6-4
切りどころに悩んで少し長くなりました。
無事にマクミラン辺境伯にほどほどに夜まで残る必要がありそうな仕事をさりげなく押し付け、ブラッドは意気揚々と書庫へ向かう。
大書庫は地下から上まで塔のように作られている。日に何人まで、と時間を決めて開かれたその書庫で、閉まるぎりぎりの時間まで本を戻す様子もなく読み続けているレオナードは些か目立っていた。
「お待たせ」
「本当に夕方だな」
高い窓から見える空を見上げながらレオナードがぱたんと本を閉ざす。どの位置から取ったのか覚えていたのか、本を戻す所作に迷いはない。
「で、どこにいく?」
「ちょっと目隠しの魔術付けて歩いてもらうんだけどいいか? あまり人に知られたくない道を通る」
にやにやと笑うブラッドに、今からでも辞退したい、とレオナードが嫌そうな顔をする。
書庫に出ると、さっそく腕輪をレオナードに付ける。魔術式を展開させれば、おそらくレオナードの視界は真っ暗になるだろう。目の前で手を振っても反応しないのを確認し、ブラッドはレオナードの腕を掴んだ。
通る道は、いわゆる隠し通路の一つだ。とは言っても知る人は多い。この道はあくまで、王族に近しい側近やメイドなどが通るための物なのだ。
いくつかの魔術式を解除しながら進んでいき、ブラッドは王族のための中庭の入口へたどり着いた。何か言いたげな護衛の兵には人差し指を唇の前に立てることで黙らせて、そのままレオナードを連れて中に入る。
「よし、もうしゃべっていいぞ」
「絶対俺が通るべきじゃない道を通ったよな。……目は?」
「今外す」
腕輪の魔術を解いて、目に入ったのは夕暮れのバラ園だ。ここは、と尋ねようとするレオナードに秘密、と一言だけ返す。
「十分ぐらいそこの東屋で待っててくれ。すぐ戻ってくる」
「動き回らない方がいいんだな?」
「はい、これ暇つぶし」
他国言語の翻訳辞書を渡せば、文字が書いてあれば何でもいいと思っているのか、と返される。それでもぱらぱらと開いて気になるところがあったのか、大人しく東屋の椅子に座る彼を確認すると、ブラッドは未だ着せ替え人形であろう主人の元へ向かった。
パメラが話を通しておいてくれたのだろう。フィーを連れ出すのはずいぶんと簡単だった。オーフィリアとして夜会に参加するために着飾った彼女は妖精姫の名に相応しい美しさで、疲労を滲ませる姿すら儚げだ。
しかし実際は、王女としての執務に追われ、かなり疲労とストレスが溜まっていることにブラッドとパメラは気付いている。レオナードからの手紙で少しは癒されていたようだが、しばらく手紙が来ないと知ると、落ち込んでいるようだった。
だからこそブラッドとパメラは、どうにかしてフィーをレオナードに会わせてあげたかったのだ。
「フィー、俺はまだ少し仕事があるから行く。時間になったらパメラが迎えに来ることになっている」
「ありがとう。ああ、肩がものすごく凝ってる。どうせなら汚れるからって着替えでも提案してくれればいいのに」
冗談のように笑っているが、毎日マッサージをしてもらっても癒えないほど凝っていることをブラッドは知っている。血行を良くするものを用意させるか、と頭の中で考えながらもブラッドは笑みを浮かべた。
「着替えていたらあっという間に日が暮れて、そしたら夜会の準備に逆戻りだ。……と、大事なものを忘れていた」
そういって彼女が学園に居る間いつもつけている指輪を渡す。疑問を持ちながらも指輪の魔術でブラッドとまるで兄妹のような色彩になった彼女の全身を眺め、よし、とブラッドは頷く。
「この姿でこの化粧、似合う……?」
「ああ、ちょっと口紅が濃いかもな……ほら」
ハンカチで口紅を抑えてやれば、オーフィリアではなくフィーらしく彼女がそこにいた。それに満足して、ブラッドはその場を後にしてレオナードのところへ向かう。
「おおい。レオナード」
「……早い」
思ったより読み込んでいたようだが、遠慮なくしおりを挟んで本を取り上げる。恨めしげな顔をするレオナードの視線は知らぬふりだ。
「ほら、そこの道をとりあえず行け。面白いものが見られるから」
「……お前のことだから、余程変なものではないと思うが……」
「俺を信じろって」
嫌そうな顔をしながらも、レオナードは歩き出し、そして動かないブラッドを振り返って訝しげに振り返る。
「ブラッド?」
「レオナード一人で行くんだ。ほら」
「本当にお前のこと信じるからな」
「お前は後で俺に感謝するだろうよ」
笑いながら背を押せば、レオナードが渋々と言った様子で歩き出す。それを見送るとブラッドはそのままレオナードが座っていた椅子に腰かけた。
護衛もかねて座れば、微かな話し声が聞こえてくる。随分と驚いてもらえたようで何よりだ、とブラッドの口元に笑みが浮かぶ。
