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予約投稿お試しです。一時間ごとにたぶん数話あがります。たぶん。
レオナード・マクミランは辺境伯の一人息子だ。国の設立時からある由緒正しき家系であり、代々その剣を王家に捧げてきた。険しい山と荒々しい海の両方を持つその領地には特有の魔術や言語がある。それがフィーの知る彼についての知識だった。
「つまり、これは三百年前の領民の記した天候を読むための魔術指南書だ」
「レオナード様……これを、私が読んでもいいのか……⁉ 本当に⁉」
今にも拝みだしそうなフィーに、レオナードは顔色を変えずに頷く。
「この間の礼になるのかは分からないが……」
「はるかに超えている! 私はこれをこの人生で一度も読んだことがないし、存在を知らなかった…… ごめんちょっと本気で読み込むだから二十分だけ誰も話しかけないで」
場所は中庭にある庭園の東屋。メイドが一人控えていて、少しだけ離れた東屋ではブラッドとパメラがお茶をしていた。時々視線が合うとパメラがふわりと笑いかけてくる。それに同じように笑い返し、フィーは手元の本に視線を戻した。
古いノートのような本を丁寧に開く。風に流されてしまう前にと、すうっと紙とインク、染みついた歴史の香りを胸に閉じ込めて、ゆっくりと文字に目を滑らせていく。
ぱらり、ぱらりと本を捲る。見たことのない文章が目から脳へとゆっくりと伝わっていく。静かな時間が流れて、遠くから聞こえる生徒達の声や木の葉の重なる音、鳥のさえずりが全て遠のく。黙々と没頭して、数十分は過ぎただろう。
先に読み終わったのはフィーだった。読みやすさでいえばレオナードの方が現代文で書かれているのだから読みやすいに違いないのだが、フィーが読んでいたのは古いノートのような物だ。それほど量があるわけでもない。それでも見たことのない単語に知らない当時の常識が垣間見え、読みごたえは充分過ぎるほどだ。
読み終わったのを見てメイドがお茶を用意しようと動こうとして、まだいい、とフィーは首を振る。そうだね、あと十分ぐらいしたら、とフィーが微笑めば、メイドは静かに頭を下げて了承した。
さて。もう一度この本を読みなおしてもいいのだが、そしたらおそらく彼よりもずっと読み込んでしまうだろう。手持無沙汰になってしまい、フィーはひとまず目の前でひたすら文字を追いかける青年を観察することにした。
青み掛かった黒髪は襟足が少し跳ねている。頑張ればみつあみ出来そう、だなんてしょうもないことを考える。薄い睫毛が瞳に影を作りサンダーソニアの瞳がじいっと文字を追いかけて行ったり来たり。整った顔立ちは威圧的なのに、今はどこまでも穏やかに見える。うん、とフィーが頷いたのは彼女が本を読み終わってからちょうど十分。
「そろそろ紅茶の用意をお願い」
「かしこまりました」
そういって囁き声でメイドがお湯を用意して紅茶を蒸らして、二分。レオナードが深く息を吸い込んだ。
「……はあ…………素晴らしいな……」
感嘆を溢してレオナードが本を閉じる。そして顔を上げれば、フィーがしげしげとレオナードを眺めているのに気付いたらしく、彼はなにか、と聞くとフィーはふむ、と頷いて口を開いた。
「レオナード様、見た目はいいね」
「…………は?」
唐突な話題に盛大にレオナードの反応が遅れる。うんうん、とフィーは頷いて己の知っている知識と照らし合わせながらレオナードに続けて尋ねた。
「婚約者はどう? かわいい?」
「婚約者はいないが」
ええ、とフィーは思わず目を丸くする。婚約者のいないある程度身分の高い貴族の子息はフィーの婚約者候補としてある程度覚えているつもりだったが、全くもって知らなかった。
「うーん、背が高いから、立っていると見下ろされて威圧的なのかな。常に座って生活していたら女の子にもてるんじゃないかな。大丈夫、きっといい人が見つかるさ!」
「お前は何を言っているんだ。……そういうフィーこそ婚約者は? 学園にはいないのか?」
「婚約者自体存在していないよ。その話はやめてくれないか」
「フィーから言い出したんだろう」
思いっきり呆れた顔をしながらレオナードがふと視線をフィーに向ける。その前には紅茶一つ置かれていない。本を読み終わるのを待っていたのか、とレオナードが驚いて口を開くよりも先に。
「ねえ、ここのさあ、このページのこの単語、古代語の雪に似ているけど違うよね? これなに」
「あ、ああ。雪じゃなくてこれは波打ち際の水の泡だ。うちの地方独特の言い回しで、冬のころに見られる泡のことだ」
「冬限定?」
待たせたことに対して少しだけ罪悪感を持ったような目をしていた。結構わかりやすいなあ、なんて思いながらフィーはそれに気付かないふりをして話題を続ける。
「ああ、これを見ながら春が来るまでに必要な貯蓄を考える習慣が海の近くの農村にあって」
「なるほど……独特の言い回しだな。あとこっちの文章、古代語として文法が成り立っていない気がして」
「ああ、こっちはだな……」
「お嬢様、お坊ちゃま。お茶の用意が出来ましたが……」
盛り上がる二人にメイドがそっと口を挟む。ありがとう、とフィーが紅茶で唇を潤し、そしてまた本を開く。一息つく間もないその様子に、レオナードも同じように本を覗き込みながら、思わずと言った様子で呟く。
「……お前は、本当に学ぶことが好きなんだな」
「それはレオナード様もだろう」
首を傾げて彼を見る。レオナードは確かに、と神妙な顔で頷いた。
「似た者同士だな」
似た者同士。その言葉が妙にくすぐったい。フィーはそうだね、と笑顔で頷いた。
こうして、フィーに「勉強仲間」ができた。