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学園に入学して、三か月ほど。文字を追うばかりが研究じゃない。ありとあらゆる分野から魔術の可能性について模索していくのも、また一興。レオナードにこんな選択授業があるんだが、と誘われ、フィーとレオナードが選択したのは純粋な魔力を抽出し、それを扱う授業だ。
繊細な技術を必要とする実験に、ブラッドは笑顔で俺にできると思うんですか? と言い、パメラも繊細なことはちょっと……と曖昧に笑っていたために、あきらめていた授業でもある。一応城から手の立つ女騎士をメイドに仕立て上げて付き添ってもらい、フィーはレオナードと共にこの授業を受けることになった。
将来的に国家資格を取ることも視野に入れているその講義を希望するものはかなり多いが、何とか三回分の授業を参加する資格を得た、その一回目だ。
教室にならぶ実験器具。フィーが取り扱うのは、魔力伝達の調整がしやすいガラスが使われたフラスコだ。その中には淡い薄紅の液体が揺れていた。丁寧に抽出された植物由来のオイルには、濃密な魔力がゆらりと満ちている。フィーがこの授業が始まる前に二時間かけてかき集めたものである。それをフラスコに入れて、水の性質を持つ魔力を注いでゆっくりと撹拌して。魔力の抽出は魔術具などを作るのに必ず必要な初歩中の初歩だ。しかし、その初歩が難しい。
「……魔力同士は性質が近いから、混ざると思うんだけどな……」
「近いとは言っても魔力を持っている物自体が水と油だろう。ならまずは乳化剤を入れたほうが」
「いや、理論上では魔力同士の掛け合わせからの物体の融合は可能のはずなんだ。混ざった状態で変化した魔力を抽出できるはずなんだよ。……ごめんちょっとだけ話しかけないで」
「その理論式、一度確認させろ」
真剣な目でフラスコの中の魔力をじわじわと動かしているフィーにレオナードが溜息をつきながらもフィーの手元にある紙に手を伸ばした。
こうして一緒の講義を受けようと誘われるぐらいには、レオナードとは仲良くなれたと思う。これが友人と言うものか、と考えるものの、フィーが胸を張って友人、と言えるのはパメラとブラッド、特殊な関係ではあるが兄二人の嫁と婚約者ぐらいだろう。どこから友人と言えるのかわからないが、一緒に学ぶ学友であることには間違いない。
「香水の調合師ってすごいと思う」
よし、とフィーが呟いて視線を和らげたのをみて、レオナードが口を開いた。
「いいと思った香りがあれば、何が何でも魔力を抽出するだろう。母御用達の調合師が、屋敷から帰る途中突然瓶取り出して物の数秒でそこに生えていた木から抽出していて、正直恐怖すら覚えた」
「確か、自分自身の魔力も使っているんだよねあれ……国家資格なのも頷ける。意味が解らない」
「香水、俺はあまりつけないが、こう……すごいよな……」
「こうして自分達で抽出実験してみると、香水の値段もっと上げてもいい気がしてきてしまう」
「まあ、それは国が決めることだ」
一瞬、フィーの思考が乱れた。今、あまりにも普通の会話過ぎて、父である王太子に進言してみるかとか言いかけていた。いや、それは絶対言っちゃダメな奴だろう、と自分の中で思わず突っ込んで、思考が乱れてしまった。しかし、その一瞬の乱れが命取りである。咄嗟に力を込めてしまったのか、フィーの魔力がフラスコに伝わり、一瞬にして容量オーバー、ボフンッと軽快な音を立ててフラスコの中身は雲散してしまう。
「ああああっ!」
フラスコからもくもくと煙が上がり、辺りにふんわりと広がるのはフィーが学園内の庭にて一時間かけて集めに集めたアベリアの魔力だ。アベリアの香りがあたりを漂う中、できる訳もないのにフィーは両手でかき集めるような仕草をする。
「なんで……っなんで……!」
「なんかすまない……」
「なんで……」
妖精姫の面影など一切ない。呆然とするフィーに、教師は笑顔で一から集めなおしですね、と話しかけた。
