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翌日、さっそく図書室に向かえば、すでにレオナードがいた。一度だけ深呼吸をする。大丈夫、取り繕うのは得意なのだ。
「レオナード様、御機嫌よう」
揺れる心を表に出さずに声をかければ、レオナードが顔を上げてフィーを見て小さく笑う。フィーもパッと明るい笑みを浮かべた。
「フィーか。パメラ嬢も、御機嫌よう」
「御機嫌ようレオナード様。昨日はお疲れ様ですわ」
「昨日は本当に助かった、ありがとう」
「いや、気にしなくていい。……パメラ嬢、殿下の様子なんだが……」
「ああ、気にしないでくださいませ。殿下が城にお戻りになったあと、王太子殿下に遊びすぎだと逆に叱られていましたわ」
よかった、とレオナードがほっと息を吐く。フィーはもう一度ありがとう、と告げるといいや、とレオナードは首を振った。
「それよりも、ちょうどよかった。この間フィーが話していた当時の精霊信仰と民衆寓話の関係性について書かれた本はどれだったかもう一度教えて欲しい」
「ああ、アレね。いい本だよね。パメラごめん、ちょっと奥に行ってくるね」
「私はここでこちらを読んでますから、お気になさらず」
微笑むパメラに見送られ、フィーはレオナードと書庫の奥へ向かう。フィーと話すレオナードの目は優しく、フィーは心なしか楽しそうで、しかし互いにそのことには気付いていない。パメラはなんとも言えないもどかしさを感じながらも手に取った物語を読み始めた。
「そう言えばレオナード様。この間古い御伽話を集めた古文の文献に面白い記載があったよ」
「どんなのだ?」
レオナードが探していた本を探しながらフィーは思い出したように口を開く。
「民話を集めたものなんだけど、精霊の祝福って言葉が繰り返されて、その祝福の内容が現代魔術と一部似通ってて」
魔術と魔法の違いについて、誰もが幼い頃、母や乳母から御伽話として聞かされる。
魔術とは誰もが持つ魔力と世界に満ちている魔力を結びつける為の工程を経て、計算式のように呼び起こすもの。
そして魔法は工程も何も、己の持つ魔力すら関係のない、世界からの奇跡という名の祝福。かつては存在していた妖精や精霊、そして「魔法使い」と呼ばれる世界との結びつきの強い人のみが起こせるものなのだ。
「言い回しが御伽噺らしいけど、ずいぶんと現代魔術の術式に似ていてね。絶対レオナード様が好きそうだと思ったから今度持ってくる」
フィーの言葉に確かに興味を惹かれたのだろう。頼む、とレオナードが頷く。それで昨日の件はチャラね、なんていえば仕方なさそうにレオナードが笑って、フィーはよく笑ってくれるようになったなあ、なんて胸の痛みを必死に振り払う。
「魔法使いのお姫様が花の色を音楽で変えたとか、妖精が恵の雨を降らせたとか、そんな感じ」
「またなんというか、御伽話らしいと言うか、言い伝えらしいというか……そういえば、王族にも代々伝わる魔法があるそうだ」
突然降ってきた自分に近い話題にフィーは少しばかり目を丸くする。秘密の噂話とは、すなわち誰もが知るもの。ただし残念なことに噂の当事者に届くには些か時間がかかる。フィーは少しだけわくわくした気持ちで促した。
「へえ、王族に? どんなの?」
「いや、さすがに内容は。ただ初代の王妃は妖精の愛し子と言われてるだろう? 王妃に贈られた妖精の祝福が、代々王族を守る魔法だとかなんとか」
おお。思ったよりもしっかりした噂だった。そして噂らしい噂だ。へえ、と頷きながらもどこから流れたのか一応調べないとなあ、と心に留めておく。
「素敵な話だね。あー、詳しい内容が気になる」
「俺も。是非とも魔法の実演をしてほしい。みたい」
どこかに記述がないかな、なんて笑って。
それは、ちょっとした思い付きだった。心の中で数字を数える。いち、に、さん。深呼吸をひっそりとして、フィーは口を開いた。
