1 いつか蟹100%のちくわで
コロン様主催の『菊池祭り』参加作品です。
《『ちくわフルスロットル』にログインしますか? Y/N_》
《Y》
フルフェイスのヘルメットを脱ぐ。リアルとは異なる膝までの長さの黒髪が、さらりと垂れる。
ヘルメットの大きさを考えると明らかに髪の量が多過ぎるのだが、ここはちくわフルスロットルーー略してちくフルのゲーム内。演出にいちいちケチを付けていては何も始まらないし、菊池自身は気に入っているので問題は無いだろう。
背を伸ばし、薫る魚介を胸に吸い込んだ。
むせる。
「ゲホンゴホン……鯛かしら」
「イワシの塩焼きだよおおおおおおおおおッッッッッ!」
露店のNPCがそう売り込んでいるのが聞こえて、彼女はうつむいたまま早足でその場を去った。
商店街を進む。イワシの干物。イワシのつみれ。イワシの煮物。イワシ、イワシ、イワシ。
別に嫌いじゃ無いから良いのだが、鰯が多過ぎる。本来なら今菊池が滞在する【連合ハマグリベース】には様々な種類の魚介に溢れているはずだ。
「イベントの告知は無いのに鰯尽くし?……ま、良いか」
ステータスを開き、【ハマグリ資本連合】の通貨である干しハマグリの数を確認する。
うん、少ない。
ステータスを何度確認しても所持ハマグリは増えない。給料明細を何度確認しても金額が増えないのと同じ理屈だ。
赤貧と言うほどでは無いのだ。必要な物は揃うし、空腹ゲージを満たす程度の買い食いは可能だ。
菊池は串に刺さったイワシの塩焼きを、華麗かつ意地汚く二刀流食いしながら自分のガレージへ向かう。
シャッターを開け、ガレージの中に入る。
まずは冷凍室の確認。
タラバ蟹、ズワイ蟹、毛蟹。菊池はラストエリクサーを使う決断ができずにエンディングを迎えるタイプだ。冷凍すれば品質の低下は防げるが、低下そのものは無くならない。
「まだイケる。まだまだイケる……」
吊るしてある巨体は、マカジキ、メカジキ、本マグロ。リアルではちくわに向かない食材だ。しかしVR空間でのレース用ちくわの原料としてなら、まばゆい輝きを見せる素材なのだ。もちろん食べれる。
「解凍しちゃおうかな~♪」
ラストエリクサー……じゃなかった蟹系素材よりは遥かに入手しやすい。マグロ漁船に10時間も乗ればどれかは確実に手に入る。給与の現物支給という形ではあるが。
「よ~し、本マにしよっと!」
メニューを開き、調理を選択。自動でできるので、調理についてはプレイヤースキルはいらない。
調理完了まで20分。それまで冷凍室の素材確認を続ける。1週間ぶりのログインなのだ。細かい部分は結構忘れている。
「鱧……鮎……鯛ッッッッッ!」
高級食材系の存在をまた忘れていた。鯛の品質は食用でイケるギリギリのラインだ。
「くっ、ゲームの中だからいくらでも食べられるけど……」
菊池は鯛の調理を選択した。彼女としては、本マグロと鯛は別の機会に食べたかった。1度調理やちくわ作成を選択すると、やり直しは効かない。
「はぁ……嘘ッッッッッ!虎ふぐッッッッッ!」
また食卓に登る料理が増えた。いっそ蟹も調理してしまうか?