「ふふ、お会いできたみたいですわね」
足音を立てずに近づいてくる気配に顔を上げれば、パメラが微笑みながら歩いてくる。そのままブラッドの隣に座ると、そっとその肩にもたれかかってきた。
「時間は?」
「まだ大丈夫よ。……フィー、今日の夜会のためにかなり忙しかったから、本当に疲れていたみたいね。立ちながら居眠りしていたわ」
「珍しいな……」
普段王女としての顔を見せるときは、厳格にあるはずのフィーが気を抜いて居眠りなんて本当に珍しいことだ。
「……パメラ。フィーはレオナードのこと、どうするつもりなんだ」
「変わらずですわ。学園に居る間に恋をすることを楽しんで、卒業したらおしまいにするつもりみたい。フィー・コルケットという存在は消えて、王女は秘密裏に学園を卒業したことを公表して、あとは本格的な婚約者の選定。ブラッド様。本日マクミラン辺境伯がお越しになった理由はご存じ?」
「詳しくは」
ふ、と言葉が詰まったように止まる。パメラの名前を囁きながらブラッドが肩を抱き寄せると、少しだけ気丈に取り繕った声でパメラが口を開いた。
「海の向こうの国の情勢と、有力者の情報の報告よ」
パメラの言葉に息をのむ。つまりは、フィーの嫁ぎ先を選定するための情報収集なのだ。
「フィーはこのことを知っているわ。知っていても、何も言わない。両陛下や王太子殿下には恋に興味がないように振舞うだけ」
だんだんとパメラの声が震えてくる。ブラッドはそっと唇をパメラの髪に押し合てた。
「私、フィーに幸せになってほしいの。だから、だから、もしかしたらレオナード様なら、フィーを幸せにしてくれるんじゃないかって、最近思っていたの」
「そうだな。どこの誰かも知らないやつよりは、レオナードがいい。知らない領地、俺達の目の届かない国外に行かれるよりも、レオナードの方がいいに決まってる」
「……ふふ、まるで仕方なくレオナード様を認めているみたいな言い方ですわね」
少し落ち着いたのか、パメラがふふ、と小さく笑う。
「なあ、パメラ」
「はい」
それは、遠い昔に決めた約束事だ。
「俺達は、許される限りずっとフィーの友達でいよう。友達としてできることを、やろう」
「……はい、ブラッド様」
すう、と深呼吸をすると、パメラが音もなく立ち上がる。
「さて、もうフィーを迎えに行きますわ。……レオナード様のことはおねがいしますわね」
パメラが笑いながら一礼すると歩き出す。少し遅れてブラッドも後に続き、パメラがフィーを回収したのを見届けてからレオナードのもとに歩み寄った。
「どうだ? 面白いもの見れただろう」
にやにや笑いながら話しかけると、レオナードがはー、と長く息を吐きながらベンチに座り込んでしまう。
「おーい、レオナード?」
「………………いた……」
「は?」
小さな声に聞き返すと、思ったよりも顔を赤く染めたレオナードが口を押えながら視線を逸らした。
「…………綺麗で、驚いた………………」
絞り出すような声にぽかんとしてしまう。そして思わずブラッドは爆笑した。
「おい!」
「……っ、くは……っおまえ、お前まじかあ」
「ドレス一つであんなに変わるとは思わないだろう普通‼」
思う存分笑いながら、レオナードの手首に腕輪を付ける。辺境伯のところに案内する、と言いながら魔術式を起動すれば、視界を失いながらもようやくレオナードが立ちあがる。歩き出しながら、ブラッドはこっそりと息を吐く。
「レオナード」
「…………なんだ」
「今だけ言うが、手助けはしないが、応援はしている」
ブラッドが言っていることが、フィーとの仲のことだと気付いたのだろう。黙り込んだレオナードは特に返事をすることは無く、ブラッドはそれを気にせずにそのまま歩く。
隠し通路を抜けてゲストルームの一つに入ると魔術を解く。
「マクミラン辺境伯には俺からお前がここにいることは言っておく。まあ、もう仕事は切り上げるだろう」
「ああ、頼む」
「じゃ、次は学園でだな」
「ブラッド」
そのまま立ち去ろうとしたブラッドを、レオナードが引き留める。
「……俺は少なくとも、学生の間は何もするつもりはない。俺もあいつも、叶うならできうる限り学びたいんだ」
それがさっきのブラッドの言葉への返答だと気付いて、ブラッドは一瞬崩れかけた表情を整えて振り返る。
「ノーコメント、で。俺は助言も何もしてやらない」
結局は、フィー次第なのだ。フィーが己の恋を望まない限りは、ありえない話なのだ。だからこそおそらく学園にいる間しか時間がなくても、それをブラッドはレオナードには伝えない。
じゃあ、と今度こそ手を振り、ブラッドはゲストルームの扉を閉めた。
このまま次の章も明日あげます