形代
正体を掴まれた自分はおろか、先代のリエージェの背景までをも暴露せざるを得なくなったと困惑したレオノールだったが、結果的に彼の悩みを解決する切っ掛けを得ると言う、思いがけない展開が待っていた。如何なる完結が訪れるのか?!
「先代の娘さん?!亡くなった?!」
「娘では無くなったと言うことだよ」
曖昧なもの言いで時を稼ごうとする僕を、見透かされているような気がする。
ブルゥこと、シェネリンデの事実上の覇者カーライツ伯爵の御曹司、アレン・フランシス・カーライツだった彼が、大学の後輩でも有ったことで、担当教授だった師を介して、僕の背景ほぼ総てを掴まれる事と成ってしまった。
甘ったれの駄々っ子の様なこの男を、「黒の公爵」と言う異名をとるラルフが、これ程入れ込む理由が理解できた気がしていた。
ラルフに暫く預けると言われて、彼が連れていたかつての愛人達とは比べものに成らないほどの幼さが酷く違和感を抱かせた。
確かに、稀に見る美貌を備えた少年では有った。
僕の生業から、美しいというレベルが通常の人々のものとは懸け離れていることを差し引いてもあり得無い。
殊更目を惹くのはその蒼い瞳だった。ブルーインブルーブルーエストブルー。ラピスラズリとも、海の雫とも……違うな、極上のサファイアの稀少な一石。
その上、蒼いその宝石が放つ輝きは暖かさを感じさせるのだった。サファイアは付与の石だというそのままのような。
蒼く深い瞳の色は、黄金の糸を束ねたような豪奢なブロンドと見事なコントラストを醸し出していた。その造形の見事さに納得もしよう処だが。
類い稀な見た目はともかく、ラルフの趣味も変わったなと、苦笑したのを憶えていた。
だが、この表向きの甘さ、幼さは、その奥の獣を包み隠していた繭のようだった。天啓の如くの理由のない直感が、本質を見抜く辺りが背筋を寒くさせる。
ブランシュの正体を明かせと言われれば、誤魔化すことは叶わないだろう。如何にして少ない犠牲に留められるかと、アパルトマンへの道すがら其ればかりを考えていた。
先を歩いていたブルゥが、足を止めて向かい側を凝視したまま、動かなくなってしまった。
「ブルゥ?!」
彼は僕の問いかけにも聞こえないかのように、フラフラとした足取りのまま通りの反対側へ向かおうとする。その覚束無い様子を看過できなくて後を追った。
何かにショックを受けて、遮二無二後を追うブルゥの視線を辿ると、学生らしい黒髪の男に突き当たった。僕には全く面識が無い。ブルゥよりは幾つか上のようだが……その男が手を挙げてタクシーを止めた。
「ブランシュ……」
車を止めた男に促されて、通りの角から現れたブランシュが止められたタクシーに乗り込んだ。ブルゥは、ブランシュの……オルデンブルク公の関係者を見知っていて追っていたのだ。
走って後を追おうとするが、通りの向こうだ間に合うはずが無い。通りかかったタクシーを止めると、彼を押し込め、運転手に前を行くタクシーを追うように告げた。
「彼女でも追っかけんのかい?!」
軽口を叩きながら運転手は追跡を開始した。
「ああ、そんなところだ」
何事も無いようにそう返した僕を、食い入るように前を見ていたブルゥが振り返った。
車は市街を外れて郊外へ出て行く。
小さな町を通り過ぎ、森の中に設けられた門を潜った。車寄せに入る手前で客を降ろして戻るタクシーとすれ違った。
降りたところは療養所を思わせる建物の前だった。この事実に愕然としたのは僕だけだったろう。ブランシュがリエージェのアパルトマンの近くから向かう所と言えば他には無い。
リエージェが…僕に跡を託して旅に出ているはずのライオネルの他には無いはずだったからだった。
「僕に跡を譲るって……何で?!まだ早いでしょう?!第1僕はまだ大方の借財を抱えているんですよ?!」
「リエージェを引き受けてくれるなら、私が肩代わりしよう」
「リエージェ!!」
「引退して少し人生を楽しみたく成ったんだ」
「時代の趨勢だ。事業は縮小に向けて構わないよ。お前ももう正道に戻って良い。心ならずも私に関わる事を余儀なくされてきた。もう、自由になって良いんだ」
「切っ掛けはそうでも、貴方のせいではないし、僕は望んでいない」
「判っているよ。そんな意味では無い」