話しかけたことも原因の一つだろう、と責任を感じてか、レオナードが魔力集めを手伝ってくれるらしい。遠慮など一切せず、フィーは魔力保存用のガラス瓶をレオナードに押し付けた。
魔力集めは地味だ。才能がある人は一瞬でやってのけるそうだが、国家資格が必要なほど高度な技術である。学生であり、成人として認められてすらいないフィーやレオナードでは実験に必要な僅かな魔力を集めるのにも酷く時間がかかる。
「……小さい頃、魔力操作が上手い先生がいて、一瞬でこう、さって集めてたから……少しあこがれて、真似したことがあるんだよね」
アベリアの花の近くで魔力を移すための植物オイルを持って、フィーはぼーっと花を眺める。暇だ。とにかく暇なのだ。メイドや執事に頼む人もいるが、これもまた鍛錬の一つなのだ。じわりと自分の魔力を使ってアベリアの魔力を押し出して、ゆっくりゆっくり、逃がさないようにオイルに流し込む。
「真似してどうだった?」
「宝石だったんだけど、割れた。家宝のやつ」
正確には国宝である。数代前に国外から嫁いできた王女が持ってきたという特大サイズのサファイアを思い出し、フィーの口元に苦笑が浮かんだ。
「それは、かなりまずいんじゃないのか」
「とってもまずい。あんなに怒った祖母を見たのはあれきりだ。……まあ、その教師が宝石の加工師で、定期的にメンテナンスは必要なんだが、まじまじと見ても分からないぐらいには修復してもらった」
懐かしい思い出である。離宮から出たばかりの頃、初めての外に好奇心旺盛だったのだ。
「……俺にもまあ、似た覚えはあるな……」
「レオナード様も?」
「少し違うんだが、父の側近にあこがれて、勝手に飾ってあった古い大剣を触ってな」
「刃は?」
「潰れてない。ちなみに俺が七歳の頃の話だ」
うわああ、とフィーが思わず顔をしかめた。
「大丈夫だったのかそれ」
「鞘から抜く以前に、重すぎて潰れたところをメイドに見つかって、父にこってりと叱られた。その日の訓練は今までで一番つらかった」
ふうん、と頷いて。フィーはちらりとレオナードを見る。
「訓練は今も?」
「ああ。一応辺境伯を継ぐ意志はあるからな。学生の間だけでも趣味を思う存分極めさせてもらうが、卒業したら辺境伯を継ぐためにも、婚約者を探して、騎士団に正式に入団する予定だ」
「わお、立派」
ふわんと一瞬アベリアの香りが強くなる。慌てて手元に意識を戻して、集中して。
「フィーは卒業後の予定は?」
「全く。でも私もたぶんしばらくしたら婚約者探し。家を継ぐのは私じゃないから、嫁入り先を探さなくちゃ。だからこそ今は、何が何でも研究を楽しみたい。わがままを言うなら学生の間に実績一つぐらい残したい」
「大きく出たなあ」
はは、と軽い笑い声に思わずフィーはレオナードを見た。くしゃりと笑ったレオナードの表情が、想像以上に柔らかくて。少し幼く見えるような笑い方だった。
「じゃあ、今は婚約者とか考えていないのか」
「うん。だって研究したいし勉強したい」
今度こそ声を上げてレオナードが笑う。
「レディでそんなこと言うのはフィーが初めてだよ。……俺もそうだ。気が合うな俺達」
フィーも心からの笑みを浮かべる。にんまりとした笑い方はイタズラ好きの猫のよう。
「いい友達になれそうだね」
「その為にはまず、これを終わらせようか」
「ああああ」
オイルに充分な魔力が宿った瓶を揺らしてレオナードが笑う。フィーは自分の手元を見て、思わず頭を抱えかけた。全然足りていない。その日、フィーは自覚した。魔力抽出が結構苦手だ。
なんとか魔力の抽出が終わり、授業中に終わらせる予定だった実験結果を提出して。まだ夕方ではないが結構な時間である。疲れた、と呟いたフィーに遅めのアフタヌーンティーにするか、と誘ったのはレオナードだった。
メイドに声をかければあっという間に中庭のテラスに用意ができる。机に広がったのはサンドイッチにスコーン、クッキーにケーキ。ブラッドとパメラはまだ授業中らしく、二人きりのアフタヌーンティーとなった。
