INTRODUCTION.1 普遍の変
「夕陽、もうその課題手を付けているの?」
腰まである長い髪揺らす少女が教室の机に備え付けられている透過ディスプレイ越しに少年を覗き込んでいる。天野祐希、羽が丘高校の1年生である。彼女の覗き込む先には、端正な少年が思案顔で手元の投影型キーボードを操作している。立花夕陽、同じく羽が丘高校の1年生である。
「面倒な課題だし、書き出しだけでも早めにと思ってね。祐希も早目に手をつけときなよ、流石に、今回のは、資料の共有ぐらいしか手伝えないよ」
祐希に顔を向けることなく、夕陽は文献操作のために画面をスワイプさせて画面を流し見る。
「資料はくれるの? めんどくさいことが減るから助かるな」
「後々、中身の構成も手伝えとか言うなよ」
「うぅ、釘刺すの早くない? まだ何も言ってないじゃ、ったぁぁ」
拗ねる祐希に対して人差し指、中指、薬指の3本でデコピンを放つ夕陽。行動に反して柔らかな笑みを浮かべている。
「どうせ言ってくるだろうに」
頬杖をついて祐希を見る瞳には親愛を感じさせる。もう、と小さく膨れっ面を浮かべる祐希はその表情を目にすると、若干頬を赤らめながら目線を下に落とす。気恥ずかしさと愛しさとが入り混じって複雑な心持ちになっているようだ。
「何色気づいてんだ、小娘? 小僧は何もしておらんだろうが」
唐突に教室内に、声が響き渡る。教室というこの空間には不釣り合いである幼いながらも年季を感じるがその声の主は室内には見えない。
「狼王、茶化さないでよ!」
「見たままをゆうただけだ。反論しとる時点で認めとるようなものだろ」
言葉と共に強風が吹き込み、風を纏う球体が教室中央に形成されていく。不意に一段と強い風が吹き込んだかと思うと球体は消え去り、代わりに半透明の薄水色の毛並をもつ狼が姿を表していた。
霊獣。ある日から地球上に姿を表し始めた新種の生物。2X45年の隕石衝突の原因は彼らの母体が飛来したことによるものであると考えている学者が多く、いまだに解明されていない生態は多くの生物研究者たちの探究心を刺激してやまない。その中でも四足、特に犬や狼猫などヒトに近い関係を持つ霊獣の多くは意思疎通が可能で、狼王と呼ばれたそれはその中でも抜きん出た力を持つ存在である。閑話休題。
「褒めてる?」
多少考えた後に子首を傾げながら夕陽がこぼす。その様子に狼王は吠えるように叫ぶ。
「褒めとらんわい! 人の主人を誑かしよってからに! 可愛こぶるな! 気色の悪い」
「誑かすというよりは愛でてる感じ何だけけどな」
「近い近い。犬的なノリ?」
毒気の抜かれた主人の返答に毛並みを戻す。そして、怪訝な目で主人を見つめる。
「それで良いのか、小娘」
人間のようにため息をこぼしつつ言葉をだす。祐希はそんな狼王に苦笑した。ふと疑問に思うことがあったのか狼王なでながら質問を投げかける。
「そう言えば珍しいね、何も無いのに狼王が出てくるなんてさ」
「ん、おう、そうだったな」
目を細めつつ主人にされるがままな狼王は狼というよりも犬の霊獣のようであった。
基本的に霊獣はヒトの目には不可視であり、霊獣が意志を持って人などの他の存在に認識させるのは、その身体を霊力によって構成するためである。したがって、霊力の塊であるので、所謂魔力タンクのような扱いをされてきたこともあった。そういった経緯もあり、霊獣の多くはそうそうヒトに近づくこともなくなってしまった。
一部の例外として契約をもって、ヒトに力を貸す霊獣もおり、狼王はその数少ない一例である。
「何やら理力や霊力がようわからん動きをしておってな。ちょうど小娘がおる付近だったからこちら来た訳だ」
狼王はそう口にしつつ教室内というよりは周囲全体を見渡すように観察する。それに合わせて耳もせわしなく動いている様子を見て祐希は笑みを受けべながら、狼王をなで続けている。
「小僧は気づかんか? あからさまに他の霊獣の存在や理力、霊力の流れがおかしいことに」
彼のような霊獣は自身も霊力で身体を構成している分、ヒトに感知できないような僅かな変化を鋭敏に感じる。その変化が霊力だけではなく理力に及んでいることに訝しみ姿を表したらしい。加えて、因縁があるらしい夕陽をからかって暇つぶしのためという理由もあるらしい。
「言われてみればだけど」
「霊獣ごときに言われて気づくなぞまだまだ未熟な証拠だな、お主の親御どもならすぐさま気づき何かしらの行動を起こしていただろうが」
「父さん母さんを引き合いに出すなよ」
あからさまに比較されるのは流石に気に触ったのか冷めた目で狼王を見つめる夕陽だが、当の狼王は気にもせず後ろ足で首元を掻く。夕陽はその様子に何を言っても無駄かとため息をこぼし言葉を続ける。
「・・・変と言われれば変な感じはするけど、何が変って具体的な言葉じゃ言いにくいな」
何かに引っかかるが、その何かをはっきりと捉えられないでいる夕陽はなにかにピンときたように「あっ」と漏らした祐希を見る。
