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ブラッドもパメラもいない。即座に用意できたのはメイドとレオナードの護衛のみ。それもそうだろう。他の貴族子息令嬢も少ない供を連れて、いわゆるお忍びで町に降りることはよくあることだ。しかもここは王都。それぞれの領地から出てきた子供にとって、にぎやかで栄えた町の探索は、とても楽しいものに違いない。
しかし。しかし、だ。それはあくまで、ごく普通の貴族の子供だったら、の話だ。
もしこれが王太子ならば、将来的に王位に就く可能性のある子供ならば。民衆の暮らしを知るべく、一年に一度は城下に降りることが好ましいだろう。
けれどもフィーは、将来王家から出されることになる王女だった。けれども、その命は国のために使われるべき娘だった。視察についていったことはあれど、フィーは自由に王都を歩いたことが、一度もないのだ。
だがしかし、フィーは避暑で訪れた辺境伯領地にて、町歩きを覚えた。覚えてしまったので、今ならいける、と思ったのだろう。
「ねえ、レオナード様。あれ、マクミランの領地では見かけなかったよな。なんだろう」
学園の制服のまま抜け出して、初めて見る景色にフィーは目を輝かせた。学園を徒歩で出たのすら初めてだという。そこから相乗り馬車を見てひどく驚き、思ったよりも揺れると笑い、相席することになった王都に住むという親子と楽しくしゃべり。そうして学園を出て三十分もすれば、王都の中心街にたどり着いていた。メイドに言ってきちんとお金も用意して、準備万端である。
「あれは靴磨きだ。靴を磨きながら疲労回復などの魔術式を少しだけ付与しているんだ。平民の子供のお小遣い稼ぎだが、ああやって魔術の付与について実践で学んでいるんだ」
「私の靴でもできるかな?」
「淑女が足を差し出そうとするな」
きょろきょろとあたりを見渡すフィーに、レオナードがどうした? と声をかける。
「私、王都をこうして歩くのは初めてなんだけど、結構マクミランの領地と違うなあって。出店みたいのがあまりないね」
「防犯面もあるだろう。それにうちよりもずっと商人の数が多い。それを全て把握するのに出店の管理は難しいだろうな」
「へえ……あ、あれってもしかして本屋? レオナード様、本屋!」
「お前は子供か?」
フィーが駆け足で本屋の中に入っていく。気持ちはわかるが、ここまで興奮するとは思っていなかった、とレオナードは思わず力が抜けた笑みを浮かべる。
「結構お手頃な値段なんだね。……ああ、これは知ってる。情報誌だよね、初めて見た」
「ああ。貴族の不正の噂やありもしないことを書き記しているっていう……」
「でもまれに本当のことも混ざってるそうだよ。噂だとしても知る必要があるってすごく苦しい顔をしながら読む人がいてね」
この国の宰相の元で働いている文官を思い出す。一つ一つありえない、これは確実に嘘だ、と切り捨てながらも出るたびに苦痛な顔で読む姿はなかなかに味があるのだ。
「あ、この物語、懐かしい」
そう言って手に取ったのは、この国に昔から伝わる御伽話だ。初代国王と妖精の娘の恋物語と冒険譚からなるそれは、この国の子供なら誰もが一度は耳にしたことのある寝物語。
「これ、出版社によって文面が少し違うんだよね」
「そうなのか?」
「えーと、例えばこの台詞。レオナードが見たやつと同じかな」
「……あー…………違うかもしれない。ここで確か一度引き止めてた気がする」
「あんまりもだもだすると、子供が話の終わりにたどり着く前に寝てしまって話を忘れるから、すっきりさせようって言うのがこの本」
「この国の伝説をすっきりさせようって、いいのか?」
「まあ、許されたからここに並んでるんだろう」
そんなことを話して、結局馴染みのない民衆向けの本を二冊だけ手に取る。そしてフィーは満面の笑みで店主を振り返った。
「私が支払うよ!」
「フィー、お前実はただお金が払いたくて本を買っただろう」
レオナードのツッコミは綺麗に聞こえないふりをされた。