2-1 初めて尽くしの避暑
ひとまず一日一つ目標
あっという間に本格的な夏が訪れる。マクミラン辺境伯に書簡を送れば早馬に乗り三日で飛んできた。ブラッドに護衛などの調整を任せ、フィーの正体を知る者はマクミラン夫妻と家令、メイドと執事数名、そしてマクミラン騎士団の団長のみ。あとは王の影が付くらしいのだが、そこに関しては完全にフィーの管轄外だ。
そうしてところどころ町を楽しみながら馬車の旅を一週間ほど。マクミラン辺境伯領を、フィーは初めて訪れた。滞在期間は二週間。その後はまた一週間かけて王都に帰還する予定だ。
「ああ、風に少し湿気が混じっているけど結構涼しいね」
王都よりも北西にある辺境伯領、そしてさらに、辺境伯の屋敷は山の上だ。日差しさえ遮ればかなり涼しい。
「こんなにのんびりと馬車の旅を楽しんだのは、国外に行ったとき以来だよ」
「国外以外ではほとんど初めてじゃないか?」
「うん。こっちのほうは全く来たことがなかったからこそ、一度は目にするべきだってお爺様許してくれた」
ゆっくりと舗装された山道を登り切り、馬車が止まる。がちゃりと馬車の扉が開いて、差し出された手にフィーは笑いながら迷わず手を乗せた。
「ようこそマクミラン辺境伯領へ、フィー。ブラッドにパメラ嬢も」
「お招きいただきありがとうございます」
さっと淑女らしく一礼をする。サマードレスの裾がふわりと風になびいた。頬を撫でる風は程よく涼やかで、青い土と緑の香りに胸がいっぱいになる。城では絶対に味わえない感覚だった。
「まずは父上に挨拶して、部屋に案内しよう」
「私はそのあとはとりあえず書庫に案内してほしい」
「屋敷を一応案内するときに一番最後に案内するからそれまで待て」
そんなやり取りをしながらレオナードにエスコートされて屋敷に入る。入ってすぐにマクミラン辺境伯と夫人が出迎えた。
「お初にお目にかかります。ブラッド・コルケット。こちらは私の親戚筋であるフィー・コルケットに、私の婚約者、パメラ・クィンランです」
「ようこそ。コルケット侯爵とはよく一緒に酒を飲む仲だ。好きなように過ごしなさい」
にこりとも笑みを浮かべることなく告げて、辺境伯は夫人を連れてその場を去る。夫人はまた後程お話ししましょうね、と柔らかく微笑んでくれたと言うのに、ずいぶんと差のある夫婦だ。
「父上、愛想のかけらもないけど、確かに歓迎しているから許してくれ」
私と踊るときも一切笑わないもんなあ、とフィーは思いつつも分かった、と頷いた。
部屋は一人一部屋に、メイドが二人ずつ付けられる。フィーに付けられたメイドはフィーの正体を知る者で、おそらくより優秀な人材を選んでくれたのだろう。城のメイドに聞いたのか、部屋にはフィーの自室と同じルームアロマに、フィーの自室と似た調度が揃えられ、本棚にはすでにいくつかの書籍が並んでいた。いたせりつくせりである。
「ここまで用意したのは大変だったでしょう。ありがとうございます」
フィーが落ち着いて礼を言うと、メイドはゆっくりと頭を下げた。
「フィー様、屋敷をご案内する前に、マクミラン辺境伯ご夫妻がご挨拶に伺いたいと」
「わかりました。お通しして」
ソファーに腰かけて背筋を伸ばす。メイドが用意した飲み慣れた紅茶を飲んでいると、すぐに夫妻はやってきた。がちゃん、とドアが閉まったのを確認したのと同時にフィーは手に付けている指輪に魔力を流し、防音の魔術を展開させる。
「この度は、ようこそお越しくださいました殿下」
先程とは打って変わった様子だ。相変わらず不愛想ではあるけど、とフィーはひっそりと笑う。
フィーの前に跪く二人に、顔を上げて、と促す。
「あくまで非公式の場ですので、挨拶は控えさせていただきましょう。ここにいるのはご子息、レオナードの学友の一人と思っていただければ」
は、と答える辺境伯の硬さは変わらず、彼らしいな、なんてフィーは考える。
「あまり硬くならずに。久しいですわねマクミラン。先日のお父様の主催する狩猟会に参加しなかったから、もういつぶりかしら。いくら城に顔を出したとしても、わたくしとはお会いしてくれませんもの」
「半年前のパーティーには参加しましたぞ」
「あら、わたくしとは踊ってくださらなかったけれど」
「殿下と踊るととても緊張しますからね。叶うことなら妻とだけ踊りたいものです」
「あらよく言う。ご子息にはダンスが苦手なことバレていませんの?」
「王女殿下が昔、私を笑わせようとダンス中にずっとくすぐりを仕掛けてきたことを陛下に言いますぞ」
「まあ、もう時効でしょうに」
ふふ、と甘やかに、魅了するように、そして少しだけ威圧するように。王族の末席に席をいただくものとしての威厳を持って、フィーは笑う。
「いいこと。この部屋を出たら、わたくしのことはただのフィー・コルケットとして扱いなさい」
「は、御意に」
「ご婦人も、滞在中は是非ご一緒にお茶をしましょう。ぜひこの領地についてわたくしに教えてくださいませ」
「有難きお言葉、光栄に思います」
ゆっくりと頷くと、もう下がっていいわ、と告げる。二人が下がり、メイドにも少しだけ一人にするように告げて、部屋から出す。
「……ああ、少し疲れた」
ベッドにゴロンと寝転がれば、セピア色に変化している髪が広がる。パメラに少しだけ整えてもらったけど、崩れちゃったかな、と思いながらも起き上がる気にはなれない。
「……王女じゃない避暑なんて、初めてかもしれないなあ」
しかも、それをほとんど一日中続けるのだ。口調こそ本来のしゃべり方とほとんど変わらないが、一人称が間違えて出そうだ。よし、困ったときは部屋にこもろう。本を持って部屋にこもる分には絶対的に怪しまれない自信がある。
「私はフィー・コルケット」
言い聞かせるように、願うような響きで言い聞かせる。よし、と体を起こすと、フィーはメイドを呼んだ。