「あれ、変っていうのはさっきからすごい静かってこと?」
「静か?」
校内は誰もいないから当たり前に静かだがそれがどうしたと言わんばかりに夕陽は眉をひそめている。祐希はそれに答えるように言葉をつなげる。
「そう、精霊の声が聞こえないから静か。どんな子でも多少は歌ったりしているのに全然聞こえない。この辺から逃げ出した感じ?」
そう言われてハッっと息を呑む。精霊とは、煩いものである。ただ単に騒々しいという意味で煩いわけではない。適正のあるものにとって煩く感じるものというだけで一般人にはさほど影響はない。
例えば、ある人に火の精霊に適正があったとしよう。その人は火の精霊に好かれ、アピールを受ける。精霊のアピールというのは端的に言うと自身の能力で気を引くというものだ。それも適正のない人には見えない。つまり、適正のある人にだけ視界が不可思議な現象によって雑音が生じるわけである。多くの精霊に適正のある人は、その分だけ雑音が発生するわけである。そして、天野祐希という少女はどんな精霊であっても好かれる。その祐希が「静か」と感じるということは、全く周囲に精霊がいないことを意味する。
「小娘が言う通りだ。この周辺、それも地脈を避けるようにして精霊がおらんのだ」
「ありえんくらいにな」とこぼしながら宙を駆り祐希のそばに寄り、主人を見上げた。
「そんなことってあり得るの?」
過去にもそういった事例にあったことのない祐希は眉をひそめる。
「普通はないだろうな、だが」
当然の疑問にきっぱりと答えるあたり、長い時間存在する霊獣でも経験のないことであることを語っていた。その反応を見て夕陽は1つつぶやく。
「あり得るなら、何らかの異常が地脈に起こっていると言うことか」
「そこまで言えば、流石に小僧でも察するか」
ようやくわかったか、と言わんばかりに呆れた目を向けながらも、「及第点だ」とこぼしている辺りそれなりには夕陽を認めて理解しているらしい。
地脈とは地球上に存在する理力、霊力の源、すなわち霊獣や精霊、ひいては魔法行使に至るまで多岐にわたる存在、事象の根源となっている。その地脈に異常があるという仮説ならばある程度の理由にはなるのである。
「今回のことに関してはわからん。何が起こっても不思議ではない。とくに、こう気色悪い感じがすると、ぉう!?」
突如としてひどい地鳴りとともに大きく上下に揺れる。まるで巨大な手の集まりで胴上げされているかのような浮遊感を伴うような感覚に陥る。
「きゃっ、地震!?」
「いや、地震なんかではないぞ! 地脈そのものが振動しておる」
さっと飛び上がり周囲を見渡す狼王だが、地に足をつけた二人は床に倒れ込まないように机にしがみついている。
「なんだよっ、それっ。くっそ」
突然の揺れと狼王の言葉に思わず悪態をつく。
地脈そのものが、地中が窮屈だと言わんばかりに胎動している。うねり、のたうち、這いずり、きしむ。鈍く低い音が響きわたり不快感を増幅させていく。
何分立っただろう。何時間立っただろう。不快な揺れと音は気づけば鳴りを潜め、静寂が戻っていた。
「収まっ……たか?」
「そのようだが……」
立ち上がる夕陽と対象的に祐希はへたり込んでしまっている。
「小娘、大丈夫か?」
「まだ、揺れてる感じがする」
主人を気遣う忠犬を撫でる心優しい少女というような少し前までの状況を考慮しなければ非常に絵になる構図である。5分ほどしたところで、揺れの影響が落ち着いたのか、祐希は立ち上がろうとする。そこに夕陽は手を貸す。
「ほら祐希」
「ありがと、夕陽。おばあちゃん大丈夫かな?」
「あの人は大丈夫だと思うけど、何が起きたかわかっていないだけに心配だ。すぐ帰ろう」
祐希の祖母であり、夕陽の親代わりである人の安否が気になり、二人分の鞄をそれぞれの机から取り、祐希に帰宅を促す。主人が鞄を受け取り、動く準備ができたことを認識した狼の霊獣は宙を駆け出す。
「先に周辺の様子を確認してくる。小僧、小娘を頼むぞ」
そう残して、狼王は壁をすり抜け、外へと出ていった。
「言われなくても」
室内に残った少年と少女は自身の鞄を手に教室を出る。
早足で廊下を進み、階段を下る。そして、校舎の外に出た彼らは、異常な光景を目の当たりにする。
「何? これ……」
眼前に広がる光景に息をのみ立ち尽くす。舗装されていた敷地内の所々はめくれ上がり鈍く光を発する木の根のようなものが盛り上がっていた。グラウンドは割れ裂けオーロラのような揺れる光を吐き出している。付近の住宅の様子は不明だが、おそらく火災が発生しているのであろう黒煙も校舎越しに見える。そして何より聞こえる悲鳴。立ち呆けてしまった二人に、これが異常なそれも想定外の現象が発生したことを鮮烈に突きつけていた。
立ち呆けたのもつかの間、ずんと響き渡る音と揺れにより夕陽は外に出た目的を思い出す。
「祐希ボケっとしてる場合じゃない、急ぐぞ!」
いまいち実感の湧いていない少女の片手を引きながら通学路をかける。その手に滲むのは焦燥感からくる汗だった。