4-2
「……呼び出しは?」
フィーの小さな声に、レオナードはすぐに首を横に振る。
「ない」
はあ、とようやくフィーは肩の力を抜く。
「びっくりした……」
「……俺も」
「え?」
想像と違った返事にフィーがレオナードを見ると、彼はああああ、と呻きながらしゃがみ込んだ。
「大丈夫か? 王族に楯突いたからって罰とかないよな? 父上にバレたらどうなることか……っ」
「レ、レオナード様、大丈夫だって! あとでパメラやブラッドにフォローお願いしよう」
「不敬過ぎたか……?」
「ギリギリセーフだと思うよ、たぶん」
そんなことを言いながら、フィーはレオナードと視線を合わせるように膝をついた。
「……どうして助けてくれたの」
アーノルドの言う通りなのだ。他の人ならば、おそらく王族と交流を持つ機会だと喜んでついて行くだろう。だからこそ、助けてもらったとはいえレオナードが間に入ってくれた理由が、フィーには全く分からない。
返事は思ったよりも簡単だった。
「明らかに苦手そうな雰囲気出していただろう、お前」
レオナードのサンダーソニアのような瞳が、まっすぐフィーを見つめた。
ああ、胸が痛い。
なんで。なんで。なんで気付いたんだ。そう言いたいのに、うまく言葉が出ない。
どくん、どくん。
顔に熱が集まるようだ。
「ありがとう、本当に助かった」
動揺を綺麗に隠し、フィーは笑う。
「気にするな」
レオナードもまた不器用な笑みを浮かべる。
ああ。メイドも護衛も、置いてきてしまった。
司書がいるけど、いいかな。
胸が痛い。心臓が苦しい。
図書室でなにをしようか。時間、つぶさなきゃ。
わかっている。理解している。でも、でも。
思考が散らかって、それでもだんだんとそれは目をそらせないほど大きくなっていく。
フィーは王国きっての才女で、親友と親戚は相思相愛で、両親も祖父母も恋愛結婚で。
「ブラット達が戻るまで本でも読んでいよう、フィー」
ああ、本当に。
フィー・コルケット。どうするの?
おそらく司書が連絡をしてくれたのだろう。一時間ほどしてメイドと共にブラッドとパメラが図書室まで迎えに来てくれ、そのままそこでレオナードと別れる。そうして城にフィーが戻るころには、アーノルドもとっくに戻ってきたようで、着替え終わったばかりのフィーの私室にアーノルドが前触れもなく訪れる。パメラを残してメイドも全て下がらせると、フィーは眉を吊り上げた。
「お兄様、どういうつもりだ」
「不自然ではなかっただろう?」
不自然とかそういう問題じゃない。絶対にわざとだ。ああ、いつもよりずいぶんと疲れがたまっている。まあ、落ち着いてくださいませ、とパメラがフィーの背中にそっと触れたところで。
「フィー」
ぴん、と空気が張り詰める。自然とフィーの背筋が伸び、パメラは膝を折る。
「レオナード・マクミランを婚約者にしたいと考えているなら、俺からも言葉を添えようか?」
傲慢で、それでも妹を思いやる、将来国を継ぐ者としての言葉だ。現国王、そして王太子、その次の世代に王位を頂くであろうアーノルドが、この国の末の王女であるオーフィリアの婚約者として、かの人物それに値すると認めたのだ。
「遠慮する」
フィーもまた、王女として。困ったように。それでいて優美に、傲慢に、王女らしく微笑んで見せる。
「学園に通っているのはフィー・コルケットであって、わたくしではない。わたくしが、彼と親しくすることはない。わたくしはそれを望まない」
そう、確かに。はっきりとフィーは言い切った。
「わたくしの婚約者に、レオナード・マクミランを内定するつもりはない」
ぴりり、と張り詰めそうな空気の中、フィーとアーノルドが睨み合ったのは一瞬だった。
「そうか。……なら、いい」
ふと空気が緩む。いつの間にか少し力が入っていた肩をそっと下し、フィーはでは課題があるから、と兄の退出を促す。アーノルドは笑いながらまた夕食で、と手を振って部屋を後にした。
ぱたん、と部屋のドアが閉まる音が響いて。ようやくパメラが下げていた頭を持ち上げて、フィーを振り返って。
「パメラ、どうしよう」
そこに立っていたのは、まるで迷子の幼い子供のようなフィーだった。
「……フィー?」
震える声に、パメラはそっとフィーに駆け寄る。どこが呆然としていて、美しいライラックの瞳がゆらゆらと揺れている。
目を逸らしていた。わかっていた、でも、でも。それでも。
フィーは王国きっての才女で、親友と親戚は相思相愛で、両親も兄も恋愛結婚で。
目を逸らしたとしても、ここまできて「わからない」と言える可愛さは、持ち合わせていないのだ。
「……わたくし、本当に恋してしまったようだ」
ああ。わたくしは。レオナード様に、恋をしている。
パメラは呆然としているフィーをそっとソファーに座らせると、一緒にその隣に座り、フィーの両手を取って握りしめる。
「ねえ、フィー。レオナード・マクミラン様に嫁ぎたいのですか?」
パメラの言葉にフィーはゆっくりと瞬きをする。そして少し困ったように笑った。
「……確かに、わたくしはレオナード様に恋をしている。もうずっと気付いていたけど、確かにこれが恋なんだと、認識してしまった」
それはフィーではなく、この国の王女としての言葉だった。
「それならば、なぜアーノルド殿下の提案をお断りに? あくまで候補として、これから王女殿下として親しくなってもよろしいのではないですか」
正式に婚約を結ぶわけではない。ただ、候補として入れるだけだ。それでも、フィーはゆっくりと首を振った。
「わたくしが一言でも彼を好ましいと伝えたら、きっとあっという間に彼はわたくしの婚約者になる。そうなれば王族を迎える為に、研究することはままならないでしょう。……彼は将来的に辺境伯を継ぐことが決まっている。だから学園にいる間に、好きなだけ学問に励み、確かな功績を残したいとわたくしに言ったの。学園と言う最後の自由を、楽しみたいって」
「……オーフィリア殿下」
パメラが心配げにフィーを呼ぶ。一度だけ目を閉じて、そして目を開くとフィーは輝かんばかりの笑みを見せた。それは尊き貴人だと、思わず傅きたくなるような笑みだ。
「パメラ、わたくしはね。こんなふうに彼とお話しできるだけで嬉しくなって、目が合うだけで照れ臭くて、すれ違うだけで舞い上がるような気持ちは初めてで、本当に嬉しく思ってるんだ」
わたくしは幸せだ、と笑いながら彼女は立ち上がった。
「さあ、この後のわたくし予定はなんだったけ。覚えているかい?」
「……ええ、もちろんよ、フィー」
この話はおしまい、とばかりにフィーが笑う。そうなってしまえば、パメラはそれに合わせるしかない。
――これは、フィー・コルケットの恋であって、オーフィリア王女の恋じゃない。
何度も、何度も。心の中で言い聞かせる。
話しをできるだけで嬉しくなって、目が合うだけで照れ臭くて、すれ違うだけで舞い上がるような。
そんな恋は、最後の自由にだけ許された、期間限定のものなのだと。