左右に向ける『レフトスカート』か『ライトスカート』だ。
エスケープは先行逃げ切り、ターンリフトは終盤の追い込み、レフトスカートとライトスカートはコーナー重視とされている。
レフトスカート、ライトスカートは左に足を出すか右に足を出すかの違いだが、実に奥が深い。菊池の場合は利き目が左目だからライトスカートを選んだ。
「タコはまだあるし、1回疾走ってみても良いかもね」
暫定だがシートは決めた。後はロデオロープと呼ばれるワイヤーだ。シートの左右にワイヤーを付ける。左右のワイヤーの先にはコントローラーが付いている。
どちらのコントローラーにもリワインド、ダウン、ウイリー、クロック、リバースの5つのボタンがあり、クロックとリバースのみ両方のボタンの同時押しでしか作動しない。
「よし、やろう」
タコ100%のちくわをスタートラインに置いて、コントローラーを両手に握る。忘れずにヘルメットを被り、ちくわの3m背後に立つ。
「タイムアタック、レディ……」
《プレイヤー菊池白菊のタイムアタック開始まで、5……》
菊池は力士のように屈む。
《4……》
息を吸い。
《3……》
吐く。
《2……》
脱力し。
《1……ゼロッッッッッ!》
同時に飛び出した菊池は、ちくわに体当たりする。ちくわは数センチ前にズレた。
ゲーム内でヘルメットを被るかはプレイヤー次第です。
現実を生きる皆さんは、交通ルールを守りましょう。




