0-1 プロローグ
長編を連載させていただきます。連載が初めてのため、とてつもなく緊張しています。
それはいつも通りのお茶の時間の出来事だ。プラチナブロンドの髪を耳に掛けながらフィーは一口紅茶を飲むと、音を立てずにカップをソーサーへ戻して微笑む。ゆらりと淡いライラックの瞳が楽しげに光った。
「わたくしはフィー・コルケットとして学園に入学するから。コルケット侯の後ろ盾を持ったただのぽっと出の田舎令嬢だ。そのつもりで学園では振舞うから、二人ともよろしく頼む」
これを言い出したのが、ただの令嬢なら問題が無いだろう。諸事情により身分を一時的に隠したりするのは、案外よくあることなのだ。だがしかし、今回は些か問題があった。大ありだった。
フィーの微笑みに一緒にお茶の席についていたブラッドとパメラが良家の子息令嬢と思えない表情をする。それもこれも、仕方のないことなのだろう。
うっとりと見惚れるような笑みで言い放ったのは、この国の王族の末姫なのだから。
フィーはお姫様である。正確にはオーフィリア・O・ホワイトヒル・イルターナと長ったらしい名前の、このイルターナ王国の王太子の長女である。プラチナブロンドに甘く揺らめくライラックの瞳を持つ彼女を、人は花の妖精姫と呼び、敬い愛した。一応王位継承権を持っているが、国王である祖父も健在、次期国王である父も、第二王位継承者である父の妹も、第三のフィーの兄も、第四のフィーのもう一人の兄もいるのだから、五番目なんてそうそうお役は回ってこない。
だからと言ってフィーが甘やかされて育てられたかと言えば、まったくもってそんなことはない。他の王族達と同じく、ごく普通の貴族令嬢が学ぶような内容とはまったく異なることをしっかりと学び、国王に認められるまでは一度も離宮の外に出たことがなく、限られた人員により厳しく育てられてきた。
と、言うのにも訳がある。もちろん王族の王女としての責務もあるが、フィーは他の貴族の娘達よりも早く、自分がどのような存在なのかを理解する必要があった。
この世界には自然や人間、宝石などに宿された魔力を扱い、物事を変化させる「魔術」と言うものがある。望む結果を得られるように言葉を並べ、そこに魔力を通して人は魔術式を展開させ、魔術を使用する。人々は魔術を生活に取り入れ、共に進化して生きてきた。
フィーも幼い頃から魔術を学んできた。王族として身を守るための魔術に、この国の歴史、礼儀、作法。それが全て一定の水準を得たと国王に認められるまで、フィーは離宮から出ることを許されなかったのだ。
広いようで狭い離宮で、フィーは限られた生活を送っていた。できることは本当に限られていて、その中で許されたものの一つが、読書だった。
離宮の地下には国の重要な書物を収める保管書庫があり、フィーが齢三つになるころには時間が空けばそこに入り浸る生活を送っていた。最初は絵本から始まり、文字が読めるようになれば子供向けの小説、そこから知らない言葉を調べるべく辞書を読み出し、さらに詳しいことを知りたいと歴史的資料に手を出し、古代文字で書かれたものが読みたいと古代語の辞書を一週間かけて読み漁り。
「……この子、少し学者気質なのかしら」
戸惑いながらもおっとりとそう呟いたのはフィーの母である王太子妃だ。しかし学ぶことは良いことである。幼い子供が読むには些か不釣り合いかも知れぬが、本人はとてもとても楽しそうに読み解き、離宮を訪れる両親や兄、祖父母にそれはもう嬉しそうに報告するのだ。
本は、すごい。フィーは狭い狭い離宮の中しか見たことがない。しかし、本の向こうには素晴らしい世界が広がっている。それは現実にある物でもあって、無いものでもあって、空想だけで作られたものでもあれば、真実だと人々が信じていたものだったりもする。
そうして、いくつものいくつもの、ありとあらゆる本を読み漁って。
「ねえ、おにいさま。こちらのほんに、わるいまほうつかいがでてきたんだ」
それはフィーが五つになる少し前のことだった。魔術を込めればきらりと光り輝く絵本は、国王である祖父からの贈り物だった。そしてその本には、魔法使いが出てきた。
魔法と魔術は、全くもって違うものだ。魔法とは魔力も何も使わず、妖精がもたらす奇跡の現象のことだ。魔法とはすなわち奇跡、奇跡とはすなわち妖精の神秘。そのぐらいの伝承しか残っておらず、今ではそれは御伽噺、遠い昔の物語だ。遡ればイルターナ王族にも妖精の血が流れていると言われているが、それも母が子へ語り聞かせる寝物語の一つとなっている。
絵本に出てきた魔法使いは、魔法を使い人々を困らせる、悪い魔法使いだった。魔術師の女の子と妖精の男の子が協力して悪い魔法使いを懲らしめるお話だった。
フィーの一番上の兄、アーノルドはフィーと一緒に絵本を覗き込む。
「本当だ。そうだね、雨を降らせなかったり、池を消してしまったり。彼は悪い魔法使いだ」
「……おにいさま。まほうは、わるいものなの?」
どこか困ったような、戸惑うような。古い書物を漁っては魔法の文献を探し、目を輝かせて読み込む、そんなフィーが少し悲しそうに絵本を指さす。
今まで読んできた話の魔法は、素敵なものだった。枯れ果てた大地に花を芽吹かせ、恵の慈雨を呼び込み、大空を蝶と共に飛び交う。そんな魔法ばかり描かれていた物語とは違い、これは人々の心を惑わせ、困らせ、いつかは国を滅ぼすかもしれないものだった。
アーノルドは真っすぐにフィーの目を覗き込むと、小さく微笑んだ。
「魔法は悪くない。悪いのはいつだって人間なんだ」
それは、フィーの心を刺すような言葉だった。
「わるいのは、にんげん」
「そう。だから、悪い人間にならないように、魔法をわるものにしてしまわないように、お前は学んでいくんだ」
王族特有の淡いライラックの瞳がきらきらと揺らめく。その甘い揺らめきに真剣な色を乗せて、フィーはわかった、と神妙に頷いた。
フィーが離宮の外の世界へ初めて出たのは、五歳のころだ。そのころにはもう個としての人格が出来上がり、王族らしく優雅に、美しく、穏やかに。そんな猫を被るのがうまい、強かな女の子になっていた。
何度目かのお茶会でフィーは、のちにかけがえのない友人であり側近になる少年と会話を交わして、友人になって。初めてできた友人のために、フィーはその時、「わるいこと」をした。それがきっかけでもう一人のかけがえのない友人を得たのだが、その出来事は今もなお、フィーが王族として持つべき自覚、その戒めとして鮮明に覚えている。
その時から二人の友人……ブラッドとパメラはフィーが王族である限りの側近として傍にい続けることを誓い、確かな友情を結んだのだ。