吉と出た
全ての荷物を持ち、安心安全マイホームの大草原に背を向けた男。
光の花を植えていたならば、あと2週間は草原でぐーたらしていただろう。
しかし、もう戻るつもりはなかった。
山を越える。
人を探す。
時に小さく、時に丸い三十路の男の背中が、今日なら頼もしく見えるだろう。
厨房戦士の頼れる背中に戻っている。
決意を胸に。
厚みのある胸を張り。
輝く瞳で前を見て。
大股で歩いていく。
凹みきっていた男は一晩を経て復活した。
オーバーヒートだって喉元過ぎればなんとやら。
ツラかった事は寝て忘れている。
目覚めには針金モドキが光の花となる事を大発見。
大喜び。
筋肉痛だって随分マシになった。
ハイ元気。
肉離れにもなっていない。
うん、絶好調。
ストレスに強い男は、イイ性格をしていた。
これがあるからブラックな厨房戦士の務めを果たしてこれたのかもしれない。
左手に持った針金モドキを、ぶんぶんと振り回しつつ、ご機嫌で歩く。
針金の先っぽについた豆電球。
これがあるからまた、振り回したくなるのだ。
ちなみに光の花が散った後に残されたこの豆電球。
針金にがっちりとくっついて、とれなかった。
足どりも軽く、歩くこと小一時間。
見えてきたのは、木のつるが結ばれた信号木だ。
信号木の住民、リスもいる。
今日もまた、明らかに腹におさまらない大きさの果実を食べていた。
感心して見ていると、男も腹が減ってくる。
朝食として、ウサギの赤身肉の背肉を焼いた。
まだ絶賛硬直中の固い肉。
分厚い円柱型の肉バーム1つで、腹は十分満足できた。
こんな時、奇人変人びっくり人間の能力は重宝する。
エアーな動作で、何もない空中に焚き火を創り、さくっと肉が焼けた。
料理人として、作業が物足りないと感じるのは贅沢だろうか。
腹も膨れたので、信号木を後にして出発する。
こっからが勝負だよな・・・・。
後回しにした問題が残されていた。
数日前の男をだいぶ凹ませた問題。
この森の困った不思議。
どんなにたくさん走っても歩いても、信号木に戻って来てしまう事だ。
結局、川も泉も湧き水も、水場は全く見つからなかった。
獣だってウサギとリスにしか会っていない。
山につながる森のはずなのに、どこまで行ってもまっ平な地面。
山に至る傾斜が感じられない。
信号木から離れられない問題。
信号木を中心とした、ごく狭い範囲でしか動けていなかった。
そう判断するとイロイロ納得できる。
だが今日は山を越える。
1日で超えるのは難しくとも、山に登る。
男はそう決めていた。
秘策などない。
作戦もない。
何度戻ってきたっていい。
信号木を何度見ようがかまわない。
何度でも出発してやる。
そのうち違う景色が見れるだろう。
何にも考えちゃいない。
昭和生まれ、料理以外は大雑把な生きざまをさらしてきた男。
復活を遂げた今、いつもの、そして安定の思考回路だった。
さてこの判断が吉と出るか凶と出るか。
短い休憩をはさみつつ歩き続ける事、数時間。
「・・・・・・なんだあれ」
吉と出た。
おそらく。
少なくとも信号木に戻ってくることなく、ここまで歩き続けられた。
見えてきたのが、今までの森の雰囲気とは異なる空間だった。
明るい太陽の光がそそぐ空間。
木が生えていない空間だ。
うっそうとした樹木が生い茂る森は、基本的に暗い。
木洩れ日として一筋、二筋の光なら珍しくはない。
だが、見えている先は圧倒的な太陽の光が降り注いでいる。
男は目をすがめ、はるか先には何があるか、把握しようとした。
「・・・・おっ!!!」
あれはもしかして。
もしかすると。
筋肉痛も忘れて駆けだした。
「・・・・・水だーっ」
久しぶりに見る自然の水。
男は歓声をあげた。
斜め掛けにしていた荷物をドスンと放り出した。
針金モドキも落としてしまう。
全力で駆け寄った。
「スゲーっ・・・・うぉーっ・・・・」
着いたのは大きな湖。
太陽の光を反射して、キラキラと輝いている。
美しい。
男は湖のほとりに駆け寄り、奇声をあげた。
「うぉーっ・・・・みーずーっ・・・」
しゃがみ込んで水を両手ですくっては、バシャバシャと空中に放り投げた。
一瞬、宙を舞う水はさらにキラキラと輝いた。
湖の水は透きとおっている。
男はバシャバシャと子供のように水遊びをしつつ、水を口にふくんでみた。
「うぉーっ・・・・う、まーいっ!・」
期待通りの自然の味。
ごくんと飲み込む。
男のテンションはさらにあがった。
文明人の誇りに対する危険信号だ。
テンション爆上げ注意報。
警報かもしれない。
そう。
誰もいない森の中。
ムズムズ、そわそわ。
水遊びだけでは物足りなくなってきた。
本能が男を支配する。
そして男はいつものように。
「うぉーーーっ・・・」
裸族アゲイン。
もう何度目のアゲインなのか。
いつもの奇声をあげつつ、生まれたままの姿になって。
文明人から野生児へ。
立派な裸族となって、大自然の水を満喫した。