「確かルーファス王太子殿下の第一王女殿下って私達と同い年だよね? レオナード様、一応身分的にはいけるんだし、お友達になったら? 珍しい資料手に入るかもよ」
声が震えていないか、少しだけ不安だった。不自然じゃないはずだ、と少しだけ緊張したフィーに気付かず、レオナードは嫌そうに顔を歪める。
「お前、研究の為に友人と王族をくっ付けようとするか普通……」
不敬だ不敬、なんて言うレオナードに笑ってしまう。
「でもさ、本当に身分的にはいけるじゃん。レオナード様婚約者もいないし、候補に入ってるんじゃない?」
「ああ、どうだろうな……まあ来ても断るだろうな。研究よりも惹かれる理由でもない限り、お姫様を迎えるのはな」
やっぱり。フィーは自分の判断が間違っていなかったと安堵する。そうだ。彼はこういう人だ。こういうところが気が合って、気になって、きっとそういうところに恋をしたんだろう。
「お姫様より研究取る方もなかなかに不敬じゃない?」
「ここだけの話だここだけの話。それよりお前はどうなんだ。コルケットの隠された御令嬢、もしくはご子息?」
突然返された話に、全く付いていけない。隠されたご令嬢? それは確かにそう言われているらしいが、ご子息についてはよくわからない。
「え、なにそれどこから出たの」
「一度も社交界に出たことがなく、学園にしか現れない。ブラッドとの仲は良好、身体が弱い様子もない。ブラッドの婚約者とも親密。あまりにも謎すぎてフィー、お前男説も出てるぞ。ブラッドの双子の弟。跡目争いに巻き込まれないように養子に出されたとか」
「何もかもがついていけないんだけど……! 私どう見ても女だよね」
「戦闘魔法でブラッドとまともにやり合ってるからなあ」
「ええ……そんな理由で……っていうかあれは基礎だったから、ブラッドが本気出したら無理に決まってるじゃん! だったらカークランド近衛団長ご令嬢なんか、もう男の中の男になってしまうよ」
全く知らなかった。フィーは思いっきり呆れてしまう。確かに妙な噂を避ける為に社交界で踊るのは兄と父や既婚の公爵達ばかり。近い年齢の貴族の子供を集めた茶会なんて、幼い時以来開いていない。そうなると、近くでオーフィリアを見る機会なんてあまり無いのだろう。いや、でもだからといってここまでバレないのか。まあ元の色がだいぶ特殊だけども。バレないあまりになんとも不思議なうわさが流れたものだ。
「ちょっと待って。まさかレオナード様まで私のこと男だと思ってないよな?」
「可能性はなきにしもあらず、ってあたりかな」
「ちょっと!」
どう見ても女でしょう、と思わず腰が浮くが、ぽん、と頭にレオナードの手が置かれる。
「冗談だ。どう見たってフィーは女の子だよ」
思わず息が詰まる。
不意打ちだ。ずるい。顔に熱が集まる。そんなフィーの様子に、珍しくレオナードがおかしそうに声を上げて笑った。
「こんなんで顔を赤くするんだから、そりゃ女の子だろう」
ずるい、ずるい。本当にずるい。
「か、からかわないで、もう」
椅子を引いてレオナードの手から逃れる。頬に手を当て、必死に熱を逃すのを、レオナードが楽しそうに見ていた。
ああ、もう。
期間限定の恋のくせに、生意気だ。
「さっき話してた御伽話の文献、貸してあげないからな」
「大変申し訳ありませんでした、フィー・コルケット嬢!」
つい大きくなった声に、お静かに、と司書からのお叱りが飛んだ。
ああ。他愛もない会話が楽しい。細やかな触れ合いでどうしようもなく照れてしまう。
自覚をしてしまったら、もうずっと恋を意識してしまう。
「ああ、たぶんこれだよ、レオナード様が探していた本」
そうして見つけた本を開いて、現れた魔術式に意識を集中させる。もしこれで研究を愛する心まで浸食されていたら事だが、こちらはもう本当に幼い頃からの筋金入りだ。あっという間に魔術式とそこに書かれた文章についての議論が始まる。
そうして恋を自覚して、その期間を決めて。あっという間に秋が終わり、冬が過ぎて。
学園二年目、そして最後の一年がきた。
4章は短めでここまでです。