7-5
フィー目線に戻ります。
フィーが目を覚ますと、ろうそくの明かりが少しだけ灯っているような、ずいぶんと暗い部屋だった。
「フィオナ、目が覚めたか?」
フィーははっとして顔を上げる。そういえば、馬車に乗っていたところを襲われて、気を失ってしまったんだ。ここはどこで、ブラッドやほかの護衛は、とあたりに視線をさまよわせても、ここには自分しかいない。
「まったく。うまく取り入れとあれだけ言ったのに。これだから能がない平民は」
もしかして、この男はフィーに話しかけているのだろうか。思わず無言で眉を顰めると、思いっきり横っ面を殴られた。後ろ手に縛られているので、その勢いで地面にたたきつけられてしまう。
「仕方ないとはいえ妹になったんだ。態度には気を付けたほうがいい、フィオナ」
ここで、ようやくフィーは自分が今、髪と目の色を変えていることを思い出した。そうだ。おそらく、この男はローズ伯爵の長男だ。とは言っても見覚えがあるわけではない。ただ、胸元で主張している大きなカメオに刻まれた紋章は、確実にローズのもので間違いないだろう。
「こら、一応はレディなんだ。使い道はあるんだから顔に傷をつけるな」
そう言いながらにやにやと笑う別の男に関して、フィーは全く見覚えがない。もしかしたらフィオナの知り合いだろうか、と思いながらもフィーは黙っている。しかし、ただ色味が同じだけで、一応は妹として引き取った子と全く違う他者を間違えるのか、と呆れてしまう。
「まあいい、お前一人いなくなったところで誰も何も気にしない。命は取らないのだから感謝するんだな」
心から状況がわからない。視線を彷徨わせるも、暗い部屋には窓がない。ここはどこなのかわかる情報が一つもない。外にどれだけの見張がいるのかも、彼らが「フィオナ」をどう扱うつもりなのかも。
「何故、私がブラッド様の妹だなんて嘘を?」
少しでも会話から何かを得ようと口を開く。声を聞いてもこの男はフィーとフィオナの違いが分からないらしく、疑問に思うことなく嘲る。
「嘘だなんて、人聞きの悪い。お前が勘違いしただけだろう。少し侯爵家に色が似ているだけで、簡単に勘違いした愚かなお前が悪い」
「…………」
もう少し情報を収集しようと話を続けるつもりだったのだが、呆れかえってしまう。ここまで自分本位な貴族がこの国にいたことがどこまでも嘆かわしい。
身の危険が迫っているのだ。魔法を使っても文句は出ないだろう、とフィーが口を開いた瞬間、先程殴られた頬と同じところをまた殴られる。
床に転がり倒れ、痛みに呻いているとそのまま髪を踏まれてしまい、起き上がれない。
「はあ、無駄な質問ばかりだ。口を塞げ。叫ばれでもしたら面倒だ」
しまった、と思うが、もう遅い。布を口に突っ込まれ、巻き付けられる。
フィーは誘拐されるのは初めてだった。護身について学んではいるが、いざというときは魔法で最低限の身は守れるだろう、なんて考えていたのがいけないのだろう。城に戻ったら、もう少し緊急時の立ち回りについて学ばなくちゃ、と思いながらも焦りがじわじわと募っていく。
「こんな汚いところに閉じ込められるなんて俺には耐えられないな……おい、応接間に案内しろ」
ローズ伯爵の長男が後ろに控えていた男に声をかけ、部屋から出て行った。それを見送り、フィーはぎゅう、と目を閉じた。さっきから何度か縄抜けを試みているが、跡が残るであろうことや、痛むことへの気づかい無しに縛られているためか、なかなかうまくいかない。
……ああもう。わたくしにできることは何もないな
目を開いて見える範囲で自分の姿を見下ろしてみる。社交パーティーのために仕立てたドレスはあちこちが綻びぼろぼろで、綺麗にしていたはずの髪も解けている。自分の姿を見下ろして、あまりにもボロボロ過ぎて思わず笑ってしまう。
どれだけ時間が経っているかは分からないが、フィーの不在にはすぐに騎士団が気付くだろう。ああ、ブラッドは大丈夫だろうか。派手に馬車がひっくり返っていたことしか記憶になく、護衛達の命があるのかすら定かじゃない。
不安にじわじわと震えが込み上げるというのに、思わずフィーは小さく笑った。
……ああ、おかしい。
誘拐されるのは初めて。こんな風に乱暴に扱われることも初めて。最後の自由を途中で取り上げられて、そうして待っていたのは初めて尽くしの異例な体験だ。もしこれで王女だとバレたら、彼らはどんな行動を取るのか全く想像ができない。困ったなあ、と心の中で呟いて、もう一度目を閉じる。殴られた頬がジリジリと熱を持つように痛い。
誘拐されたと判断した段階で、魔法を使えばよかった。言葉にするだけで相手の思考を従順にできる魔法は、少なくとも現状よりももっとマシな状態にできたはずだ。素人判断で情報取集なんてしようと試みるものではない。だから今、フィーは助けを待つだけの存在になっているのだ。
ああ、おかしい。もしかすれば口封じに殺されてしまうかもしれないのに。助けがくるのをただ大人しく待っているだけだなんて、まるでただのお姫様だ。
閉ざされた瞼の裏に浮かぶのは、絶対的な信頼を置く友人達でも、頼りになる家族でも、フィーを守り続けてきた騎士でもない。
レオナード様。
心の中で、名前を呼ぶ。それは、絶対的に叶うことのない、夢物語のはずだ。ただこうして王女ではなく、フィー・コルケットの姿で捕らわれて。そんな時に、助けてほしいと。そんな思いが浮かんだ相手は、レオナードだった。きっともう、二度と親しく接することのできない、レオナードだった。
わかっている。わかっている。わかっている。
それでも、と。魔法でもなんでもなくて、妖精にでもなんでもなくて。
ただ、少しだけ祈らせてほしい。
助けて、レオナード様。
事件です。明日書籍発売日だそうです。
明日からはいつも通り17時投稿です。