「レオナード様意外に甘い物よく食べるよね」
フルーツサンドを丁寧にフォークで口に運んでいたレオナードはああ、と頷く。
「ブラッドもだが鍛錬して筋肉を使うと異常に糖分が欲しくなる。攻撃魔術なんかは脳も使うだろう」
いつの間にブラッドとも仲良くなっていたのか、なんて思いながらフィーもシゼリーを口に運んだ。
「そういえばブラッドも訓練終わりは甘い物食べるな……」
「父も訓練終わりはバターケーキを好んで食べている」
フィーは気合でむせるのを抑えた。辺境伯は時折ダンスの相手を頼む程度には王に近しい存在だ。だからこそあの厳つく頭の固い頑固者がケーキをほおばる姿が全くもって想像できない。
「……近衛兵とか、騎士団の方もみんなそうなのかな…………だめだ、イメージががらりと変わった」
「まあ、肉を好む人もいるし、それぞれだろう。うちの領地の騎士団も半々という感じだ」
「ううん。体内にある魔力の質によって摂取したくなるものが変わるとか?」
「そういや前に、経口摂取による魔力と自分で持っている魔力の質についての研究があったな」
「ああ、その研究書、貴重書庫の中にあったな……レオナード様早く食べ終わって」
「無茶言うな。……この後授業はもうないのか?」
「…………パメラに誘われて、茶会がある……」
フィーがたった今思い出したとばかりに目を見開く。目の前に広がる美味しそうなデザート。
「……どうするんだ」
「茶会で控えめにする」
よし、とあっさりとあきらめて遠慮なく次のケーキに手を伸ばす。スコーンはあげるよ、なんて言うフィーに呆れた視線を向けながらもレオナードはスコーンを手に取って。
食べながら話題には尽きない。時々食べるために無言の時間があっても心苦しくならない。なるほど、友達とはいいものだ。
「女の子同士ってどういう話をすればいいんだろう」
「それはレディに聞くべきだろう」
「研究の話すると引かれるんだよなあ」
「……まあ俺もあまり魔法の話をすると、子供っぽいって言われるな」
子供っぽい、の言葉にフィーがきょとんとレオナードを見る。レオナードの表情が少しだけ困ったように見えた。
「魔法は寓話だとも言われているだろう。特別な魔術を魔法と呼んでいた、なんて言う研究者もいる。だから魔法が好きだというと、子供みたいだとよく言われていた」
レオナードの言葉にフィーはぎゅう、とこぶしを握り締める。
「……魔法は確かに存在していたよ。過去の文献も遺産も、それを確かに示している」
「ああ。でも、現代にはもう魔法はない。妖精を見る人もいない。そのうち風化され忘れ去られてしまえば、魔法はそれこそ本当に消えてしまう。妖精は遠い存在になる」
だから、と。レオナードが背筋をただす。
「だから俺は、魔法の存在をこの世に知らしめたい。魔法の再現ができなくても、魔法が存在していた確かな証拠を残したい」
ああ。誰が彼の夢を子供っぽいなどと言ったのだろう。フィーはふっと手の力を抜く。
「大丈夫だよ」
今は、ただそう言うことしかできない。
「魔法は、妖精は、確かに存在している」
それでも、その言葉にはフィーの願いも込められていた。
しばらくして授業が終わったらしいパメラとブラッドがやってくる。がっつりと食べているフィーを見てまあ、と口を押えるものの、仕方ないとばかりに笑ってくれたので助かった、とフィーは胸をなでおろす。残ったケーキは俺が食べる、とフィーが座っていた席に着いたブラッドと変わり、パメラと一緒にフィーは茶会に参加するためにレオナードに別れを告げる。
「頑張ってこい」
「じゃあまた」
ひらひらと手を振って、ブラッドと剣術の話をしだしたレオナードを見ながら歩き出して。
「レオナード様とブラッド、仲いいんだねえ」
「授業ではよく一緒に組んでいるそうですわ。一応人となりをきちんと見極めさせていただきたくて」
まあ、そのぐらいは仕方ない。でも本当に仲がよさそうで、というパメラは少し嬉しそうだ。