僕がずっと彼を疑って居たのを知られたのだと思っていた。運命の伴侶と呼びながら、彼は心の奥底にブランシュを置いている。
僕1人のものに成ってくれない……嫉妬に塗れているのを知られての移譲だと。
のろのろと、先に走り込んで行ったブルゥ達を追って中へ向かう。やはり、通常の医療施設とは違う様相が広がっていた。入り口には医局を思わせる様な施設が有ったが、通常の病院の様に医師や看護士と行き交う確率が余りにも低い。
何処か修道院の雰囲気を想起させた。
中庭を囲む様に病室と思われる部屋の入り口が回廊の脇に続いて居た。花々が咲き乱れ木々が影を落とす様子は静寂しか醸し出さない。
その角の1つにブルゥが追っていた男が立っていて、少し間を置いて彼自身が居た。近づくと2人が一様に此方へ顔を上げた。
だが、どちらも何も言う事は無い。
廊下を少し置いて病室の入り口が有った。黒髪の男はそこまで付き添ってきたブランシュを待っているのだろう。だが、僕が近づくと、すぃ…とその場を離れた。
しん……と、静まり返った廊下に微かな人声がする。
「……て下さらなければ!私はまた関わった人を亡くしてしまったと思わねばならない!!お願いだ、父様!治療を!!」
「ブランシュ……そうだった。君に死んでは駄目だと言ったのは私だったね」
「……では!」
「叶う限りの治療を受けよう。だが、もう遅いのかも知れない。もし、私が死んでも自分のせいだなどと思わずに居て下さらねば、嫌だな」
「感謝します」
「ブランシュ、約束は?!」
「約束します」
「欲が深すぎるのかも知れないね」
呟くように言うライオネルの声は慈愛に満ちていた。
「立派に成った君がこうして見舞って下さるのに、この上とは」
「貴方が私をこの世に留めて居るんだ!出した手を引くと言うなら共に連れて下さらなければ!」
「判った。ブランシュ、判ったよ」
嗚咽を堪えているブランシュの髪を撫でている、ライオネルの穏やかな微笑に真実を疑った自分を恥じた。
もう何も明かすことは残っていない。ブルゥを振り返ると、涙を浮かべた瞳とぶつかった。はっと見開いた眼差しを残して、声を掛ける間もなく飛び出して行ってしまった。
「さぁ、ちゃんと約束したんだ、君も私との約束を違えずに居ておくれ」
「……会えて、少し安心した。医師に話を聞いて帰ります。良いでしょう?!必ずまた来ます」
「待っているよ」
病室を出て医局へ向かうブランシュを、物陰に隠れてやり過ごすと、開いたままのドアを軽くノックした。
入室を許す応えを得て部屋に入ると、ライオネルの驚いた顔が迎えた。
やはり面やつれて見える。
「……レオノール……どうして此処へ?!私は隠れるのが下手だと見える」
微笑みと共に言われて、胸が詰まる。
「そうだね……ブランシュを付けてきたんだ」
「そうか……」
「どうして僕には嘘までつくの?!」
涙がせり上がってきて声が震える。
ライオネルが言葉を探しているのがもどかしい。
「自分の気持ちがどう言うものだか説明できないんだ。私の深部に訴えてくるのは同じだというのに、お前には手を掛けて、あの子には考えもしなかった。」
「あの子が余りにも幼かったせいかとも思うのだが……ブランシュにも同じように問われて、同じ様にしか答えられなかった」
「お前に先に出逢った事実が無ければ判らないと……その迷いがどちらからも距離を置くという消極的な手段をとらせたのだ」
言い終わると溜息と共に背もたれに身を預けた。
「余り考えすぎるからそう言う事に成るんだ。初めから貴方は僕等を分けて接して来た。現実に正直に成れば良い事でしょう?!」
「あの子は今でも娘。僕は今でも伴侶だ。そう思って良いんでしょう?!」
言ってしまって、涙にくれるしか無くなった。
お読みいただき有り難うございました!
この話の切っ掛けは、金の封鎖の時に切られたアウルの髪と、始めに着ていたドレスをリエージェ(ライオネル)いったい等するのだろうと言う疑問から派生しました。彼は明らかにアウルに対して特別な感情を抱いて入るのですが、それはレオノールに対するものとは違う。それを彼がどう決着を付けるのかが疑問として残ったために出てきた話でした。この先も幾つかこんな話が出てきます。その時はまたよろしくお願いします!!