4-1 兄の視察と自覚
4章は少し短めです。
人々が廊下の端によけ、深く頭を下げる。その間を通り抜けるのは、フィーの一番上の兄であるアーノルドだ。もうとっくに学園を卒業したはずの彼が、ここにいる理由は視察のためである。視察と言っても、案内するのは教師陣であり、生徒達と直接アーノルドが言葉を交わすことはない、はずだ。この学園の卒業生であるアーノルドはもちろん勝手をよく知っていて、現状を見て回るのと、生徒の様子を実際に確認することが一応は表向きの目的らしい。
遠目にアーノルドの姿を確認し、フィーは二週間ほど前城で交わしたアーノルドとの会話を思い出し、とてつもなく長い溜息をついた。
アーノルドが学園に来る二週間前のことだ。その日は学園が休みで、フィーはオーフィリア王女へ与えられていた執務をこなしていた。そろそろ一息つこうか、なんて時に
フィーの一番上の兄であり、王太子長男、アーノルドがふらりとフィーの執務室に現れた。
「フィーの通っている学園に、再来週視察に行く」
「はあ⁉」
あまりにも唐突に言われた言葉に、その時のフィーは理解するのにかなり時間がかかった。
「もう決定事項だ」
「そういうのは決定してからじゃなくて企画段階でわたくしに通すものだろう‼」
「そうしたら屁理屈をごねて却下するだろう」
「するに決まっている! ああもう、絶対に話しかけないで、お願いだから絶対に話しかけないでくれ。わたくしには兄なんていない」
「いきなり話しかけたりはしないさ」
「いきなりじゃなくても話しかけないで!」
そんな話を、したはずだった。なにがなんでも話しかけないでほしいが、兄への信用は著しく低い。
「なんで、なんで今? こっちはレポートでぴりぴりしているっていうのに、本当になんで今なんだ」
周りに聞こえない程度の小声で文句を言うフィーに、パメラとブラッドは苦笑するしかない。まあ、そう簡単にすれ違わないだろう、なんて慰められるが、それはすぐに裏切られる。カツン、カツン、と近づく足音に、フィーは唇が明らかに引きつるのを感じた。
「やあブラッド、パメラ嬢。探したよ」
最近下町ではやっている物語に出てきていた悪口を知っている限り頭に浮かべながら、フィーはそっと頭を下げ、けして口を利かない、という強い決意を持つ。
「殿下、ごきげんよう。視察にいらしているとは伺っていましたが、ご挨拶が遅れてしまいもうしわけありません」
面識のあるブラッドが答える声を聞きながら、なるべく早く会話を切り上げてくれと届くかわからない念を送る。
「気にするな。ブラッドはつい一昨日会ったばかりじゃないか。パメラ嬢は一週間前にオーフィリアとお茶をしているときに会ったきりだろうか」
「そうでございましょう。殿下に置かれましてはご機嫌が麗しいようで何よりでございます」
「頭を上げていい。君達は一年目だったね。学園生活はどうだい」
残念なことに、どうやら長く会話を続けるらしい。フィーは頭を下げたまま動かない。ブラッドとパメラがどうにかして会話を切り上げようと不自然じゃない程度に努力しているものの、のらりくらりとアーノルドは躱してしまう。このやろう、とフィーは歯を噛み締める。そろそろ悪口のバリエーションが尽きてきた。
「ああ、立ち話には話が長くなってしまうな。ブラッド、パメラ嬢。お茶に付き合ってくれるかい?」
「……喜んで御伴させて頂きます」
そう答えるしか無いだろう。羨望の眼差しを受けるブラットとパメラだが、それよりも微かに後ろから聞こえた舌打ちが刺さる。
ブラッドとパメラを生贄にして去ろうと決意をしたフィーがカーテシーをして、顔を上げて。そして、実に楽しげな自分と同じ色の瞳がフィーを見つめていることに気付いた。
「おや、そちらのレディは見かけない顔だな」
その声は、親しい者が聞けば、充分に笑いを含んでいることに気付くだろう。しかし一番親しいはずのフィーにとっては、悪魔の宣告のようだった。ブラッドもまた引きつった笑みを浮かべる。
「……私の親戚でして、学園に通う間、本家にて預かっている者です」
「お初にお目にかかります、殿下」
ありとあらゆる悪口を脳裏に並べ立てながら頭を下げる。
「ああ、親戚なのか。そうか、それなら彼女も一緒にお茶はどうだい」
ああ、じゃない。このクソ兄さま!
いえ、私は、と言いよどむも、うまい言い訳が思いつかない。罵倒はいくらでも思いつくのに。
これ以上目立つのは本当にごめんだ、と思わずアーノルドを睨み付けかけたところで。
「御歓談中失礼いたします。彼女は先程教師に呼ばれていまして、御前を失礼してもよろしいでしょうか」
突然響いたのは、最近ではもうずっと聞きなれた声だ。頭を下げているフィーの横に並び立った気配に、思わず動揺を隠せない。
レオナード様。
声に出すことなく呟いた言葉が音になったとしたら、きっと安堵に満ちて掠れていたのだろう。
しかしフィーは、一瞬獲物を見つけたかのようにぎらりと光った兄の瞳に気付いた。おや、と少し威圧的な空気を出して、アーノルドが首を傾げる。
「君はマクミランの息子だね。君は彼女の婚約者かい?」
「……いえ。親しい友人の一人です」
「そうか。……ならば、聞こう。君は友人が王族との繋がりを持つ機会を、奪おうというのかい?」
アーノルドが王族らしくどこか傲慢に笑う。フィーはどうにかしてレオナードを下がらせようと前に出ようとして、しかしそれよりも早くレオナードが答える。
「我々は学生です。一秒でも長く貪欲に学びたいと思うのはおかしなことでしょうか?」
「社交より勉学を取ると?」
「確かに社交や繋がりを重視する者もいますが、少なくとも彼女は何よりも勉学を重視する人だと、友人として私は理解しています」
きっぱりと言い切ったレオナードに、すうっと目を細めたアーノルドが淡い笑みを浮かべる。そして先ほどまでの空気を一瞬で消し去ると、楽しそうに声を上げて笑った。
「そうか、それならば仕方ない。二年しかない学生なのだ。学ぶ機会を奪うのは居たたまれない」
そういうとアーノルドは余所行きの微笑みを浮かべ、ぱちんとウィンクを一つ決めた。
「レディ、君と話すのはまたの機会を楽しみにしよう。ああ、君もだ。レオナード・マクミラン」
「お名前を覚えて頂けて光栄です。またの機会に、是非。それでは失礼いたします」
そういうとレオナードはフィーの腕を掴んで歩き出す。連れられるまま歩き続けて、辿り着いたのは図書室だった。
切りどころがわかりませんでした