16 異変
ピヨピヨピヨピヨピヨピヨピヨピヨ……
3本目のカツオちくわが難易度1のバックストレートを抜けた。アウトコースからそのままコーナーに入り、減速せずアウト側を進む。
速度に乗っているがゆえにバンクを登るが、エスケープのシートに座る離凡の無難な重心移動によって安全にコーナーを抜ける。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
離凡の顔が青い。
「倒立したいよぉぉぉぉ……」
どうやら離凡は禁断症状が出るほどトレーニングに依存しているらしい。
「体操は忘れろコノヤロウッッッッッ!」
ちくわの鬼が怒号を飛ばす。
「ヒッ」
真横に2mの位置で腕を組み目を光らせる菊池も、離凡の顔の色が青い理由の1つだ。
「オラァッッッッッ!キリキリ疾走れッッッッッ!」
菊池はイメージの中にしか存在しない竹刀を、それこそ示現流の如く何万回も振り下ろした。
「ヒッ、ヒィッッッッッッ!」
涙目の離凡はコントローラーを強く握り締める。気合を入れて引き金を曳いても(ガン●ムでも無い限り)ビームの威力が上がらないのと同様に、すでに最高速の12チクワンに達したカツオちくわはそれ以上自力で加速することはできない。
ただコントローラーを握る行為は、離凡の顔色から青みを取り除いた……かに見えたが。
「テメーェェェェェッッッッッ!あん馬のイメージトレーニングしてんじゃねえええええええええッッッッッ!」
にわか鬼コーチは体操中毒者の内面を鋭く見抜いた。
「何でわかったんですかァァァァァッッッッッ!」
メインストリートに入るのと同時に離凡が泣き言を叫んだ。
「さっきそれで横転しただろうがあああああああああッッッッッ!」
2本目のカツオちくわは、コーナー脱出時に運転手が行った謎のあん馬的動作の結果、リソース6割超を残して横転した。その時菊池はまた、蟻の巣を見た。
「うわあああああああッッッッッ!つり輪にぶら下がりたああああああいッッッッッ!」
「頭おかしいだろおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!」
明らかに狂っているちくライダーは何人を菊池は知っていたが、彼らよりも離凡の狂気のが遥かに上回っている。
「菊池さん、ゴールですッッッッッ!もう60周ですッッッッッ!そろそろトカチェフを……」
「何がトカチェフだッッッッッ!何をどうしてトカチェフすんだあああああッッッッッ!」
トカチェフが何を指すのか菊池は知らない。菊池は4年に1度の世界大会でしか体操競技を見ない。
「ちくわのリソースはまだ20%残ってんだろおおおおおおおおッッッッッ!こっからが本番だあああああああッッッッッ!」
ちくライダーにとってここからが始まりだ。
「ヒイイイイイイイイイイイッッッッッ!助けて……僕の鉄棒…………」
「体操器具に助けを求めるなあああああああああああッッッッッ!」
離凡は74周疾走した。
サーキットの事務所に戻る。
「くぅぅ。リアルだったら米俵のように担いで回転させるのに……」
恐ろしいことを言う離凡。そうやって敵を増やしたのだなぁ、と菊池は思った。
「……暴力はダメよ。さあ、報酬をもらいましょう」
自分のパワハラに自覚の無い菊池は、顎をNPCの方へしゃくる。
「なかなかやるなって言いたいが、シラギクちゃんのサポートつきかよ。まあがんばりな」
「んほおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!」
報酬を受け取った離凡は……んほった。
「菊池さん、菊池さんッッッッッ!ハマグリがなんと6万個ですよッッッッッ!僕は大金……じゃなかった大ハマグリ持ちですよッッッッッ!」
「74周で6万個って、このスットコドッコイッッッッッ!無駄が多過ぎなのよ!」
菊池は離凡の襟を掴んで引きずる。
「市場に行くわよ!今のアンタに合う素材を探さなきゃ!」
とりあえず難易度1限定で最小限の重心移動でコーナーを曲がることを覚えさせた。離凡の目的を考えれば、別のコースを疾走らせる必要は無い。難易度1で延々金策させて、ハマグリが貯まったら離凡向けのちくわを探せば良い。見つからなければイワシで良いだろう。
どちらにしろ、カツオではダメだ。離凡は難易度1をスタート以外はずっと最高速で疾走できる。中速域ーー4~8チクワンのコーナー補正が生きない。カツオは比較的釣りやすいから結果的に集まっただけだ。
「キハダが水揚げされたはずだから、市場が活性化されたはずね」
NPCの漁師に干渉したのは、そちらが主な目的だ。
巡り巡って蟹でも揚がらないかしら、と都合の良いことを考えながら菊池は、目を閉じて金メダルを受け取るイメージトレーニングの真っ最中の離凡を引きずって市場へと向かう。
「ごめんなさいねぇ。イワシ……売り切れちゃったんだわ」
何が入っているのか不明な巨大風呂敷を背負ったおばちゃんNPCが、菊池への好感度を表現するように深く深く頭を下げた。
その深さが土下座に届く前に、菊池は支えて立たせる。
「まあ、仕方ないわ。そういう時もあるもの」
声色は穏やかだが、鬼神を背負うがごとき菊池の背中を見た離凡は鼻を膨らませるのを止めた。
手を振りながら2人はおばちゃんNPCの前から去る。
ドドドドドド……
そんな演出は無いはずだが、離凡は菊池の怒りを聞いた。
ドドドドドドドドドド……
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド……
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド……
離凡は耳をふさぐが、幻聴なので止まらない。
「何か異常が起きてるわね。……何で耳をふさいでんの?」
ちっちゃくも無いし可愛くも無い離凡の耳から、菊池は無理やり手を剥がした。
イワシはプレイヤー自身で集められる。だがNPCから買う方が遥かに簡単で安い。いつでも手に入れられた。これまでは。
「とりあえず、異常が発生してるのはわかるわね?」
菊池は5件の水産業者に干渉し、100t以上のキハダマグロを市場に流した。離凡には話していないが、フレンドも呼応して似たような行為をしている。菊池と関わりの薄いちくライダーも似たようなことをしているはずだ。
市場に素材が薄い状況は、ちくライダーにとって通貨を手に入れるチャンスだ。ちくフルを進めるうちに水産業者のNPCが接触し、好感度を上げざるを得なくなる。ちくライダーでなくても、上級者は必ずお抱えの水産業者がいるのだ。
水産業者は利用できる。たとえば菊池は漁場の情報を流して労働力の見返りを得た。
「魚が売ってないなら活動拠点を他に移した方が良いんですかね?」
「難易度1はどこでもあるから、それも良いかも知れないわ」
難易度1に限っては、例外無くどこでも『8』の字のコースだ。
菊池は考える。真っ先に疑うのはちくフルそのものの不具合。いちおう離凡と出会う前にGMコールはした。ほんの少しでも不具合の疑いがあればメンテナンスが入るはずだ。なのにメンテのお知らせが来ない。
ならば、『後編』の前兆か。
それともワールドクエストか、規模の大きいユニーククエストが複数進行しているか。
プライベートクエストなら他人に迷惑がかかるような過程は踏まない。公式からイベントの知らせも無い。
だったら……
菊池祭り、お疲れ様でした。
もう少し良いところまで投稿できれば良かったんですけどね。
100万字でもまとまる気がしない……
気長にがんばります。
ありがとうございました。