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「あれ、お嬢。どうしたんですかその髪型、なんか気合い入ってますね」
そう、丁度気がついたかのように彼が口にしたのは、学園に着いてからのことだった。
(今? 今なの? まあ、想定内ではあるけれど)
「どう? 変じゃないかしら?」
「変じゃないですよ。いい感じじゃないですか?」
「そう。……ねぇ、テオ、なんか拗ねてる?」
変じゃないと言ってくれて安心したが、拗ねたような声音なのは何故なのだろう。そう思い問いかけると、テオはためらいがちに、視線をどこかにやりながら、フレイアにとって予想外の言葉を口にした。
「だって今日お嬢、俺に髪、梳かさせてくれなかったじゃないですか。いつも俺の仕事だったのに」
なんか面白くなかったんですと、もごもごと話す彼は、今自分がどういうことを言っているのかちゃんと分かっているのだろうか。
「それって、テオが嫉妬しているみたいね」
そんなこと、あるわけないと分かっているから、冗談じみた口調で、おどけてみる。思い上がりだとは分かっていても、それでも鼓動は早まってしまうような、どうしようもない気持ちを、どこかに逃すみたいに。
「まさか、そんなわけ。そんなわけ、ないじゃないですか」
「分かってるわよ。ちょっとふざけてみただけ」
知ってはいても、こう真正面から否定されると、紙で指を切ったかのような、それくらいの小さな痛みが、胸に広がる。
「私、先教室行ってるわね」
さっきまで少しでも思いあがっていた自分の頭を冷やすために、小走りで教室へと向かう。後ろで纏めた髪が、動く度に左右に揺れて、首に毛先が触れるのを感じる。
結局、こんなことしたって、何も変わらなかったのに。
(そんなこと、分かっているのに。本当に馬鹿だ、私)
教室までは廊下を少し行って、右に曲がれば着く程度の距離なので、迷う心配もない。
「へぶっ」
そう思って油断していたのがよくなかったのか、なにか硬いものに勢いよくぶつかってしまった。令嬢らしからぬ声を上げてから、それは男子生徒の背中だと気づく。
「も、申し訳ございません!」
急いで謝罪の言葉を口にすると、彼はゆっくりと振り向く。淡いラベンダーの髪が廊下の窓から射す日の光を反射し、光の輪を作る。長い睫毛に縁取られた、気怠げそうな印象を与える深い紫の瞳は、ずっと見ていれば飲み込まれてしまいそうなくらいな美しさだ。その瞳はフレイアを真っ直ぐに見つめており、怒っている様子は見受けられない。
「いや、大丈夫。気にしないで」
「うぅ、ありがとうございます」
よく前を見ていなかったもので、と少しばかり弁明をし、頭を下げる。公爵令嬢たるものが簡単に頭を下げてはいけないとは分かっているが、今回は完全にフレイアが悪いし、今はいちいち小言を言う従者だっていないのだ。これくらいいいだろう。
すると、顔をあげて目に入ったのは、驚いたように目を見開く彼の顔だった。
「……次はちゃんと気をつけなよ、ヘレディウム公爵家の妖精姫」
そう言って、彼は教室へと入っていく。どうやら同じクラスのようだ。
「え。私のこと、知ってたってこと?」
フレイアは今でこそマシになった方だが体がとても弱く、ヘレディウム公爵家の三女という立ち位置で、社交の場に出る必要性が薄い。そのため、社交の場には全くと言っていいほど出ていなかった。
そのせいなのか、父親のするフレイアの話だけが闊歩し、いつのまにか『ヘレディウム家の妖精姫』という名前だけが一人歩きしているような状態だ。だから、フレイアの容姿を知る者は極少数に限られているし、まだ自己紹介をする時間がとられていないので、学園の生徒にも気づかれている様子はない。
──その極少数といったら、王家の人間くらいで。母親が王族から臣下して公爵家に嫁いできたため、王家の人間とは、少なからず交流はあった。……ということは。
「あれが、うちの国の第四王子ってこと?」