「ダメダメダメダメダメダメダメ……」
蟹系素材は全てチート。少量でもちくわに加えると、あらゆる性能が大きく増す。公式のイベントでは使用が禁じられるほどだ。私的なレースでも蟹を使うと掲示板で晒される。無難に使えるのは趣味的なタイムアタックのみ。
「蟹100%のちくわまで、あと900kg……どっかで蟹をくれる親切なプレイヤーがいないかしら?」
蟹は超レア素材だ。それこそ微粒子レベルの確率で魚市場で競りに出され、絶対にあり得ない金額まで値段が跳ね上がる。それを買うプレイヤーはRMTしているとしか考えられない。
個人で海に出ても獲れるが、遭遇そのものが微粒子レベルの確率である。プレイ歴10年の菊池でもたった1度しか無い。むしろ運が良い方である。
「はぁ~蟹100%のちくわで難関コースをかっ飛ばしたいなぁ……」
作成したちくわは、たった1度サーキットに出るだけで燃え尽きる。
公式イベントのレース大会でも、ワールドクエストのレースでも、ユニークだったりじゃなかったりするクエストのレースでも、私的なレースでも、タイムアタックでも、プラクティスでも、たった1度サーキットを疾走だけで燃え尽き、消えて無くなるのだ。
そのたった1度、それも最難関のコースを、蟹100%のちくわでタイムアタックを行うのが、ちくフルの廃人プレイヤーたちーーちくライダーの夢なのだ。
「はぁ……うわ、タコが余ってるなぁ」
半年前に、ひとりたこ焼きパーティを実施しようとして、仕事のために断念したときの物だ。蟹の誘惑を頭から追い出し、冷凍室の確認を再開する。
「使い道無いんだよな……」
タコ系素材はオフロード特化とされているが、オフロードを走る機会が今のところ公式による非常に規模の大きいレース大会くらいしか無い。
または初心者がコーナーリングとその立ち上がりの練習をするのにも使える。10年目の菊池はちくライダーとして上位の存在だ。今さらである。
「まあ、たまに良いかもね」
私的なレースの予定は無い。市場はなぜか鰯だらけ。こんな時に限ってリアルは3連休。時間だけはある。
技術を見直す事で発見があるかもしれない。発見を動画に編集して残せば、新規のプレイヤーの役に立つだろう。
今回の連休に限っては暇だが、菊池はブラック企業的な理由で他の廃人ほどちくフルに時間を割けない。引退も考えている。
だから1度のログインを、できる限り実りのある物にしたいのだ。
「よいしょ、どっこいしょ、菊池でしょ……なんてね」
レース用ちくわ作成装置に素材を移す。菊池でしょ、と言う割には労力を必要としない。メニューからの操作で即終了だ。食事を作るのよりもたやすい。
「タコ100%。タコとスケトウダラのハーフ&ハーフに……」
レース用のちくわは1t分の素材がいる。タコは2t以上余り、全て品質は食用に適さないレベルまで劣化している。
「比較対象として、スケトウダラ100%っと」
スケトウダラは最もベーシックな素材の1つだ。スタートの加速、ストレート、コーナーへの突入、コーナーリング、コーナーからストレートへの効率的な移行、ボディの弾性、粘性、消耗の遅さ、その他諸々。
2年前に引退したドライバーランク1位のちくライダーがスケトウダラ100%のちくわを主に使用し、数々の記録を作った。菊池は15ヶ所のコースしか記録を破れていない。
未だに更新されていない記録はまだまだある。彼が引退した後、何度もアップデートされ新しい要素が加わったにも関わらずにだ。
「よし、準備OKッッッッッ!その前に……」
本マグロと鯛と虎ふぐの調理が終わった。
菊池は小中高と帰宅部に所属しながら、自宅でドカ食い気絶部を掛け持ちしていた。部員は1人であった。一言で言えばぼっちで大食いであった。
大学では食品研究会と言う名称の事実上のドカ食い気絶サークルを立ち上げた。1年目は孤独ではなかった。だが100人以上いた暴食系女子も、4年目には菊池に着いていけず脱落した。
勤め先では陰で『リアルサ●ヤ人』とか『フードファイター食いしん嬢』とか『ハンターお嬢』とか『掃除機』とか『ブラックホール』とか呼ばれている。
とにかく食うし、速い。いや疾い。
「うわああああああああああああああああああああああッッッッッ!」
VR空間では味はするが……満腹感は得られない。血糖値が上がらないから眠くもならない。だから。
「一瞬で無くなった、マグロのトロが、カマが、鯛の塩焼きが、お刺身が、虎ふぐの造りがああああああああああああああああああああ!」
1度口に入れたら最後、味わう前に胃袋へ消える。ドカ食いの宿業である。